番外編 璃桜と透真

「朝陽くんっ」


 スタジオでの某バラエティ番組の撮影後のこと。楽屋に戻る最中で、そんな風に声をかけられた。

 振り返れば、中性的な服装の、可愛らしい顔立ちをした小柄な青年が一人。

 友人で後輩のアイドル、逢坂璃桜だ。


「璃桜じゃん。お疲れ」

「朝陽くん仕事終わり?」


 もし暇なら寄ってかない?と璃桜が指し示す先は、目の前の楽屋。プレートに書かれた名前は、当然の如く彼個人の名前ではない。

 せっかくだし、璃桜の相方である彼の顔も見て行くことにしようか。


「お疲れ~」

「朝陽さん!お久しぶりです」


 楽屋の中にはギター片手に譜面に向かう青年が一人。しかし、彼は俺が楽屋に入るなりすぐさまそれを置いて立ち上がる。

 細い黒の眼鏡をかけた、いかにも真面目な好青年といった風貌の彼の名は、藤崎透真という。

 相方である璃桜が人懐っこいチワワなら、こちらは大人しいロシアンブルーといった印象の、大人しく穏やかな青年である(余談だが、表現の語彙がなぜか生き物になっているのは、先程まで動物番組にゲスト出演していた所為だと思われる)。


 逢坂璃桜と藤崎透真。この二人は芸能事務所『スズミネエンターテインメント』所属のユニット〈La fleurラ フルール〉として活動する二人組だ。

 便宜上はアイドルと説明しているが、元々二人は動画サイトで活躍する歌い手であり、本人たち曰く現在もそのスタンスは変わっていない。


 数年前にメジャーデビューを果たしたこの二人は、歌唱だけでなく、作詞作曲、振付、演出までもを自らで担っており、その多才ぶりから少しずつ活動の場を広げている。

 元々は歌い手として人気を博していたこともあって、当然歌唱力の方も一級品。動画サイト時代はほとんど面識はなかったらしいが、この二人は声質や歌い方において相性が非常に良い。メジャーデビュー前からネット上ではお互いのファンたちが「なぜ今まで出会わなかったのか」と嘆いていたことすらあったそうだ。


 メディア露出はほとんど行っていないものの、ライブや偶のテレビ出演、公式SNSなどには度々顔を出しており、仲の良い様子を見ることができる。



 …しかし。



「おいお前、朝陽さんだって忙しいのに失礼だと思わないのか」

「えー?だって、朝陽くんが良いって言ったんだもん」

「お前に気を使ってくれただけだろうが」

「お前だって朝陽くんが来てくれて嬉しいくせに」

「今はそんなことは言ってないだろう!?」


 ─その実態は、この通り。


 二人は、お互いの顔を目にするや否や、言い合いを始めた。まあ、正確には、主に透真が突っかかって行っているようにも見えるが。


 世間にはこの上なく息の合うコンビとして通している二人だが、実際はこのように、教科書通りと言っても過言ではないくらいの犬猿の仲である。

 色々あって顔見知りになった二人のマネージャー曰く、酷いときはお互いに一言も言葉を発しないこともあるようだ。

 ということは、今は言葉を交わしているだけマシな方だということになるのだろうか?


「…あのさあ、お二人さん」


 俺のことなど、まるで視界から消し去ったかのように言い合いを続けていた二人は、俺の声に一斉にこちらに顔を向けた。

 それも、寸分違わず、同じタイミングで。…さては君たち、仲良いな?


「俺、別の事務所の人間なの忘れてない?」


 この二人の不仲っぷりは、二人の所属事務所とその関係者のみが知る秘密である。俺は偶然知ってしまったが、これは相当なレアケースであり、本来普通の芸能関係者では知る由もない事実だ。

 信用してくれているのは嬉しいが、流石に迂闊過ぎではなかろうか。…二人を担当するマネージャーの心労察する。


 俺に指摘され、二人は気まずそうに目線を逸らす。

 …が、すぐに顔を合わせていがみだす。


「お前が突っかかってくるのが悪いんだよ」

「はあ?そもそもの原因はお前じゃないか」

「はいはい、やめなさいって」


 また喧嘩モードに突入しようとする二人をなだめようと間に入るが、二人の諍いはそんなことでは止まらない。喧嘩中の猫みたいに、俺を挟んで威嚇し合っている。


 世間一般からのイメージがどうなのかは知らないが、俺には人の弱みを握って楽しむ趣味はない。この秘密を知ってしまったのも、ただの偶然(ある意味彼らの自滅)なのである。

