13 オアシスのほとりで
天幕は簡易の物なので、完全に密室というわけでもない。部屋というよりは屋根という表現が近いかもしれない。日除けに毛が生えたようなものである。
先ほどなどは、招いてもいないのに蛇が入り込んできて、ひと騒動あった。だが、そのような小さな騒ぎすら、好奇心旺盛なラフィアの気持ちを高ぶらせるには十分である。
吹き込む涼やかな夜風を頬に感じつつ、絨毯の上に横たわったラフィアは、こちらに背を向けて座り、頭部から砂避けを外しているアースィムに声を掛けた。
「ねえ、今夜は眠れそうにないわ」
何気なく述べたところ、アースィムはなぜか背中を強張らせ、肩越しに振り向いた。
「それは……どういう意図ですか?」
「意図? 特にないけれど、今日は色んな事があったから、どきどきしてしまって眠気が来ないの」
アースィムは視線を正面に戻し、「ああ」と頷いてから、砂避けの布を畳み、絨毯の端に積み上げた荷物の上に置いた。それから右半身を下にしてラフィアの隣に横たわる。
普段から並んで眠りにつくのだが、心なしか今宵は距離が近い。アースィムが心を開いてくれた証のように思え、ラフィアは足裏で絨毯を蹴り、上機嫌にアースィムの側へと近づいた。
「ねえ、今回の旅行の行先だった白の氏族の聖地はどんな場所?」
「聖地ですか。そうですね、風が強い。断崖絶壁になっていて向こう側に遠く海が見えるんです。標高が高いので、集落がある辺りよりも涼しいですよ。これくらいの大きさの白い花が咲きます」
人差し指と親指で乾燥ナツメヤシほどの大きさの円を作り、アースィムが言う。
「今度摘んで来て差し上げます。白の氏族では、大切な人に高山花を贈る風習があるんです」
大切な人。アースィムが躊躇いもなく口にしたことが嬉しくて、ラフィアは頬が緩むのを感じた。
これまでの仕打ちを完全に許した訳ではない。だからこそむしろ、その分を今から補ってもらわねばならぬのだ。
ラフィアは身体をうねらせて、蛇のように這いもう半身分距離を縮める。
暗がりの中でも透き通るような飴色の瞳が、すぐそこにある。その目がラフィアだけを映していることを知り、幸福感に満たされた。
「綺麗な瞳」
思わず漏れた言葉に、アースィムは小さく笑った。
「どうしたのですか急に。それと、あまり密着されると少し困ってしまうのですが」
「なぜ困るの。夫婦なのだから誰に咎められる訳でもないでしょ」
「いえ、何というか……」
珍しく言葉を濁し視線を
「ラフィア、一生砂漠で暮らすこと、後悔しませんか」
「しないわ」
「俺と生涯を共に過ごすこと、夫婦となることも?」
「どうしたの、今さら後悔なんてする訳ないでしょう。そもそも、もう夫婦じゃない」
「いいえ、まだです」
不意に、視界が暗転した。アースィムの胸に抱き寄せられているのだと気づき、ラフィアの心臓は跳ね上がる。身体の熱と匂いに包まれて、反射的に身体中が硬直し、言葉を失う。
沈黙のまま、時が過ぎた。オアシスの水が揺れる微かな音だけが、異様に大きく耳に響いた。
「アースィム、何か言って」
妙な熱が立ち込めた空気に焦れて、ラフィアは身じろぎしながら促した。
ややしてからアースィムが腕を解く。彼の顔を覗き込めば、どこか切なげでいて、何かを堪えるような眼差しが注がれる。色香のようなものを感じ、ラフィアは呼吸を止めた。
直後、後頭部にアースィムの手が回されて、唇が重なった。思ったよりも柔らかく熱い。アースィムの手のひらが髪を撫で、身体の線をなぞりながら腰に触れて、身体をきつく引き寄せられる。
どうしたら良いものか全く見当が付かず、されるがまま身を任せ、ラフィアは口付けの合間に吐息を漏らした。自分の口から発せられたとは思えないほど、艶めいた音に頬がいっそう火照る。
「アースィム、あの……」
呼べば解放されて、ひんやりとした夜気が、濡れた唇を撫でた。夜に浮かぶ飴色の双眸。常に温厚な瞳の奥底に秘められた、獣の如く激情を見る。
「ラフィア、あなたに焦がれてきました。宮殿の中庭で、あなたを一目見たあの日からずっと」
答える間すら与えぬまま、再び熱い口付けが降って来る。身体中が痺れたようになり、思考すら麻痺してしまう。ラフィアはアースィムの背中に腕を回してしがみ付き、そのまま全てを委ねた。
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