14 突然の来訪者


「あのー、何か最近の皇女様、幸せそうでちょっと胃もたれなんですが」


 例の如く怪し気な書物を広げ、絨毯に横たわりながらパンを咀嚼するという、まさに傍若無人を体現したような女性が、恨めしそうな目でこちらを見上げている。カリーマだ。


 先日、新婚旅行を切り上げ早々に帰還した族長夫妻。集落は、仲違いでもしたのかと気遣わし気な空気で迎えたものの、無論杞憂である。出立前はあれほどよそよそしかった二人が、今や新婚夫婦感丸出しで目で会話をしたり、ふとした拍子に寄り添っていたりするのだから、集落中の生暖かい眼差しを集めている。


「旅行中にいったい何があったんですか」


 カリーマは冷やかしではなく心底忌々しそうに言い、パンを千切って口に放り込んだ。


 聖地へ向かう新婚旅行を途中で止めたのは、あの旅の目的が、ラフィアに砂漠の脅威を知らしめるためだったからだ。結果的にアースィムの目論見は失敗したのだから、そのまま目的地へ向かえば良いのだが、そもそも進路が異なっていた。はなから、ラフィアを聖地へと連れて行くつもりはなかったようだ。


 憤りを覚えたのは確かだが、ラフィアは生来、細かいことは気にせぬたちである。二人は一度集落へ戻り、改めて旅支度を整えてから直進で聖地へと向かうのが最善と判断し、ひとまず帰って来たという経緯だ。


 だがしかし、例の襲撃事件については当事者間だけの秘密である。何があったのかと聞かれても、答えに窮す。ラフィアは曖昧に微笑んで、はぐらかす。


「特に何もないわ。暑さで具合が悪くなってしまったから、引き返して来たの」

「ただそれだけで、あのアースィムがあんなにデレデレしますか」

「ああ、そのこと?」


 ラフィアは何の恥じらいもなく答えた。


「夫婦になったの」

「は? 元からでしょ」

「アースィムがまだだって言ってたわ。婚礼を挙げてもそれは半分だけの夫婦で、本当は」

「ちょっ……!」


 カリーマは何かを言いかけ、盛大にパン屑を噴き出してからむせた。跳ねるように上体を起こし身体を二つに折り曲げて、苦し気に咳込む。


 ラフィアはカリーマに駆け寄り、隣に膝を突き背中を撫でた。


「大丈夫? 大変だわ。お水持って来る?」

「くだ……さい」


 ラフィアは、本の山の横に転がされていた革水筒を拾い上げ、栓を抜いてカリーマに手渡す。彼女は喉を鳴らし全て飲み干して、大きく息を吐いた。それから数回咳込み調子を整えてから、粘着質な目をラフィアに向けた。


「それ、あんまり人に言わない方が良いですよ。でもまあ、何だか色々と腑に落ちました……と」


 カリーマが顔を上げ、砂竜さりゅうの囲いの方角を見遣る。ラフィアも視線を追えば、顔見知りの少年が大きく手を振りながらやって来るのが見えた。


「おおい、皇女様。お客さんが来てますよ」

「お客さん」


 妙である。曲がりなりにもラフィアは元皇女。後宮ハレムで暮らしていた頃には、それなりに知り合いはいたし、むしろこちらが知らなくとも相手は変わり者皇女を認識しているということが多々あった。


 だがしかし、ここは帝国の西端だ。砂漠地帯を脱してやや東に進んだ先にある帝都から遥々訪ねて来てくれる者など、検討がつかなかった。


「いったい誰なの?」

「知らない。なんだか変な恰好をした女の人です」

「とりあえず会ってみるわ」


 未だ喉の具合が悪いらしく咳払いを続けるカリーマを残し、ラフィアは少年の先導で大天幕へと向かう。集会や来客時に利用する物であり、通常家族で使う天幕の三倍ほどの大きさがある。


 出入り口に立っていた青年が、垂れ幕を巻き上げてくれるのに礼を述べ、ラフィアは室内に入る。そして、絶句した。


 灰色幾何学模様の絨毯の上に、目に痛いほどの原色のうすぎぬに包まれた豊満な女性が座している。砂漠の熱射に肌が焼け焦げてしまうのではないか、と心配になるほどの露出度だ。最低限の場所しか隠せておらず、この装いで過酷な砂漠を渡って来たのだとすれば、正気の沙汰ではない。


 だがしかし、彼女の顔を見た途端、ラフィアは女がここへやって来た方法を悟ることになる。


「あら、素敵な精霊ジンさん! 久しぶりだわ。会えて嬉しい」


 そう。彼女は例のオアシスに住む精霊だ。精霊の本性は水蒸気。同じ水神の眷属でも砂竜とは違い、精神の器としての肉体は持たぬので、万物に姿を変えることが出来る。おそらく、白の集落近辺まで鳥か獣の姿でやって来てから、人間の姿に変化へんげしてラフィアを呼び出したのだろう。


 親密な友人に乏しいラフィアは、ほんの僅かな時間を共に過ごしただけで自分を訪ねて来てくれた精霊にいたく感動し、思わず身を乗り出して、精霊の優美な形状の指を握った。


「私に会いに来てくれたのね。今日はいったいどうしたの」


 喜色満面のラフィアとは対照的に、精霊の顔は険しい。


「どうしたの、じゃないわよ。あんた、いつになったら約束を守ってくれるの。私にタダ働きをさせるつもり?」

「約束?」

「色ボケしてんじゃないわよ! この前も人の家の真ん前で……まあ良いもの見たから別に良いけど、それはともかく。耳飾り。くれるって約束をしたでしょ」

「あ、ええ、そうだったわね。忘れてなんかいないわ」


 嘘である。様々なことがあり過ぎて、すっかり頭から抜け落ちていた。


 ラフィアは精霊を促して、自身の居住用天幕へと案内する。途中、皇女と親しげに会話を交わす奇抜な恰好をした女に視線が集まった。後に、「帝都人は服を着ず、薄い布を巻いて暮らしているのだ」という噂が集落中を駆け巡ることになったとかならないとか。


 さて、大天幕のすぐ側にあるラフィアとアースィムの天幕には今、誰もいない。アースィムは今朝、砂竜イバに乗り放牧地と聖地の巡回に向かったのだ。砂漠の灼熱の中、陽が高い時刻に移動するのは困難であるため、帰って来るのは夕刻になるだろう。


 ラフィアと精霊は二人きり、無邪気に会話を交わす。


 これが、今後の運命を揺るがす重大なやり取りになることなど、この時のラフィアは思いもしなかった。

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