第8話 ノック
外で軽く食事を済ませ、部屋に辿り着いた時は既に夜の八時を少し回っていた。
俺は持っていたノートパソコンを使う気には成れなかったので、クローゼットの奥に仕舞い込んだ。
スマホで検索してホワイトハッカーさんを探そう。サイバー警察よりも優秀な人を探すのは容易ではないが、とりあえず見つかるまではルーターも使用せず、ノートパソコンはお寝んねしてもらう事にした。
ネクタイを緩め、冷蔵庫のミネラルウォーターを取り出すと、一気に飲み干して溜め息を吐く。そのままベッドに座ってスマホで検索していると、いきなりメールの着信が入ったので不覚にもビクッと成ってしまった。
ソコンさんの話を信じたわけじゃないが、やはりあんな話を聞いたら少し意識してしまう。
俺をビビらしたメールの主は長谷川だった。
[おーい、生きてるか? 電話してもいい?]
朝、冷たくあしらったくせに。いい気なもんだ。
しかし、今回の件で誰一人「穴戸はそんな人間じゃ有りません」と、庇ってくれなかったのかね?
皆、ドライだな。
俺はふと、高橋の気持ちを考えた。
新人研修の時はよく喋っていたが、それぞれの部署に配属されてからは、彼女と仕事以外の会話はしなくなった。そんな相手から久しぶりのメールが来たと思ったら、中身があんな不気味な写真……そら、怒るよな。
そう言えば俺、朝から自分の事ばかり考えていた。
あの画像を送られた他の社員や得意先は、どんな気持ちで受け取ったんだろう……。
もし自分が逆の立場なら、どう動いたんだ……。
いつの間にか会社の人間でプライベートな時間まで親しかったのは、長谷川ぐらいに成っていた。
その長谷川さえ最近は距離を置いていた。
俺は仕事の事ばかり考えいて、回りがちゃんと見えてなかったんじゃないだろうか……。
「何が顧客第一主義だ。他人の気持ちを何一つ考えてなかったんじゃないのか、俺」
俺は独り言を呟きながら[何とか生きてるよ。今、帰ったとこ]と、長谷川にメールの返信をした。すると直ぐに電話の着信音が鳴った。
「悪い、悪い。朝の事は謝るよ。だって誰かに見られたら共犯だと思われるじゃないか」
「分かってるよ。でも、実際どうなんだ? お前も俺があんな事したと思ってんのか?」
「えっ? お前じゃないの? 証拠揃ってるじゃん」
「違うよっ!」
「みんな言ってたぞ『元気そうに見えて相当に心は病んでたんだな』って。ゴメンな。俺にだけ彼女ができたのが、超絶ショックだったんだよな。もっとお前の事を構ってやってれば……」
「そんな事で病まねえよっ!」
「まあ、課長だけは最後までお前を信じてたみたいだけど」
課長が?
会議室でも明らかに俺が犯人だと決めつけてたじゃないか。
一番嫌いな部下が消えて、内心喜んでるんじゃないのか?
