File1 デジタルスペクター

第1話 真夜中の起動

 宙を舞ってるような感覚が襲う。

 壁を何枚も擦り抜けた。

 古いコンクリートの壁だ。

 そして全く見慣れない光景が続く。

 ここは何処なんだろう?

 何かの建物の中だろうか?

 瓦礫ばかりで情報を得れる物が何もない。

 嫌な予感。ひどく胸騒ぎがする。

 心臓が危険を知らせてくれているのだ。

 ここを一刻も早く抜け出したいが、身体が思うように動かせない。

 焦っていると突然、聞き慣れない言葉の怒号と、絹を裂くような悲鳴が耳に届いた。

 足下の薄汚れたコンクリートの床面を、赤い液体がじんわりと染めて行くのが見える。

 そして……あれは――



 ◇ ◇ ◇ ◇ ◇ ◇ ◇ ◇ ◇ ◇



 脳内が麻痺状態なのか、今の俺はまるで海遊びの罰ゲームで砂浜に埋められているかのように指一本ピクリとも動かせずにいたが、目と耳はちゃんと機能しているみたいで、暗闇を照らす月明かりのような四角い光と、「ジー」という小さな蝉の鳴き声のようなファン音をベッドの上でしっかり捉えていた。

 明らかに卓上のノートパソコンが起動している。

 まだ夢の続きを見ているような虚ろな寝ぼけ頭でも、その事はちゃんと認識できていた。

 時間は恐らく午前三時ぐらいだろう。

 時計を見ずとも、何となくそれが感覚で分かった。

 昨夜の事を思い返してみたが、昨日は残業で帰りが遅かったし、友人を招き入れた記憶はない。だからこの部屋には今、絶対に俺しかいないはずだ。

 眠りにつく前、パソコンの画面は確実に消えていた。

 故にパソコンは真夜中、眠っている間に勝手に起動し、ひとりでに動いている事に成る。

 額に嫌な汗が流れる。

 なぜ、パソコンは誰も触っていないのに、ひとりでに動いたのだ?

 まさか…………と、一見すると怪奇現象に思えるが、実はコレ、以前も経験してるんだよね。

 しかも、あんまり思い出したくない苦い思い出だ。

 忘れもしない、あれは俺が一人暮らしを初めたばかりで、まだ世間知らずのおバカ学生だった時の事。後から聞いたら友人はみんな知ってたのだが、何でもパソコンの電源を切らずにスリープ状態のままにしておくと、夜中にデータ更新やメンテナンスで勝手に起動する事があるらしい。そんな事を露も知らなかった俺は、お化けだと勘違いして手加減抜きでパソコンに枕を叩きつけて破壊しちまったのだ。それが親父に入学祝いで買ってもらった新品のパソコンだったもんで、こっぴどく叱られたんだよな。

 けどさあ、まだガキんちょだったんだから仕方ないでしょうよ。

 万が一そのパソコンの画面にグリッチノイズが発生して、中から長い髪の女性が這い出て来たらどうすんのよ?

 たとえそれが有名なあの御方でも、握手を求めたり、ウエルカムドリンクを差し出すような奇特な人はいないでしょ?

 親父には悪いが、あの時の俺の対処は枕投げがベストチョイスだったんだよね。

 あれから6年、すっかり落ち着いた大人に成長した俺は、常識を身につけ、非科学的な物は信じなくったし、もしも、もしもの話だが、本当にお化けがパソコンから這い出て来たとしても、枕を投げつけるような愚かな行為は絶対にしないでしょう。

 まあ、お化けなんて、この世に居るわけないんですけどね。ましてや現代科学の結晶とも言えるパソコンから、お化けが這い出て来たら今世紀最大の喜劇ですよ。

 なーんて、くだらない事も考えられるし、だいぶ頭も冴えてきた。

 しっかし、今日の金縛りは実に長い。

 最近仕事が猛烈に忙しくて不規則な生活が続くもんだから、よく金縛りを起こす。

 この金縛り現象って、眠りが浅いレム睡眠状態の時に偶に起こる現象らしく、意識が有ってもまだ完全に目覚めた状態じゃないから、脳からの電気信号が正確に送れず、それで手足が動かせないのだとか。何かのクイズ番組で大学教授が真面目に語っていたから本当の事なのだろう。でも何時もなら、ここまで頭がしっかり回転したら手足を動かせるように成るんだけどなあ……まあ、いいか。

 それにしても寝汗が酷いな。

 何の夢見てたんだっけ、俺?

 凄く怖い夢だったのは間違いないんだけど、肝心の内容がさっぱり思い出せない。

 いや、思い出すと怖いから別に良いんだけどね。

 ああ、勿論俺は大人だから、お化けなんて信じてないので、お化けの夢なんか怖くないんだけどさあ。うん。怖くない、怖くない。だから、お化けの夢なんか見なくて良いからな、俺。


 「ふあぁぁぁぁぁぁ……ふぅーん」


 金縛り中でも欠伸は出るんだな。

 なんかパソコンの明かりをずっと眺めてたら、また眠く成って来たよ。

 ファン音が子守り歌に聞こえる。

 よし、寝よう。明日早いから。

 でも本当、何の夢だったかな……何の……夢――



 ◇ ◇ ◇ ◇ ◇ ◇ ◇ ◇ ◇ ◇



 深い暗闇の中を堕ちる感覚がした。

 暗闇を抜けても宙に浮かんでいる気がする。

 辺りを見回すと、いつの間にか古いコンクリートの壁や天井に囲まれていた。

 ここは何処だろう?

 思い出した。さっきの夢の続きだ。

 足下の床面は、先ほどよりも広範囲に赤く、深く染まっている。

 血だ。

 間違いなく、これは血溜まりだ。

 否が応でもそれが分かった。

 何故なら、その血溜まりの中に人間の指や目玉が転がっていたから……――

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