第九話 collusion(後)
主役といってもいいすみれの声に、集まっていた生徒たちは揃って声の主の方を向き……そして、凍り付いた。
「え……く、首輪……リード……?」
「あれって噂の転入生だよね……?」
「す、すみれ様……?」
正確には、まるで当たり前かのようにリードを握る氷堂すみれと、そのリードにつながれすべてを諦めたかのような表情を浮かべる転入生ベルルイレ・ゼトを認識したこの場の人間は皆一様にフリーズし、やがて口々に困惑の声が漏れた。
「それで、一体なんの騒ぎ?」
「いや……無理だから。この流れであたしに触れないのは無理だから」
生徒たちの困惑を気にも留めずに話を進めようとするすみれに思わずツッコミをいれるベルル。それがきっかけで正気を取り戻したのか、ベルルの口から今まで忘れていた抗議がついて出る。
「だいたい、なんでこんな人前でリードつないだりするの? 頭おかしいんじゃないの!?」
「主人に向かってその口の利き方はなに? 教育が必要かしら?」
「教育不足なのはアンタの常識でしょうが……!」
「……他の生徒の認識上、貴女は本校初の異種族……ということになるわ」
ベルルの声をさらりと流し、すみれはなぜわざと他人に見られるように首輪をつけたベルルを連れ回しているのかの理由……というか建前の説明を始めた。
アスノティフィルが入学時から認識改変の魔法を駆使して自分が異種族であることを隠してきたのとは対照的に、ベルルイレはこの日転入生として挨拶する時から自分の姿を偽らず龍族としての特徴を隠さずに過ごしている。それ故、一部の生徒を除く未だアスノティフィルの正体を知らない大多数にとってベルルイレこそが学園初の異種族であるというのは事実だった。
「生物として圧倒的に優位にある異種族を怖がっている子も多いわ。だからこうして貴女と私の立場を周知させて皆を安心させているの」
「どう考えてももっとマシな方法があると思うんだけど……? というか現に安心どころか混乱を招いているんだけど……?」
「はぁ……そもそも前に言ったでしょう? その首輪の強制力は大したものじゃないと。それでもリードが外れていないということは、貴女自身が本心では受け入れているということ」
「な……ち、ちが……」
「いえ、むしろ望んでいるのかしら? こうして私との仲を他の人間に見せつけることを」
まるで深層心理を見透かすかのような言葉を耳元で囁かれたベルルは無言でリードを取り外し、頬を赤くし涙目ですみれをキッと睨んだ。
「……違うから」
そんな、あまりに弱々しい敵意を受けてすみれは、ただ一言。
「可愛い」
……そんな一連のやりとりを見せつけられた生徒たちは、荒れた。主に言い争っていた集団の片割れは七志明日乃やそのファンたちとの諍いなど彼方へ吹き飛ぶほどの衝撃を受けていた。
「副会長……そ、その転入生とは……どういう……?」
「あ、あの氷堂さんが……あんな……」
「な、なぜあんなぽっと出が……」
「すみれ様! 私は首輪もリードも嫌がりません! だ、だから……」
ベルルとの関係を問う者、抱いていた氷堂すみれ像が打ち砕かれる者、ベルルに嫉妬する者、自分の方がペットとして優れていると主張する者と、反応は様々だった。中でもにじり寄ってきたペット志望者に対してすみれは顔色一つ変えずに口を開く。
「人間を飼う趣味はないわ」
「そんな……」
「さ、差別発言……って、なんでアタシを睨むのよ! 文句はすみれに言えばいいでしょうが! アタシは代わってほしいくらいなんだからね!」
理不尽な視線に反発するベルルをよそに、すみれは話を戻そうと辺りを見渡し……事態を傍観していたある生徒に目を留めた。
「阿須賀。結局何があったの?」
いきなり話を振られたのは、阿須賀日向。彼女を選んだのは事情通かつ公平な説明をしてくれるだろうというすみれの判断だが、それは正しいと言えるだろう。
「え、あー……えっとね、この前生徒会室でみーれんとあすのんが言い争ってたって噂が広まって……ほら、昔からわたしらの代の会長はみーれんで決まり! みたいな空気があったでしょ? なのにあすのんが高等部編入してみーれん不在の選挙で勝っちゃったもんだから一部の子たちで不満が溜まってて……それが今回ので爆発しちゃって……」
「へぇ……それは、哀しいな」
「あすのん!?」
「アスティ……」
