1『右目』-7 早すぎた決着

「んぅ……朝……?」


「おぅ、起きたかミサ。意外と早い目覚めじゃったのぅ」


 ぼんやりとしていた意識がその声で急速に覚醒していく。

 目を擦って頬を張り、頭を振ってから声の方向を見やるとそこには瓦礫まみれの壁から漏れ出す朝日を浴びる灰色の髪の少年と――


「ねぇ、聞いてもいいかしらガルザ。なんでセキアさんは縛られて『そんな風』になってるのよ」


 ――彼の椅子代わりになるよう四つん這いになり、首から『反省中』の文字が刻まれた板をぶら下げた悪魔神の『右目』がいた。

 石畳の上で四つん這い。ヒザ、すっごく痛そう。というか涙目になってるけど、それは屈辱からなのかしら、それとも痛み? どっちもかも。


「なんじゃ、覚えとらんのか。凄まじい殺戮ショーだったというに、主演がそれを覚えておらんとは」


「……待って。待ちなさい。なによその殺戮ショーって物騒な言葉。アタシ、そんなコトしてないわよ? ……してないわよね?」


 口にしつつ、記憶を辿る。


 えぇっと、たしか昨日……昨日でいいのよね?

 悪魔神を倒しに行ったらバラバラで、完全復活させるために魔壊都市グロリアス・アイに乗り込んで、『右目』のセキアさんと戦うことに――厳密には直接じゃなくって部下と戦う感じだったと思うけど――


 ……うん、そこからの記憶がない。またアタシはトリップしちゃってたみたい。


「いや、見事な演舞じゃったと感心したぞ。貴様はやはり歴代でも最強の勇者なのではないか? これは殺されるのが楽しみじゃ、我が肉体の回収のモチベーションも上がろうというものよ」


 なんてことはないぞ、とガルザはアタシの覚えていない昨日の出来事を話してくれた。

 それはもう、ホントになんてことない話だった。だって要約するとアタシが3000体目くらいの悪魔を倒した所でセキアさんが泣きながら降伏したってだけの話だし。


 ……降伏、早くない? だってあと2000も残ってたんでしょ?


 そう言うとガルザはガハハと品の無い声で笑った。


「貴様の基準ではどうか知らぬが、ミサ。貴様はこの都市の精鋭たる上位悪魔の半数以上を殺したのだぞ? それも石化や病魔に冒された状態でな。数時間に及ぶ戦い。いや、あれは本当に愉快であった。我が『右目』ながらこのセキアのヤツが青ざめていくのと対照的に血に塗れて赤く染まる貴様のなんと美しきことよ」


「――――っ!?」


 ガルザは笑いながらセキアさんのお尻を引っぱたいてもう一度笑った。

 ……子どもの姿とはいえ、女の子のお尻を無遠慮に叩くなんてセクハラじゃないかしら? あれ、でもセキアさんは悪魔神の『右目』で実質自分自身なんだし自分のお尻を叩いただけなのかも……?

 悪魔の価値観もだけど、彼ら彼女らの関係性はよく分かんない。だからアタシはそのことについては努めて無視することにした。


「しかしミサ。貴様も大概イカれた人物であったのだな」


「は? アタシのどこがイカれてるっていうのよ」


 失礼かつ無視できない発言。その言葉に反応したアタシを心底愉快そうに眺めながら彼は言葉を続けた。


「悪魔という存在の業が深いのは理解できる。そして貴様ら人間にとって憎い相手であることもな。だが、あれほどにまで悪魔殺しに対し悦に浸る人間はそうはおらぬぞ。儂は人間の感情の機微には疎いが、どうもあれは憎しみだとか復讐心だとか、そういった類のものとは思えぬ。純粋な快楽じゃ」


「それの何がおかしいってのよ? アタシの趣味は悪魔退治と人助けよ?」


「趣味! 趣味か!」


 ホントに何がおかしいのか分からないけど、アタシが言葉を返すたびに可笑しそうにガルザは笑う。その度彼の体は揺れ、椅子代わりになってるセキアさんが声にならないようなか細い悲鳴を上げた。やっぱり痛いんだ、ヒザ。痛いよね、石畳だもん。


 どうも要領を得ないガルザ。

 ちょっとだけ考えて、そうかとアタシは思い至った。

 彼は悪魔、それも悪魔神だから人間の価値観が分からないんだ。だからアタシのことが奇妙に見えるんだ。


「いい、ガルザ? 人間ってのはね、そういうものなのよ」


「ほう? そういうものとは?」


「人間って、『人間以外を殺すことが気持ちいい』の。食べるためでも、ましてや身を守るためでもなく、快楽のために生き物を殺すのが人間って生き物なのよ」


 例えば釣り。例えば狩り。元来は食料確保を目的としたそれらはけれど、農耕や畜産の技術が発展した今となってはよっぽどの田舎だったりそれを生業としてる一部の例外的な人達を除けば娯楽でしかない。


 人間は、『殺すことを楽しいと感じる』生き物なの。


 それを説明してやると、どうしてだかガルザは酷く笑う。


「凄まじいのぅ、貴様。アレを、昨日のアレを趣味と言うか! そしてそれを人類全ての業であると宣うか!」


「業もなにも、事実だもの」


 笑い続けるガルザ。やっぱり悪魔ってよく分からないや、とアタシは思った。


 それより。


「セキアさんはなんで降伏したの? それとレイラさんはどこ?」


 比較的……まぁ、まだ話の通じそうなちっちゃなメイドさんの姿が無いことと、女王を名乗っていたセキアさんの今の姿に対し疑問をぶつけるとガルザは笑いを抑えながら答えてくれた。


