第5話 スピリットフォン

 見慣れた私鉄が走る高架下をくぐると、低目のマンションと雑居ビルが大通りを挟んで向かい合わせに立ち並んでいた。

 ここは繁華街からは少し離れていて、ちょうど住宅街とオフィス街の中間地点にあたる。近くに大きな商業施設も有るので、人通りが全くないわけではないが、観光客が多いこの街の中では、比較的静かな場所と言えるだろう。


 俺は警察署を出た後、百条さんに教えてもらったメールアドレスに[はじめまして、穴戸録と申します。百条十雪様からインターネットトラブルの件でご紹介を受け、連絡させていただきました]という内容の文を送った。

 数分後、市内のとある場所の住所だけが返信されたので、とりあえずその場所にこうして来たのである。

 百条さんが執拗にきつく口止めまでして教えてくれた人物、斎波ソコンさんは恐らく警察の奥の手の民間エンジニアで、超天才ホワイトハッカーなんだろう。

 正直、住所しか返って来なかったので随分と無愛想な人だと思ったが、頭の良い人ほど無駄を嫌うと聞いた事があるから、斎波ソコンさんも、そういったタイプの方なのかも知れない。警察さえお手上げのサイバー犯罪を解決できる方なのだから、恐らく国立の大学、いやいや海外の一流大学を卒業されている聡明な方なのは間違いないだろう。

 今から頼みに行く事は、言わば天才ホワイトハッカーと天才ブラックハッカーとのサイバー対決なのだ。俺なんかには読む事のできないチンプンカンプンなスペリングが画面に猛スピードで流れ、両者の目にも留まらぬ超高速タイピングの攻防が目に浮かぶ。

 民間のエンジニアさんだから謝礼は弾まなければならないと思うが、犯人探しを興信所に頼むと思えばいい。世の中の為にも俺を陥れた犯人は、絶対にこのまま放置してはいけない。


「しっかし犯人も何でそんな凄い才能を、こんな下らない悪戯に使うのかな? 俺にそんな才能が有るなら人類に役立つ世紀の大発明品を作るよ」


 愚痴をこぼしながら歩いていると、お目当てのマンションに、いつの間にか辿り着いていた。

 今どきオートロックじゃない、かなり古いマンションなので少々驚いた。築は俺のアパートより古いかも知れない。最先端の天才エンジニアが住むマンションだから、もっと近代的な高級マンションをイメージしていたのに。まあ、意外と天才は住む場所に拘らないのかも知れないな。

 部屋番号を知らされてなかった為、俺は[マンションに着きました]とメールを送ったら、直ぐに[掲示板]とだけ、返信が返ってきた。


「掲示板?」


 最初は何の事か分からなかったが、マンションのエントランスに入ると沢山並んだポストの横に掲示板が有る事に気付く。その掲示板には管理人からのお知らせや、公共のポスターが貼られていたのだが、明らかに変な紙が1枚だけ目立つように貼られていた。


[四〇四号。この紙も回収して持ってこい]


 すげー命令口調で書かれた内容だが、たぶんこれ、俺宛てだよね?

 そうか!

 ボロマンションに住んでるのも世を忍ぶ仮の姿なんだ。

 まさかブラックハッカーもこんな所に正義のホワイトハッカーが住んでるとは思わないもんな。

 わざと博識なインテリ人間に見せない為の芝居なんだ。なるほど。


 俺は書かれたとおり紙を剥がし、エレベーターに乗って四階に向かった。

 四〇四号室の前に立つとインターホンを鳴らす。すると「入れ」と低い男の声が返って来たので俺は「失礼いたします。先ほど連絡させていただいた穴戸です」と、何時もの営業口調でお辞儀をしながら元気よく入る。

