第165話
「……リーン。必ず生きて戻ってください」
「もちろんです、レシティア様」
聖女レシティアにそう告げると、レシティアを乗せた馬車が動き出した。
レシティアの馬車には、先ほどまでともに戦い続けた騎士たちも同行している。帰り道、万が一ということはないだろうとリーンはブラッディオーガへ向き直った。
今回、レシティアとリーンはこの魔の森の調査のために来ていた。
ここ最近、この森の結界が弱まっているという話があったからだ。
かつてこの森には二名の、のちに賢者と呼ばれる男女が入り、内側から結界を張ったとされている。
それはもはや御伽噺のように語り継がれていた事柄ではあるが、事実結界はあったし、内部から魔物が出てくることはなかった。
レシティアがこの森の結界の維持管理を行っていたのだが、弱まっていたとされる結界はすでに破損しており、中からブラッディオーガが現れてしまい、今に至る。
リーンがレシティアが乗る馬車を見送っていると、先ほど傷を与えたブラッディオーガが不機嫌そうにこちらを睨みつけてきていた。
傷はすでに完治している。魔物たちが持つ自然回復能力は、種族ごとに差はあれどどれも理解できないほどだ。
リーンはブラッディオーガから放たれる迫力に気圧されながらも、それを表情には出さず奥歯をかみしめ、口を開く。
「さて、やりあおうか」
その言葉は、自分自身への鼓舞。リーンは声を上げると同時、ブラッディオーガへと斬りかかる。
だが、一閃は空を斬る。
すでに、【剣闘術】による強化は解除されていた。去り際に仲間の騎士たちがかけてくれた強化スキルも、そう長くはもたない。
先ほどまでブラッディオーガに並ぶほどにまで強化されていたはずのステータスは、ずいぶんと落ちている。
それでも、リーンはそれらを悟られないよう剣を振りぬいていく。
だが連撃を見て、ブラッディオーガの動きが変わる。
リーンの攻撃に合わせるように、斧が振りぬかれた。
「くっ……!?」
リーンが振りぬいた剣に、ブラッディオーガの斧が当たる。
剣ごと体を両断されるような勢いだったが、リーンはそれを横にそらしてかわす。
だが、受けきったリーンは表情を険しくし、ブラッディオーガから逃れるように距離をとる。
しかし、生み出した距離は一瞬で詰められることになる。
ブラッディオーガとリーンとの間にある絶望的なステータス差。再び振りぬかれた斧を剣で受け止めたリーンだったが、力を殺しきれず弾き飛ばされる。
地面を転がっていたリーンは、不安定な態勢で一撃を受け止めてしまったため、腕を折られていた。
必死に体を起こそうとしたそのとき、リーンの目の前には……黒い影があった。
死神、にしてはやけに人間味のある影だった。
その黒い影はリーンを担ぎ上げると、ブラッディオーガから逃げるように走り出す。
けして速くはない足。それでブラッディオーガから逃れられるわけがない。
だが、ブラッディオーガは追いかけてこない。
「……なんだ、あれは」
ブラッディオーガのほうへ視線を向けたリーンは驚いた。そこには、黒髪黒目の男性が立っていたからだ。
整った容姿と整った服装、すらりと背筋を伸ばした立ち姿は貴族のようにも見える。
そんな彼は、拳でブラッディオーガを殴りつけている。
「……こ、拳で魔物と戦って、いるのか?」
困惑しながら呟いたリーンに、黒い影が生み出した白い光がかかった。
その瞬間、リーンの体にあった傷がすべて消え去っていく。
「……まさか、回復スキル!? いや、だとしてもこれほどのものとなれば聖女の……いや、聖女様が作ったポーションか? い、いや……ところでキミは」
「……」
黒い影は黒髪黒目の男性を指さした。
リーンは黒髪黒目の男性と黒い影を見比べた後、
「……あの人が作り出したもの、とかか?」
「……」
こくこくと頷く黒い影を見ていたリーンだったが、視線を男性へと戻す。
のんびりと話をしている時間はない。
ブラッディオーガを足止めしている男性の援護をしなければならないとリーンは両者の戦いを観察する。
しかし、二人の戦いはどちらもリーンの理解を超えるものだった。動きをかろうじて追っていたリーンではもはや足手まといになるのは必然だった。
それでも、何もしないわけにはいかないとリーンは不得意な【火魔法】の準備を行い、それをブラッディオーガへと放った。
それは、不意打ちには十分だった。ブラッディオーガは攻撃を避け、男性も攻撃をかわし、一瞬の間が生まれる。
ブラッディオーガが鋭く、煩わしそうな視線をリーンへと向ける。その間に男性がリーンのもとへとやってきて、声をかける。
それからは、簡単なやり取りを行った。
またブラッディオーガと交戦できるか。
それが不可能であり、足手まといになると断言されたリーンは唇をぎゅっと噛みながら、再び戦いへと戻る男性を見送るしかなかった。
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