第9話 真夜中のネットカフェ

 リクライニングチェアに腰を下ろすと、ドリンクコーナーから注いだ烏龍茶を一気に飲み干した。今日は本当に何度も喉がカラカラに渇く日だ。もう精も根も尽きてクタクタだ。


 時間は夜の十時を回っている。

 あれから俺は夜の街を暫くウロウロ徘徊し、心が落ち着いたところで今晩どうすべきかを考えていた。実家に一旦帰ろうと思ったが、どう言って家族に説明すれば良いのか分からず、やむなく中止した。友人の家に泊めてもらうにしても電話やメールが相変わらず繋がらない。そこで俺は今夜一晩ネットカフェに泊まってから、朝一番でソコンさんのマンションに向かう事にした。

 ネットカフェなら人も多く、隣とは薄い壁一枚で隔ててあるだけだから、デジタルスペクターのバレリアさんも簡単には現れないだろう。ましてやノートパソコンはクローゼットの中だから、ここ迄は追って来れまい。

 ネットカフェのパソコンからフリーメールを使って誰かに連絡しようとも考えたが、もしかしたらIDを入力したとたん、俺だと気付いてバレリアさんが追って来るかも知れないと思って電源も入れずに留まった。

 後から考えたらパソコンの無い場所に泊まれば良かったと思ったが、現代社会ではそれも難しいと悟る。本当に厄介な幽霊だ。


「とりあえず寝よう。熟睡したらノックされても気づかないだろうし」


 俺は備え付けのブランケットを身体に巻いて身体を横にした。朝まで何事も起こらないよう祈りながら眠りにつく。



 ◇ ◇ ◇ ◇ ◇ ◇ ◇ ◇ ◇ ◇



 深い闇に堕ちて行く感覚がした。

 気付いたら再びコンクリートに囲まれた部屋の中だ。

 正面の朽ちた扉から黒い人影が四つ現れる。

 顔も服装も分からない、真っ黒な人影だ。

 一人の影がカメラを取り出し、撮影を始める。

 そして五つ目の人影が、ドロップショルダーのフードパーカーを着た女性を連れて入って来た。

 この人だけは何故かちゃんと顔も服装も認識できる。

 赤っぽい髪が印象的で、歳は俺より下かも知れない。

 五つの影は赤髪の子を取り囲み、聞き慣れない言葉で罵倒しだした。

 赤髪の子は泣きながら首を振る。

 そして何時ものように、黒い影が赤髪の子の髪を引っ張ったり、殴る蹴るの暴行を始めた。

 早く止めて助けないと。

 だが、何時ものとおり幾ら頑張っても身体はうんともすんとも動かない。

 赤髪の子は服を全て剥ぎ取られ、机の上に仰向けに寝かされた。

 既に全身痣だらけで、もう抵抗できない位にグッタリしている。

 俺はこれから起こる事が分かっていたので目を瞑りたい気持ちでいっぱいだったが、瞼さえ動かす事ができない。

 赤髪の子の身体の数カ所に、何かの薬品が注射器で射たれた。

 ペンチやナイフが用意される。

 そして赤髪の子の意識がまだ有る状態で、残虐行為が行われる。

 先ず、ペンチが彼女の口の中を襲う――



 ◇ ◇ ◇ ◇ ◇ ◇ ◇ ◇ ◇ ◇



「うわああああぁぁぁ!!」


 俺は慌てて飛び起きた。

 覚えてる。今回はしっかり覚えているぞ。

 そうだ。

 俺は四日連続でこの夢を見てたんだ。

 夢の内容は、バレリアさんが虐殺される現場だ。

 夢に出てきた場所は、あの写真の場所と同じだった。

 バレリアさんは、ずっと自分が殺された時の映像を俺の頭ん中に送り込んでいたんだ。


「待てよ……」


 何で又この夢を俺は見たんだ?

