花火もいいけど素麺食べたい

「おーい、飯だぞー」

「あいよー」


 自室で台本を読んでいると、リビングから自分を呼ぶ声がした。

 台本を仕舞ってリビングに向かえば、ダイニングのテーブルの上には白くて細長い麺と氷が沢山入ったザルと水受けのボウル、めんつゆの入ったガラスの器が二つ。


「あっ、素麺だ」

「今日暑いし丁度いいだろ」


 我が家の夏の定番と言えば素麺だ。

 と言っても、祐樹の作る素麺はシンプルにめんつゆだけ。時々薬味を散らしたりはするが、他は特に凝ったことはやらないことが多い。

 素麺を茹でて、水で洗い、冷たい氷とめんつゆと一緒に頂く。世間には色々とレシピはあるのだろうが、親友曰く「結局それが一番美味い」とのこと。その意見には同意しかない。

 おかずは小葱をのっけた冷奴と夏野菜の天ぷらで、夏の始めにはこの上なくぴったりなメニューである。


 冷蔵庫で冷やしていた麦茶を置いて、二人揃って手を合わせた。

 冷水と氷でしめられた素麺はつるっとのど越しが良いし、ナスやししとうを揚げた祐樹お手製の天ぷらはサクサクしていて美味しい。


 年々気温が上昇するこの季節は何歳になっても得意になれないが、この夏らしい食卓には毎年のように心が躍る。こんなんだから、「もう少し自分の歳を考えろ」とか言われるんだろうか。



『…市で今年も花火大会が…』


 何の気なく付けていたテレビから、夜のニュースが流れ始めた。

 テレビ画面には去年のものらしき映像と、夜と言うにはまだ少し明るい現地の光景が映る。


「そういや今日だったな、あそこの」

「もうそんな時期かあ」


 これからの時期、日本各地で花火大会が行われるが、ここから程近い某県の某地域のそれは他よりも一足早く開催されるのが恒例だ。

 会場までは割と近いから、行こうと思えば行ける。今から家を出ればぎりぎり間に合わなくもないとは思う。

 でも、夕飯時のこの時間にわざわざ外出する気にはならないし、そもそも、祐樹も自分も人込みは得意ではない。それに、よく冷えた麦茶と素麺、そして程よく効いた冷房という、ある意味最高の贅沢空間と化したこの部屋から離れるのは非常に惜しいと思ってしまう自分もいる。


 一度くらいは生で見てみたいと思っているのだが、どうやら今年もお預けになりそうだ。


「此処から見えなかったっけ」

「おい、飯中に歩くな」


 とは言っても、見えるのなら見てみたいと思う気持ちはある。祐樹の制止は聞き流して、カーテンとベランダの扉を開ける。

 いつの間にか陽が落ちていた空は、もう既に上の辺りが闇に染まっていた。ビルの明かりさえなければ、結構薄暗くなっていたに違いない。


 ベランダに出た、ちょうどそのとき。タイミングの良いことに、夜空にいくつもの花火が打ち上げられた。

 赤や緑、黄色にオレンジ。オーソドックスな丸だったり、星型だったりハートだったり。様々な色と形で咲く光は、夜空に浮かんでは消え、また浮かび上がる。


 都会は夜でも活動する街だから明るいし、流石に遠すぎるのもあってかここからでは少し見えにくいのが残念だ。

 でも、家から見る分にはこれくらいで充分だろうか。


「花火見えるよ、小っちゃいけど」


 ベランダの向こうを眺めたまま声をかけてみたけれど、背後からは天ぷらを齧る音と、「そうか」という返事が聞こえるばかり。

 せっかく見えるのだから、見に来たらいいのに。内心ふて腐れながらも、暗くなった空を眺める。



 夜空に咲く、小さいながらも色鮮やかな光の花々と、数秒遅れて届く微かな破裂音。

 その風景に、ふと、昔もこうして時々花火を眺めていたなと思い出す。


 田舎と都会の境目のような地元でも、夏の夜には花火が見えた。近く、と言うには少々離れた地域で上げられるそれは、偶然にも祐樹の実家の庭から見ることができたのである。

 視界を遮るものもさほど無く、煩わしい照明も少ない地元で見るそれは、此処から見るよりもずっと色鮮やかで巨大で、心に深く響くような迫力があったように思う。


 祐樹の家には小さい頃からよくお世話になっていたのだけど、祐樹の母というのが綺麗な景色が好きな人で、俺たちは度々夜の庭へと連れ出されていた。

 その理由は、季節によって様々だった。満月が綺麗に光ってるとか、オリオン座がよく見えるとか。

 大体は些細なことで、正直鬱陶しく思うこともあったけれど、彼女のお誘いにはハズレがない。小さい頃は比較的引きこもりがちだった祐樹もどうにか連れ出して、よく3人で一緒に夜の空を眺めていたものだ。


 息子に似ずおっとりした彼女は、いくつになっても少女じみた人だったから、夜の庭での彼女は子供である俺たちよりもずっと夜空に夢中だった。

 彼女が毎回のように浮かべていた、見惚れるような、どこか慈しみの情すら感じさせるその横顔は、24になった今でもよく覚えている。



 そんな思い出に浸りながらぼんやり花火を眺めていると、後ろの方からパチリ、という音がした。

 どうやら、部屋の電気が消されたらしい。


 背後から聞こえる物音に振り返れば、そこには素麺の入ったザルとボウル、あとはランチョンマットらしき布を一枚持って立つ祐樹の姿があった。

 適当に放られたその布を、言われるがままに床に敷けば、祐樹はその上にザルとボウルを置き、そのままテーブルの方へと戻っていった。

 それを、頭に疑問符を浮かべつつ見送っていると、祐樹はすぐに此方に帰ってきて、二人分のガラスの器と箸を手に俺の隣へと座った。


「あれ、良いの?」

「今日だけな」


 珍しいこともあるものだ。良くも悪くも純粋な母親に育てられた所為か、根は至って真面目なこの男のことだ、普段なら無理やりにでも連れ戻すのだろうと思っていたのに。

 自分の器と箸を受け取りながらそう告げれば、ザルから素麺を引き上げながらも祐樹は言った。


「どうせお前戻って来んだろ」

「…よくお分かりで」



 窓際に並んで素麺を啜りながら、遠くの夜空で上がる花火を眺める。

 時折ぽつぽつと言葉を交わしつつ、その夜は過ぎていった。


 いつかまた、昔のように無邪気な心で、大きな花火を眺められたらいいなと心の内で願いながら。

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