「レイラは生き残れた幸運な悪魔の確認や屋敷外の被害確認に行っておる。多分支配下の人間の状況整理もしておるんじゃないかのぅ。セキアは……まぁ、これは自分で言うべきじゃろ。ほれ、昨夜も言うた言葉をもう一度言うのじゃ」


 イヤな、それはもうイヤな悪魔の様な笑みを浮かべてセキアさんを促すガルザ。

 あ、セキアさん泣いちゃった。俯いたまま石畳に涙をぽろぽろ零してる。

 酷い。悪魔か。悪魔だったわ。

 泣いてる側も、泣かせてる側も。


 悔しそうな嗚咽を何度かした後、セキアさんはゆっくりと。


「だって……怖かったから……あんな風にっ、うぅ……ただの人間に、『勇者』だからってウチの近衛が……ぅぁぁぁあああっ……」


 最後は言葉にならないくらい、本当に本格的に泣き始めちゃった。

 ていうか、怖かったから、しか聞き取れなかった。それも濁音交じりのダミ声。

 よっぽど怖い思いをしたみたい。かわいそう。


「ガルザ。アナタこの子に何したのよ」


「嘘じゃろ……」


 詰問するとガルザは信じられないものを見る目でアタシを見てきた。

 な、なによ。アタシはこの子自身には何もしてないじゃない。だったら必然的にアナタが原因でしょう? レイラさんが自身の部位であるセキアさんに酷いことするとは思えないし……。


「……それよりミサよ。そんな些事より貴様に朗報じゃ。見よ、儂の右目をな」


 そう言って、話を無理矢理方向転換させるガルザ。

 ……まぁいいわ。これが人間の女の子相手だったらちょっとどうかと思うけど、相手は悪魔なのだし。ここは素直に流されてあげるとしましょう。


 長く伸びた灰色の髪の奥。

 そこに輝くガルザの瞳は右目だけ深紅に染まっていた。


 左目は髪と同じ灰色。虹彩もなく、まるで洞穴を覗いてるみたい……悪魔だからって見た目を気にしてこなかったけどちょっとキモいわね、この左目。


「見よ、どうやら屈服させた部位を儂は自由に使うことが出来るらしい! それもその部位を取り込まんでもな!」


 へぇ。そういうものなんだ。てっきり文字通り体の一部として吸収するものだと思ってたけど、そうじゃないのね。


「儂は『脳』じゃからの。一部の例外を除けば全身に対する絶対命令権を持つのじゃ。じゃが、どうもこの『右目』の出会いがしらにそれを行使してみても上手くいかなかった」


 そんなことしてたのねアナタ……。

 もしそれが上手くいってたら、会った瞬間にほとんど彼女は完全に屈服させられてたってことになるからその言葉にきっと嘘はないんでしょうけど、でも面倒なシステムね、それ。


「しかしどうじゃろう。この『右目』が降伏した途端、強制的にセキアを動かせるようになったではないか。やはり屈服させることが重要らしいの、それも儂自身でなくとも良い、儂の前で心を折れさせることが肝要みたいじゃ」


「……それで、セキアさんはそんな姿勢にって訳ね。つまり逆らった罰ってこと?」


「いや、そうではない。儂は寛大な神じゃ、特に自分自身には甘い。反逆程度で腹を立てるほど小さな器ではないわ。これは石造りの建物に直に座ると尻が冷えるからそうしたというだけのことじゃよ。あと、口は喧しいから塞いだ」


「……その、『反省中』は?」


「よく分からんがレイラが、な。ヤツも我が『右腕』ながら分からんヤツじゃのぅ」


 ……ガルザは素で鬼畜だし、レイラさんもあれで結構鬼なのね。

 確か、悪魔神インジェリィの利になるどうたら、って言ってたかしら。ってことは彼女の中で本体のガルザへの反逆はそこそこ怒り所だったりするのかな?

 アタシのことも殺す殺す言ってくるし。

 殺意、高くない?


「よく分からないし、別に分からなくてもいいのだけれど。ひとまず解決、ってことでいいのかしら?」


「いいんじゃないかの? 儂は『右目』を取り戻せた、貴様としてもこの都市を支配していた悪魔を退治できた。それでいいのではないかのぅ」


「……そう。それじゃ、もう少しだけ眠るわ」


「おぅ? 良いのか? 悪魔の前で睡眠なんて無防備じゃありゃせんか?」


「さっきまで眠ってたんだから今更よ。今のアナタにアタシが殺せるとも思えないし。それに、とっても疲れてるのアタシ。そっちの方が重要だわ」


「そうか。そうかそうか」


「そうよ」


 それを最後に、石畳の上に再度アタシは体を横たえさせた。

 瞳を閉じる。あぁ、ホントによく運動した後みたいに心地よい疲労感。


 朝だってのに良く眠れそうだわ……。


 そうして、次にアタシが目を覚ましたのは太陽が真南を割った直後だった。

  • Twitterで共有
  • Facebookで共有
  • はてなブックマークでブックマーク

作者を応援しよう!

ハートをクリックで、簡単に応援の気持ちを伝えられます。(ログインが必要です)

応援したユーザー

応援すると応援コメントも書けます

新規登録で充実の読書を

マイページ
読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
フォローしたユーザーの活動を追える
通知
小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
閲覧履歴
以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
新規ユーザー登録無料

アカウントをお持ちの方はログイン

カクヨムで可能な読書体験をくわしく知る