第8話 出雲の阿国

 ビジネスホテルへと向かう道中、すっかり暗くなった川の畔を眺めると、等間隔に座るカップル達の姿がまだ大勢見られた。

 川床から漏れる店灯りが、水面に揺れながら反射してロマンチックなムードを醸し出しているからだ。

 そんな川沿いを見ながら歩いていると、橋に差し掛かる手前で微かな歌声が聞こえてきた。


「いづーもー名物ぅー荷物にゃならーぬー――」


 橋の袂に立てられた銅像前で、帽子と眼鏡を着けた女性が川の方を見ながら歌を歌っている。俺は数人のギャラリーに混じって立ち止まり、その綺麗な歌声に聴き入った。


「――うつす二人のー晴れーすがたー……」


 歌が終わり、俺は拍手を送った。少人数だが、彼女の正体に気付いたギャラリーが少しざわついている。


「安来節ですね。あなたが歌うボカロカバーも好きでしたが、こんな民謡も好きでした」

「フフッ。一応故郷の民謡なのよ」


 安来節を歌っていたのはミナミちゃんだった。俺が彼女と会話を始めると、回りのギャラリーはプライベートだと思って引いて行く。

 俺はそのまま近づき、彼女の前に立つ刀と扇を持った男装の像に目をやった。


「確かこの像、歌舞伎の創始者、出雲の阿国おくにですね。そう言えばミナミちゃんとは同郷だ」

「そうなの。私の憧れのアイドル」

「アイドル? 阿国さんってアイドルだったんですか?」

「そう。戦国時代、元々巫女だった阿国は神社の修復費を稼ぐ為に上京し、この河原で踊りの興行を行なったと言われているの。男装などしてかぶいた踊りが評判に成り、各地に巡業で呼ばれほど人気者に成った。全く新しい芸に、当時の観客はノリノリだったと思うわよ。元祖アイドルよ」

「そうなんですか。最初の歌舞伎役者が阿国さんという女性だったのは知ってましたが、アイドルだったんですね。この河原でファンと触れ合いながら踊ってたのなら、阿国さんは地下アイドルの創始者でも有りますね」

「あっ、そっか。本当ね」

「阿国さんはその後どうなったんですか? お金を稼いで地元に帰って幸せに暮らせたんですかね?」

「……いつ亡くなったかは記述が残ってないけど、出雲には帰れたそうよ」

「そうなんですか。目的は達成されたんですね。それは良かった」


 ミナミちゃんは目線を俺から逸らすと、物思いに耽るかのように川を眺めだした。


「……ミナミちゃんも故郷に帰りたいですか?」

「……そうね」

「いつか帰れると良いですね」

「……うん」

「ミナミちゃん……」

「なーに?」

「ミナミちゃんは、オトハさん達が自殺した理由に心当たりは有りますか?」


 この質問にミナミちゃんは暫く黙り込む。

 俺達二人の間に、見えないバリアが張られた気がした。

 近くに居る筈のミナミちゃんが、急に手の届かない遠くに居るように感じる。

 微妙な空気が流れたまま、ミナミちゃんは俺の方を見ずに独り言のように呟いた。


「どんなにネットが広まっても、結局、人は華やいだ物しか見ようとしない。不利益なものには見向きもしない……」


 俺はその言葉が誰に対して言ったものなのか解らず、返答ができなかった。

 沈黙を破る為、別の質問をミナミちゃんにしてみた。


「キショプーって言われている方をご存知ですか? 結婚して欲しいというメールをメンバー全員に送信してたそうですが」

「……たぶんそれは、ウメジさんの事だわ」

「ウメジさん?」

「下の名前まではわからない。二年位前からイベントに参加するように成ったファンよ。メールの事は事務所に相談して全員アドレスを変えたわ。最近はイベントにも来なく成った」

「ありがとうございます」


 ミナミちゃんは軽く溜め息を吐くと、その場から歩き出してタクシーを停めた。

 乗り込む前に俺の方を振り返り、悲しそうな目を向けながら一礼すると、そのまま後部座席に乗って去って行った。


 何か辛い事を思い出させてしまったのだろう。

 ごめんなさい、ミナミちゃん。

 あなたの事は、全力で守ります。


 歩きながらミナミちゃんの事を考えていた。

 今のやりとり……まだ彼女が無名だった頃の親近感は、確実に薄れている。

 当たり前だ。彼女はもう売れっ子なのだから、既に遠い存在なのだ。

 しかも俺は社会人に成ってから、学生時代のような熱の入れようでは無くなっている。

 自分から遠ざかったのに、何を求めていた?

 厚かましい……。

 元より俺は彼女の内情を殆ど知らない。歌い手やアイドルとしての表の部分しか見ていなかったんだ……。

 

 やがてホテルに着き、部屋に入るタイミングで電話が鳴る。

 発信者はトユキさんだ。

 何か新しい情報を手に入れたのだろうか。


「ハロウ、ロッくん。まだ生きてるかな?」

「昼間マジで死にかけましたよ。相当ヤバいデジタルスペクターですよ」

「警察が関与できそうな事なら、すぐに連絡してね。オッケぇ?」

「わかりました。それで何かわかりました?」

「実はさあ、あれからヨドヤマエージェンシーの事を色々調べてみたの。そしたら怪しい事いっぱい見つけちゃった」

「どんな事です」

「まずヨドヤマエージェンシーが創業してからのこの五年間で、タレントやスタッフなどの関係者が十三名も行方不明に成ってるの。十三名よ。捜索願いが出てないものばかりだけどね。その中には元エイトスロープのメンバーだった三人も含まれてるわ」

「華瀬鈴さん達とは連絡が取れないのですか?」

「そうなのよ。彼女達の友人や親族に聞いてもエイトスロープを辞めてから一切連絡が無いんだって。三人共よ。おかしいと思わない?」

「親にも連絡してないんですか?」

「元々三人共、親とは疎遠関係だったみたい。だから捜索願いが出てないのよ。成人だから捜索願いが出ないと警察も動けないし」

「でも、ソコンさんの調べでは三人共生きてるそうですよ。何処かで――」

「生きてるのに音信不通ってヤバくない。私、嫌な予感しかしないんだけど」

「そんな……まさか……」


 さっきのミナミちゃんの顔が目に浮かんだ。

 そしてヨドヤマエージェンシーに想像以上の深い闇を感じ、デジタルスペクターとは別種の恐怖に背筋を凍らせる……。

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