15 恵みの風

「ええと、青玉の耳飾りだったわね。これかこれか、この辺りはどうかしら」


 躊躇いもなく、宝石箱をひっくり返す。後宮ハレムでは、他の皇女や父の愛妾らと比べて特別多くの装身具を持っている方ではなかったものの、改めて見るとかなりの数がある。砂に敷いた質素な絨毯の上に散らばる色とりどりの金銀宝玉の図は、異様なことこの上ない。


「あんたこれ、盗まれないようにしなさいよ」

「大丈夫。集落の皆は善良だから」

「そりゃ、皇女から物盗んだら極刑でしょうからね」

砂竜さりゅう族は誇り高い部族なの。盗みなんかしないわ」

「一人くらい悪人はいるでしょ。いつか足元を掬われても知らないから」


 ラフィアは精霊ジンの小言を聞き流し、高揚した気分で耳飾り選びを楽しんだ。後宮で、母や姉妹と共に出入り商人からのお買い物を楽しんだ過去が思い出される。


「これなんかどうかしら」


 金の台座に、爪ほどに大きな青玉が埋め込まれている。その下には一回り小ぶりな青玉が連なっていて、風が吹けばしゃらしゃらと涼し気な音が聞こえるはず。豪奢な意匠の耳飾りだ。


 好んで豊満な美女の姿を取るこの精霊はきっと、華美な物が好きなのだろう。そう考えて、あえて派手な品を選んだのだ。


 ラフィアは耳飾りを掲げ、精霊の耳元へと近づける。色香を漂わせる、血色の良い丸い頬を彩るのは、赤みを帯びた見事な金髪である。炎のように爛々と輝く瞳も同色系であり、青玉が良い差し色になると言えばそうなのだが。 


 ラフィアは宝玉と精霊の容貌を交互に見遣り、首を傾けた。


「青玉も素敵だけれど、紅玉も似合いそうよ?」

「あー、別にあたしに似合う必要はないの」


 精霊の真意がわからず、ラフィア軽く柳眉を顰める。


「どういうこと?」


 精霊は答えず、絨毯の上に散らばる宝石の山から、比較的簡素な耳飾りを手に取った。


 光を集めやすい形状に切り取り研磨された小さな青玉が、金の台座に可憐に座している。上質な品であることは確かなのだが、絢爛さには欠ける。


「それで良いの?」

「駱駝や砂竜に乗るのなら、あんまり重たいのはだめでしょ」

「あなたも駱駝に乗るの?」

「ああもう、鈍感ね!」


 精霊の頬に朱が差す。彼女はラフィアの鼻先に耳飾りを突き出して言った。


「あんたの精霊になってやるってことよ! これを身に着けるのはあんたなんだから、その青い瞳と同じ色の宝玉が良いと思った訳」

「私の精霊って……どうして」

「何よ、文句ある? このあたしが仕えてあげると言っているのよ、感謝しなさい。雑用もしてあげるし、水底に沈んだいにしえの財宝だって拾って来るわ。あんたをお金持ちにしてあげることも出来る」

「いらないわ」

「なんで⁉︎」


 唾を飛ばさんばかりの剣幕で精霊が詰め寄ってくる。ラフィアは悪びれずに答えた。


「自分のことを自分でするのが楽しいの。掃除も水汲みも糞拾いも全部。それに砂竜族は遊牧民だもの。骨董品みたいな物を貰っても持っていけないし、それこそ金貨なんて重すぎるわ」

「贅沢な皇女様ね! それならそうね、あたしは何にでも化けられるの。あんたの好みの男に姿を変えて毎日毎日甘やかしてあげる!」

「いらない。アースィムがいるもの」

「馬鹿ね、人間なんてすぐ老いるのよ。腹がぶよぶよになった中年男なんて、醜ことありゃしないんだから!」

「アースィムの贅肉なら愛せるわ」

「ぐぅっ⁉︎」

「そもそもあなた、どうして私の精霊になりたいの? 私は元皇女だけれど、宮廷には何の伝手つてもないの。あなたの役には立てないわ」


 精霊は一気に消耗したようで、肩で息をして呼吸を整えた。最後に盛大な溜息を吐いて言う。


「……生存戦略よ。最近、精霊の住処となる水場が減っているし、このまま何十年かしたらあたし達は絶滅するか、超絶希少種族になっちゃうわ。死ぬよりは物に憑いて誰かに使役される方がマシなのよ。あんたは訳ありみたいだし、一緒に過ごしたら楽しそう」