 ドアを開けると先ず、フローリングの上の質素な応接セットが目に入った。その奥にはパソコンが一台だけ乗ったデスクと一人がけ用チェア。見回したが室内のパソコンはその一台だけで、後は観賞植物とレトロなボードゲームが沢山乗った整理棚。壁にはダーツボードと猫が描かれたジグソーパズルしかかかっていない。テレビモニターも音響機器もない、随分とシンプルな部屋だ。エンジニアさんだからパソコンだらけの部屋を想像していただけに、またもや肩透かしをくらった。でも、奥にもう一部屋あるみたいなので、恐らくアチラが最新のパソコンが沢山並んだ仕事場なのだろう。

 そしてインターホンで応対したと思われる男性が一人、パソコン前のチェアでふんぞり返りながら色合わせ立体パズルをカチャカチャと回していた。

 こちらには一切目を向けてくれないが、あの人が天才エンジニアさんなのだろうか?

 歳は俺より少し上くらいだろう。キャスケット帽にタートルネックのシャツ、金色のピアスに顎髭と、会社のシステム部の派遣社員さんでも、こんなビジュアルの方はお見掛けしないのだが、テレワークで仕事をする人達は皆こんな感じなのだろうか?

 少し強面の感じだが、本当の天才は文武両道、何をさせても凄いんだろう。俺とは正反対だ。今、手にしてる立体パズルも、一瞬で六面全部揃えてしまうんだろうなあ、と思ってる間に、その人が手にしていたパズルは綺麗に面を揃えた。流石だ。


「チッ。どんなに頑張っても三面が限度だ。本当に六面そろうのか、これ?」

「へっ?」


 良く見ると俺が見ていた方の三面は揃っていたが、裏側三面はバラバラだった。

 その人は暫く揃わなかった立体パズルを退屈そうに何度も宙に放ってはキャッチして遊んでいたが、急に苛つくように呟いた。


「何時まで突っ立ってんだ? 俺に依頼が有んだろ?」

「あっ、す、すいません。おじゃまします」


 俺が応援セットのソファーに座ると、その人は切れ長の鋭い目をやっとコチラに向けてくれた。長身だし、声も低いので威圧感が半端ない。そのうえ理解不能な質問をいきなりぶつけて来た。


「どうしてエジソンは、スピリットフォンを作らなかったと思う?」

「はいっ?」


 スピリットフォンってなんだ?

 精神の電話?

 何かしらのIT用語だろうか?


「すいません。スピリットフォンって何ですか? パソコン詳しくないもんで……」

「日本語訳で霊界通信機。霊界ラジオとも言われる。発明家トーマス・エジソンは晩年、霊魂は電磁波エネルギーの一種だと考え、人は死んでも霊魂はエネルギーとして存在すると考えた。そして死者の魂と交信する為の装置、スピリットフォンを発明しようと研究をしていたんだ。奇しくも同時期に生まれた、もう一人の天才発明家ニコラ・テスラも、スピリットフォンの研究を行なっている。だが、二人ともスピリットフォンを完成させなかったんだ。なぜだと思う?」

「えっ? そ、それは、そもそも霊魂なんか、この世に存在しなかったからじゃないでしょうか?」

「違うね。天才発明家の二人は研究するうちにスピリットフォンの危険性に気付いたのさ。スピリットフォンを作れば未来が危ないと悟ったんだ。だから研究を断念して敢えて完成させなかった。そして二人が危惧した未来が今現在だ。故にサイキックハッカーは現代に必要不可欠となる」

「はっ? はあ……」


 なんだ、この人?

 もしかしたら百条さんが言ってた人じゃないのか?

 確かによく見たらエンジニアにもプログラマーにも見えない。

 本物のエンジニアさんは奥の部屋か?


 そう考えてたら、その人はデスクチェアから立ち上がり、横着にもソファーの背を長い足で跨いで、俺の対面にドカッと座った。

 そして、こう自己紹介する。


電子情報通信網インターネット霊障専門霊媒師。略して電網霊媒師でんもうれいばいし斎波さいば素近そこんだ。よろしくな」

「デンモウレイバイシ?」


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