3 ぶつかり合う意思

 皆が息を詰めたまま、言葉を発しない。永遠にも思える沈黙の末、最初に口を開いたのはディルガムだった。


「それで、アースィムはどう対処しようと思っているんだ」

「妻を救い出します」


 間髪を入れずに答えたアースィムに、シハーブがやや上ずった声で返す。


「救うって……。ディルガムさんもしっかりしてください。こんな話を信じるのですか?」

「アースィムが嘘を吐く理由はないだろ」

「それはそうですが……。もし真実だとしても、皇女様はもう敵なんですよ! むしろ、白の氏族は彼女を討って、この騒動に終止符を打たなければ」

「敵ではない」


 反射的に切り返す。シハーブの瞳に浮かんだ不服を察し、アースィムは額を押さえて深呼吸した。


「敵ではないのです。彼女は進んで精霊王せいれいおうの元に残った訳ではありません」

「どうしてそう思うんだい」


 紫の氏族長ルクンが、穏やかな声音で言った。彼は、アースィムの父方の従兄いとこでもあり、父と同様、曲がったことを許さぬ厳格な空気を纏っている。


 アースィムはルクンの夜色の瞳を見据え、断言した。


「彼女は自由を好み、広大な砂漠を愛していました。砂竜とも心を通わせ、彼らを心底慈しんでいます。ラフィアが砂竜族を貶めるなんてあり得ない。それに、精霊王の元で最後に言葉を交わした時、彼女は隠れて泣いていました。これは彼女の本意ではないのです」


 ラフィアは、アースィムが差し出した高山花を受け取ってくれた。贈り物とも言えぬほどの素朴な花だが、最初の新婚旅行の日に交わした約束を象徴する花だ。砂竜族さりゅうぞくやアースィムに対し、ほんの僅かな気持ちすら残っていないのならば、投げ捨て踏みつければ良かったはず。


 従弟いとこの言葉に耳を傾けていたルクンはしかし、手元の杯を指先で揺らしながら冷静に言う。


「でも、それは君の願望だろう。いわば、都合の良い解釈だ。確かに昔は砂漠に愛着を持っていたのかもしれないけれど、今もそうであるという保証はない」

「ええ、ルクン従兄にいさんの言う通りです。しかし可能性があるのならば、かけてみるより他に、事態を早期に収拾させる道はありません」


 ルクンが片眉を上げる。


「つまり?」

「ラフィアは精霊王が見込んだ、彼自身の後継者です。精霊王の力に打ち勝つことができるのはこの世界でラフィアだけでしょう。だから、彼女が俺達の側についてくれるのであれば、これ以上心強いことはありません」

「でも」


 シハーブが口を挟む。


「もし失敗して、砂竜族が壊滅するようなことになったら」

「もしそうなれば、全ては俺の責任だ」


 決意の言葉を耳にして、ディルガムが気まずそうに頭を掻いた。


「うーん、アースィムが責任を負うって言ってもなあ、その時には皆とっくに砂と水に還っているかもしれないし」

「赤の氏族長の言う通りだ。それに、我々青の氏族は、せっかく築いた財産を遥か東の砂上に置き去りにして来ているのだよ。今頃下賤な他部族の盗人に略奪されているかもしれない。返還や補償のことを考えると、騒動終息後に砂竜族が諸悪の根源とみなされている状況は好ましくない」


 赤と青の氏族長の否定的意見を受け、紫の氏族長ルクンも熟考の末頷いた。


「今までは砂竜が目を光らせていたからこそ、他の部族を脅威に感じることはなかった。でも、砂竜が僕たちの指示を聞かない状況下では、話は別だ。これ以上、他部族につけ入られる隙を作る訳にはいかない。一刻も早く、砂竜族から出た諸悪の根源であるアースィムの妻を廃さねば」


 諸悪の根源。アースィムは固く拳を握り締めた。理性では、各氏族長の懸念はもっともだと理解している。しかし感情は追いつかない。


 ラフィアは悪ではない。そして、全てを解決する糸口は彼女の力にしかない。短絡的にラフィアを排除してしまっては、取返しのつかない事態になるかもしれない。


「どうしてわからないのですか」


 身体中が激情で沸騰したようになり、思わず声が漏れた。


「精霊王を止めなければ、砂竜族はマルシブ帝国内に住処を失うのですよ。西の草原地帯を統べる騎馬民族とは、三年前に苛烈な戦いがあったばかりです。彼らが、敵である砂竜族に生きる場所を分け与えてくれると思いますか?」

「それは……」


 再び沈黙が訪れる。これでは埒が明かない。アースィムは苛立ちを抑え切れず、勢い良く腰を上げた。その時だ。


「私は賛成ですけどねぇ」


 緊迫した空気を呑気に揺るがして、気怠そうな女の声が割り込んだ。


 声の主に視線を向け、意外な姿に思わず目を丸くする。彼女はアースィムに物言いたげな視線を投げ、それから焚火を囲む男らに冷たい目を向けた。


「皇女様が怖いんですか? 族長なのに情けない」

「誰だこの女」

「カリーマ」


 声を荒げそうになった青の氏族長ブルハンの肩を押さえ、アースィムは女の名を呼んだ。ラフィアの師匠でもある医術師カリーマは、大小の本を抱え、炎の朱が踊らせる影の中、不遜にも欠伸を噛み殺した。


「アースィムも情けないね。妻一人守れないなんて、族長の地位を追われて当然だよ。……ほら」


 唐突にカリーマが差し出した本を受け取り、戸惑いつつも表紙の文字を目でなぞる。


「『精霊王』『精霊の生態』『異種婚姻譚』『水蒸気と精霊』……」

「戦うならね、まずは敵を知らなきゃダメなのさ。そんなの基本中の基本だろ。アースィム、そんな腰抜けどもは放っておいて、調べるよ。精霊王のことと、皇女様がいそうな場所を」


 あまりにあっけらかんとした言葉に、しばし絶句して、我に返ったアースィムは声を上げる。


「カリーマ、どうして」

「当然でしょ」


 カリーマは素っ気なく答えた後、天幕の方へと足を進める。それ以上の回答はないのかと思ったが、やや行ったところで思い直したように立ち止まり、肩越しに振り向いた。炎に照らされた瞳は活力に満ち、爛々と光っている。


「精霊王を止められるのは、同等の力を持つ水神の眷属だけ。切り札となるかもしれない人間にあえて嫌われに行くのは得策じゃないでしょ。それに、皇女様は自由気ままな暮らしが好きなんだ。進んで誰かの言いなりにはならない。あと、アースィムを裏切ることも絶対にない」

「カリーマ」

「皇女様ってば、アースィムと仲良くなってから毎日幸せそうで、こっちがうんざりするくらいだったんだからね」


 ああ、思い出すと胃もたれが、とぼやく医術師の痩せた背中を見て、アースィムは全身を沸き立たせていた憤りが収まっていくのを感じた。


 カリーマの言う通りだ。誰が何と言おうと、ラフィアがアースィムに背を向ける可能性などない。何があろうとも、絶対に。

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