「訳ありって、私が初代皇帝の血を色濃く受け継いでいるから?」

「まあ……そうと言えばそうねえ」


 何やら歯切れが悪い。ラフィアが首を傾けると、精霊は頬を掻きながら虚空に視線を彷徨わせ、やがて躊躇いがちに言った。


「ねえ皇女様、自分がどうして水神の眷属と会話ができるのか知りたくない?」


 ラフィアは言葉に詰まる。自身を悩ませ、時に励ましてくれたこの力。ただの先祖返りであると一言で片づけてきたのだが、どうも奇妙な点がある。兄弟姉妹の中には、勘が鋭く、水が発する言葉を微かに感じ取ることが出来る者もいるようだが、ラフィアほど明瞭に水と会話をすることは誰一人としてできぬようなのだ。


 平凡な旅芸人である母から生まれたラフィアだが、なぜこのような特殊な体質であるのか、気になっていないと言えば嘘になる。


 心の揺れを察した精霊は、ラフィアの表情を覗き込む。


「真実は時に、人生を大きく変えてしまう。それでも良ければ教えてあげる」


 ラフィアは意図を汲み取れず、ただ真っ直ぐに、精霊の燃えるような色の瞳を見つめた。


「あんたは、自分が思っているよりもずっと価値がある存在なの。それこそ、砂漠中に影響を及ぼすような、大きなことを成し遂げるだけの力があるわ。だけどその道を進めば、平凡な人間としての幸せからは遠ざかる」

「何かの冗談ね?」

「冗談じゃないわよ。だけどまあ、そのうち嫌でも選択する時が来るでしょうから、あんたにその気がないのなら、今は何も聞かなかったことにしておけば良いわ。一つだけ言えるのは」


 精霊はどこか不敵な笑みを浮かべた。


「あなたには可能性がある。信じるもののために大きな行いをすることも、平穏な幸福のために小さな善行を積むことも。どちらでも自分で選び取る権利がある。その力の使い方は、あなた次第なのよ」


 思考が追い付かずに黙り込むラフィアの眼前で、耳飾りを掲げる精霊の指に靄がかかり、滑らかな肌が霧散して、指先から順に青玉に吸い込まれて行く。


 幻かと見紛うほどに、神秘的な光景である。


 やがて全ての霧が青玉に収斂しゅうれん。絶句するラフィアの足元に、ぽとりと音を立てて耳飾りが転がり落ちた。混乱の渦に吞まれつつも、ラフィアは膝を折り、ひんやりとした耳飾りを拾い上げた。


「いったい何がどうなって……」

「はい、これであたしとあんたは運命共同体!」


 突如、青玉から声がした。間髪を入れずに先ほどとは逆流するように霧が吹きだして、いつもの豊満な赤毛女性が姿を現わした。


 普段は図太いラフィアといえど、中身が飛び出るからくり箱を開けた時のようにびくりと全身を震わせたきり、驚きの声すら上げられない。精霊はそのようなことにはお構いなしで、強引にラフィアの手を取り指に口付けをしてから額に押し当てた。


「皇女……いえ、ご主人様。あたしに名前をくださいな」

「ご、ご主人様……」


 とんだ押しかけ女房だ。当惑するラフィアに、精霊は容赦ない。


「何度言わせるの。水神の眷属である偉大な精霊が、仕えてあげると言っているのよ! 可愛い召使いに名前すらくれないの? 虐待よ!」

「ああもう、わかったわ。名前、名前ね……」


 ラフィアは、眼前で騒ぎ立てる美女を観察し、出会いの夜を思い起こす。


 星夜の微光を照り返して煌めく、オアシスの水面みなも。さやさやと揺れる水の音と、全身を撫でる柔らかな風。


 あまりの展開に絶句してしまったとはいえ、友人に飢えているラフィアにとって、同性――の容姿をした友を得ることは、望外の恵みでもある。例えそれが、何やら裏がありそうな精霊だとしても。


 ラフィアは精霊の手を握り返し、その名を呼んだ。


「あなたの名前は、恵みの風ハイラリーフ。どうかしら」


 精霊ハイラリーフは瞬きをしてから、何かが解けたかのように微笑み、再びラフィアの指先に口付けて敬愛を示した。


「粋な贈り物ねえ、ご主人様」


 触れた手のひらから、高揚感を帯びた波が伝わってくる。ハイラリーフは紛れもなく水神の眷属であり、ラフィアが幼少の頃より慣れ親しんできた、精霊である。彼女の体内から流れ込んでくる水の波動が、そのことを明瞭に思い出させた。


「まさか砂漠に来て、精霊と仲良くなるだなんて思わなかったわ」

「好奇心旺盛なご主人様の大好きな、想定外の出来事だったでしょ」

「そうね」


 ラフィアは笑みを返して、手を解く。


「よろしく、ハイラリーフ」


 この日、砂漠に佇む小さな天幕で、とある皇女の人生を左右する契約が結ばれた。


 恵みの風を従えた変わり者皇女ラフィアの運命は今、動き始めたばかりである。

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