 第一、この二人の生みの親であるあの人を敵に回すなど、死んでもお断りだ。何をされるか、分かったものではない。


 …とはいえ、毎回毎回こんな痴話喧嘩に巻き込まれて、宥めるだけ宥めて帰るというのも割に合わないとは思う。


「またお裾分けの消費手伝ってくれたら秘密にしといてあげるけど」

「…また?」

「…お母さんの、また送られてきたの?今回はなに?」


 母さん、というか親戚筋からのお裾分け地獄は年中無休だ。最近も巨大な段ボールが我が家に届いたところだ。

 今度は大量のジャガイモである。祐樹曰く常温でも割と日持ちするようだし、食費も浮くしで有難くはあるらしいのだけど…いかんせん、量がね。


「朝陽くんの家ってマジで何なの?地主か何か?」

「親戚が農業やってるからさ、色々来るわけですよ」

「もうそれ年貢じゃん」


 年貢とは言い得て妙である。

 璃桜はこういうワードチョイスが毎回絶妙だから面白い。


「今回も祐樹くん苦労してるんじゃないの?」

「昨日大量にポテサラ作ってたかな」


 珍しく死にそうな顔をしながら、ただひたすらに芋の処理をしていた祐樹を思い出す。

 昨晩の様子を脳裏に描きながらそう呟いたら、二人して気の毒そうな顔になるのがどうにもおかしい。


「それは…大変そう」

「そんなわけで、持ってくるのも大変だしいつでも食べにおいで。…ただし、来るときは二人で来るように」


 それまでは神妙に話を聞いていた二人だったが、それを聞くなり『へ?』『はい?』とすっとんきょうな声が出る。


 "二人一緒に"。

 この二人への仕打ちなら、これが一番効果的である。二人が得するだけじゃ意味がないし。


「…本気で言ってる?」

「本気に決まってんじゃん」

「…朝陽くんって結構Sだよねえ」

「何の話?」


 そんな話をしている横で、透真は「…あの、朝陽さん」と恐る恐る手を上げる。


「祐樹さん…でしたっけ。僕が行ったら迷惑じゃないですか?」


 そういえばそうだ、とふと思い至る。

 祐樹と透真は未だに顔を合わせたことがない。

 人懐っこい性格の璃桜と違い、透真は割と人見知りする質だし、祐樹も他人と話すのはあまり得意ではないらしい(祐樹に関してはどの口が言っているんだろうと思わなくもないが)から、いつか璃桜のように紹介しようとは思っていたけれど、中々機会がなかったのだ。


「事前に連絡さえくれれば誰でも来てくれていい、って言ってたから大丈夫」


 ただ、今回は事情が事情なのでそんなことも言っていられないらしく、『むしろ誰でも良いから呼んで来い』とうちの料理担当は言っていた。

 それを聞いて、透真は困ったように頷く。


 いつなら空いてる?

 二人に尋ねようとしたその時、ポケットの中でスマホが鳴った。うちのマネージャーからだ。


「ごめん、マネージャーが呼んでる。来る日決まったら教えてよ」

「…分かった。またね、朝陽くん」

「また来てください」


 すれ違った二人のマネージャーにお辞儀を返しつつ(また顔色が悪くなっていた。今度お裾分けに行くべきか)、自分のマネージャーからの電話に出る。

 どうやらさっきの撮影で何か問題があったようで、すぐに戻って来てほしいという連絡だったようだ。


 戻る最中、廊下に置かれたテレビからはお昼の情報番組が流れている。そこから聞こえて来た耳慣れたメロディーに、つい一瞬足を止めた。


 今流れているのは、璃桜と透真の最新曲。最近アニメ化した漫画のEDテーマとして起用された、しっとりとした曲調のバラードだ。

 性別不祥な可愛らしい声かと思いきや、時折男らしさが垣間見える、璃桜のよく通る高音と、性格をそのまま映し出したように誠実で堅実で、それでいて爽やかな透真の低音。

 二つの声は混ざり合い、二人の奏でるピアノとギターと共に、切ない恋情を歌う。


(…こんなにいい曲が作れるのにねえ)


 立ち去った楽屋では今頃、新曲について激しく意見をぶつけ合う二人の姿があるに違いない。あの二人は、少なくとも「仕事」においてはお互い認め合っているから。

 ほんの数分前まであんなにいがみ合っていたなんてことも忘れて、精一杯仕事に力を注ぐ二人の様子は、想像に難くない。


 二人の楽屋に立ち入ったのは久々だが、これで隠しているつもりなのかと毎度のように思わされる。

 正直、今回も呆れを通り越して笑ってしまうところだった。


 楽屋のテーブルに並んで置かれた、「偶然」お揃いになってしまったというボトル。

 二人のペンケースとギターケースで揺れる、昔のライブグッズであろうピンクと紫のストラップ。

 わざとらしい口喧嘩。どれだけ論争が激しくなったとしても絶対に手までは出ないのも、ある意味ではそうなのだろうか。


 きっかけは、至る所に散らばっているというのに。

 相も変わらず、傍から見ている限りでは面倒臭いことこの上ない二人である。



「…素直になりなよ、お二人さん」



 耳に残るそのメロディーをハミングで流しながら、俺は小さくそう呟いていた。

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