「課長は部長達に『あいつはそんな人間じゃ有りません。あいつが犯人なら自分も責任取ります』って言ってたよ。お前をクビにするって決まった時も課長が『経歴に傷がつかないよう自主退職扱いにしてやって下さい。将来がある若者です』とか言って懇願したんだ。課長はさあ、お前の事ばかり叱ってたが、裏じゃお前の事ばかり褒めてたよ。でも『あいつの将来の為に俺はきつく言わないといけないんだ。でないと俺の二の舞いになる』とか言ってた。自分の若い頃にそっくりなんだって」
「何か信じられないな。今朝も心配してる様子なかったし」
「そんな事ないぞ。金曜日の晩だって、お前に連絡つかないから心配して俺に『自宅まで様子を見に言ってくれ』て、言ったぐらいだしな。あっ、そうそう。その事で電話したんだ。お前、あれは止めといた方がいいぞ。手を引いとけ」
「ん? 何の事だ?」
「あの女の子だよ。グローバル時代だから外国人の彼女をつくるのは、そりゃ良い事だよ。けど、あんな薄気味悪い子は駄目だろ。あの金曜日の晩もさー、お前んちの部屋の前で突っ立ってたんだよ。俺が声かけてもガン無視してさー、ずっと扉の方を見てた。こりゃ留守なんだなーと、察して仕方なく帰ったけど。あの子何処で知り合ったのよ? 彼女じゃ無くて、ひょっとしてストーカーか? お前がグロイ趣味に走ったの、あの子の影響じゃないの?」
長谷川が何を言ってるか分からなかった。
いや、分かりたくなかった。
金曜日の晩はずっと家にいた。
誰も訪れてはいない。
長谷川の話が本当なら、その女性はノックもせず、呼び鈴も鳴らさず、ずっと俺の部屋の前で立っていた事になる。
そんな女性、心当たり有るわけない。
有る……わけない……。
「……なあ、長谷川」
「なんだ?」
「その女性なんだが、他に何か特徴なかったか?」
「んーと、そうだな。ずっと扉の方向いてたし、フード被ってたからなあ。横顔で外人さんだとは分かったけど。あっ、そうそう髪の毛がちょっと見えたんだけど、茶髪ってより赤っぽい髪色だった」
「赤い……髪……」
「実は、さっきもお前んち行ったんだよ。そしたら同じように突っ立ってたんだ。あー、今日もお前は留守なんだと思ってな。だから電話したんだよ」
「それ、何時頃だ?」
「ついさっき。八時ぐらいだよ。今、自宅なら、あの子とすれ違わなかった? きっと――」
突然、「プツッ」と電話が切れた。
「おい、長谷川!」
慌ててかけ直したが、「おかけになった電話は電波の届かない場所にあるか、電源が入っていないため――」というアナウンスに変わった。
さっきまで繋がっていたのに明らかにおかしい。メールを送っても[送信できませんでした]と返ってくる。長谷川以外にかけてみたが、結果は一緒だった。
額に嫌な汗が流れる。
__コンコン。
突然、扉を叩く音が鳴った。
気のせいだと思ったが……。
__コンコン。
再び扉を叩く音が鳴った。
「どちら様ですか?」
問いかけたが、返事はない。
__コンコン。
あり得ない。
そう、あり得るはずがないのだ。
だってこの扉を叩く音は、玄関の扉を叩く音では無く、何者かがクローゼットの扉を叩く音だからだ。
誰も居るはずのない、クローゼットの内側から……。
__コンコン。
俺は思わず手元に有った枕をクローゼットの扉めがけて投げつけた。
枕はクローゼットの扉を破壊する勢いでドンッとぶつかる。
すると繰り返されていたノック音はピタリと鳴りやんだ。
「何だ、鼠だったのか。鼠苦手だけど、まあ、許してやる――」
__ドンドンドンドンドンドンドンドンドンドンドンドンドンドン。
「うわああああぁぁぁ!!」
鼠であって欲しかった俺の願望は、見事に打ち崩された。
こんなデカイ音を出せる鼠は、ヌートリアかカピバラぐらいしかいないだろう。残念ながら俺のクローゼットにはカピバラが出入りできるほどの大穴は開いてない。
クローゼットの中を調べる勇気なんか微塵も持ち合わせてない俺は、震えながらスマホと財布だけ持って玄関の方へと走っていた。鍵なんかかける余裕なんか有るわけない。そのまま振り返らず一目散で街に向かった。少しでも人気の多い所へと。
「す、すみませんでしたソコンさん。俺、お化けは信じませんが、デジタルスペクターは信じます」
SNSは相変わらず使い物にならないので、朝一番であの古びたマンションに再び訪れることを心に誓った。
俺は半泣きのまま、行く宛のない夜の街を彷徨う。朝が来るまで……。
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