「……アスノティフィル」
騒ぎを聞きつけたのか、もう一人の主役であるアスノティフィル・ナナークーシャがこの場に姿を現した。その傍らには揺川未姫と藤村燐華の姿もあった。
「……みんなが私とすみれのことを想って争っているのなら、こんなに哀しいことはない」
言いながら、アスノティフィルは一歩ずつすみれのもとへと近づき、あまりに自然な動作ですみれの黒髪をすくった。
「私たちはこんなにも想い合っているというのに」
普通の、それこそこの場にいる人間がされれば顔を赤くして俯くような行為をされたすみれは一切動じず、瞳を正面から見つめ返して右手をアスノティフィルの頬に添えた。
「そうね。私たちの間柄は、余人に案じられるような浅いものではないわ」
その光景の宗教画のような美しさに、集まっていた生徒たちは皆息を呑んだ。もはや、誰も下らない争いを続ける気など持っていなかった。
「ちょ、ちょっとアスティ! 近いんじゃないの!? っていうかアンタたち匂わせるほど深い仲じゃないでしょうが!」
「まぁ、今はそうかもしれないね。ペットのベルルちゃん。でもなんだ、ご主人様と私が親密だとベルルちゃんは困るのかな? 寂しくなっちゃうのかい?」
「殺す……」
「仕方ないなぁペットのベルルちゃんは。ほら、寂しいなら私の胸に飛び込んで来なさい。好きなところを撫でてあげよう。ほらほら」
「絶対殺す……」
畳みかけられるやりとりに、またも生徒たちは混乱する。副会長だけでなく会長とも親密なベルルイレを羨む者、素性を気にする者、脳裏に刻まれた先ほどの光景に思い馳せる者──
「いや、爛れすぎでしょ」
冷静にそう評する者は、この場に阿須賀日向しかいなかった。
ーーーーーーーーーーーーーーーーーーー
この学園の生徒で、帰宅の道が寮ではないのは二人しかいない。即ち、寮ではなく敷地内の氷堂の屋敷に住んでいるすみれと、共にそこで生活することになったすみれだ。
「ねぇ、なんでそんなに異種族に拘るの?」
必然、二人きりになる帰路の途中、ベルルはそんなことをすみれに聞いていた。今日、すみれのファンが自分の代わりになろうと言い寄った時、彼女は人間だからという理由で突っぱねた。逆に言えば、異種族には固執しているということになる……という考えの上での疑問だ。
「……乳母の話、したでしょう?」
少しの躊躇いの後、すみれはベルルに詳しく話すことに決めた。ここで口をつぐむことはベルルに後ろめたく思いもしたし、何よりここで言葉を濁せばまるで自分が過去を引きずっているように思えてしまうことが嫌だったのだ。
「あぁ、アンタに加護を残したっていう……」
「私は体質が特殊でね、特に幼い頃はある程度力のある異種族に面倒を見てもらわなきゃならなかった。そんな私におじいさまが紹介してくれたのがあの人なの」
遠い目でそう語るすみれは、ベルルの目にはどこか寂しそうに映った。
「彼女には多くのものを貰ったわ。今でも彼女とおじいさまだけが私の家族」
「でも今は……」
「そうね。あの人は私の元を去った」
「だから……その人の代わりを求めてるってこと?」
「不満?」
今までにない感情を滲ませるベルルに、すみれは不敵な笑みで聞き返す。そのことについて、彼女に悪びれるつもりはなかった。これまでベルルを好きなように扱ってきたのは一貫して自分のエゴであり、それを曲げようとはしなかったのだ。
「……ねぇ」
「なに?」
「アタシなら、今のものよりもっと強力な加護を付与できる」
その言葉を聞き、すみれの顔に少しばかりの驚きが漏れた。対して、言った方のベルルは自分が今何を口走っているのか、ほとんど自覚がなかった。
「ダメね」
「っ……」
「加護と称して不都合なものを仕込まれたら、私に為す術がないもの」
「そんなこと……」
不満を言いかけて、ベルルは口を噤んだ。自分が今言葉で何を語ろうとも信用ができないと、すみれがそう言っていることはベルルにも察せられたのだ。
「いつか……塗り替えるから」
へそを曲げたようにそう言って、ベルルは足早に歩き去って行く。騙されたことへの復讐や大人しく元の世界へ帰るなどという考えがベルルの頭にないことを、すみれは歩くベルルの背を見ながら微笑ましく思った。
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