 パソコンはクローゼットの中だ。

 なのに、又夢を見たって事は……。


 俺は目の前のパソコンモニターに目を遣った。

 勿論、ネットカフェの備え付けパソコンだ。

 電源は入れてなかったのに何故か起動している。

 画面はカラフルな砂嵐を映しており、所々グリッチノイズが発生していた。


「何で? 何でこの場所が分かったんだ……ああ、そうか……」


 俺はモニター前に置いてあるスマホの画面もグリッチノイズが発生しているのに気付き、察してしまった。

 そうだよ。スマホもパソコンだ。

 よく考えたら電話もメールもできないって事は、スマホも霊的障害を受けていたって事だ。

 つまりバレリアさんは、スマホの中に潜んで俺に憑いて来てたんだ。


 慌ててスマホもパソコンも電源を切ろうとしたが、手が動かない。

 まるで夢の続きのように、身体を動かしたくても動かせないのだ。

 完全な金縛り状態である。

 何故か目も瞑れない。瞬きはできているのに……。

 目の前のモニターは、グリッチエフェクトを繰り返しており、砂嵐の中に何かを映し出そうとしている。


「ま、まさか……モニターから這いずり出て来たりし、しないよね?」


 見たくない。そんなの見たくない。

 俺は堪らずに助けを呼ぼうと、必死で大声を出そうとしたが、小声しかでない。

 でも、少し声が出せるという事は、完全無欠な金縛りでない事が分かった。

 必死で顔だけでもモニターから背けようと頑張って、頭を横に向けたのだが――


「へっ?」


 背けた先に、見覚えあるフードパーカーの衣装が見えた。目線を少し上げると、無表情の赤髪の女性が俺を見下ろしている。どうやらとっくにパソコンから抜け出ていらっしゃったみたいだ。


「ヒャ、ヒャロー」


 血の気が引く中、精一杯の作り笑顔をして挨拶した。

 すると、その無表情の口が少し動いた。

 亡霊的女性は、俺に向かって何かをボソッと呟く。


「ムエレ……」


 スペイン語は分からないけど、たぶん「こんにちは」って、返してくれたのかな?

 良く見たらバレリアさん可愛いじゃないか。

 本当に可哀想な死に方したんだよな。

 怖がってばかりいないで、ここは成仏してもらうように念仏を……外人さんは、お経じゃなくて祈りだったけ?

 てか、いったい、どうすれば良いんだ?


 パニックってると、バレリアさんが右手を俺の顔の前に伸ばしてきた。

 握手を求めて来たと思いきや――


「う、うそ……ゆ、指……指は?」


 指が消えた。

 差し出した右手にグリッチノイズが掛かったと思ったら、いきなり五本の指が切り取られた血だらけの手に変わったのだ。

 顔も右目にグリッチノイズが掛かると、右目側だけ目玉がくり抜かれた状態に変わる。

 口にグリッチノイズが掛かると、歯が抜けた口に、腹にグリッチノイズが掛かると、そこの部分だけ衣服が消えて内蔵が飛び出した腹部に変わった。

 所々グリッチノイズが掛かかった部分だけ、あの遺体の時の姿に変わる。

 そして再びグリッチノイズを起こした場所は元に戻るみたいだった。

 彼女はこれを繰り返しながら、不気味な笑みを浮かべだした。


 止めてくれ!

 普通に惨殺状態の死体を見るよりも怖い。

 もう、とっくに失神したいのだが、それもさせて貰えない。

 逃げたい。

 何としても逃げたい。


 残念ながら思いも虚しく、所々グリッチノイズを繰り返すバレリアさんは、俺の首に両手を回してきた。

 そして歯の無い口を大きく開けながら、その恐ろしい顔を俺の顔の方へと近づけてくる。

 魂を吸い取る死の接吻をお望みか?

 なら終わった。完璧に詰んだ。

 そう、思った瞬間だった――


「フギャアアアアアァァァ!」


 凄まじい猫の怒り声が聞こえたかと思ったら、目の前のバレリアさんは一瞬で消えた。

 そしてバレリアさんが消えた途端に身体は自由を取り戻す。

 何が起こったか暫く理解できないでいたが、パソコン前に置いてあったスマホの画面を見て悟った。

 スマホの画面にはパンダのようなハチワレ猫のキャラ、モバが映っていて、覗き込むとこちらを見ながら二本の尻尾を振り、「ニャア」と小さく鳴いた。


「あ、ありがとうございます。ソコンさん。遠隔操作で助けてくれたんですね」


 俺はそれから始発が動き出すまで起きている事にした。その間、まるで本物の猫を愛でるかのように、膝の上に置いたスマホの中のモバを撫でていた。



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