第42話 想いの気持ち悪さ、お母さん本当にごめんなさい。

7月4日 火曜日


私の母親はいわゆる毒親だと思い続けてきた。

それなのに、コロナで父にそして私に看病する姿を見て私は間違っていたことに気がついた。


お母さんは毒親なんかじゃない。


お母さんと私は人の愛し方を少し間違えてしまっただけだった。

私はお母さんから受けた否定的な言葉はお母さんの心配が生んだ言葉の数々だった。

お母さんの少しの肯定的な言葉はお母さんの愛情だったのだと気がついた。


だけど、小学生から中学生の時に誰かと比べられたりしたことは私にとって親に捨てられてしまうかもしれないという思いが強かった。


それゆえに、私は自己肯定感が低い人間になった。


私はお母さんから見捨てられる恐怖が小学生の時からあって怖かった。

だから、誰かから裏切られることも怖かった。もう疲れちゃった。


そして、親に捨てられるかもしれない恐怖からどんなに勉強を頑張っても、お母さんは覚えていないかもしれないけれど『Aちゃんは勉強できるのに、あなたは出来ないなら他の家の子と交換しようかな』その言葉が私を凄く苦しめた。


私は家の子にはなれないなら、私の居場所はどこにもないのかもしれないと思うたびに、私は幼い心で私の居場所はここではないのだと気付かされた。


覚えてる?きっと覚えてないよね。だって覚えてないことぐらい知ってるよ。

でも、私はほとんど全部覚えてるよ。

だけどこれら全部をお母さんに言うと激高して『全部、私が悪いの?』とか『そんなこと覚えてるくらいの怒りがあるならそれはやめなさい。怒りは悪いことしか生み出さないから』とか言うと思うんだよね。


でも、私は怒りを通り越してもう呆れているんだよ。お母さんの話なんてもううんざりだよ。

お父さんもお母さんの味方しかしない。

私に味方がいないぐらい分かってるよ。

お父さんはあまりお母さんを責めないであげてと言うけれど、私はお母さんを責めているんじゃなくて、なんで今まで私にそんなに苦しむ思いをさせたのか教えてほしいだけだよ。


それが私のためと言っても理解も共感さえもできないよ。

もう、家族ごっこなんてうんざりだよ。

うんざりだけど私は家族が好きだからもっと一緒にいたいから、心がすごく苦しいけど私は家族でいたいし、私を分かってほしいから文章を綴っているけれど、本当は凄く死にたいよ。

生きていたいし、死にたくないけどもう家族といると苦しいよ。

本当はもっと一緒にいたいのに。

もっとずっと前から愛して欲しかった。

今、愛情を注ぐんじゃなくて、小さい時からちゃんと愛情を注いで欲しかった。

いつも私はおばあちゃんと一緒にいて、1人だった。1人でも寂しくはないけど悲しくはあった。

でも、今言ってももう遅いことだよね。

本当にごめんなさい。


でも、これを話したらお母さんはきっと怒るよね。


そんなことは言ってないって。

でも、口癖のように言ってたよ。

私は見捨てられる恐怖がいつもあった。

他にも家に友達を招いた時に私がお母さんの言う通りにできなかったら、お母さんは私の友達が帰った後に反省会したよね。


『なんで私がいない間にお茶も出せないんだ』とか『神経衰弱でなんでカードを覚えられないんだ』とか『なんでBちゃんは頭がいいのにあんたはそんなことも知らないんだ、本当に恥ずかしい』って言われたな。


私はごめんなさいしか言えなかった。

だから、いつもお母さんの目を気にして生きてた。

怒鳴られたらどうしようとか考えてお母さんの地雷を踏まないように気をつけて、小学生の時は生きてた。


でも、友達はみんなお母さんの味方をするから苦しかった。

みんな、あなたの家のお母さんは優しくて好きって言われてた。

だけど、本当はもっと前から父親に助けてもらえないなら誰か知らない人に助けてもらいたかった。

でも、無理だよね。

だってお母さんは学校の先生をしているし、きっと世間体を気にして何事もなく何もないようなふりして生きるはずだから。

私に遭ったことなんて何もないのと一緒だから。

私が小学生の頃に学校に行きたくないと言った時も無理やり行かされて辛かった。

本当は不登校になりたかった。

でもなれなかった。

お母さんが学校の先生だったのもあるし、きっと世間体を気にしていたのかもしれないね。

だから、よく学校に行きたいけど行けない人を見ると羨ましかった。

私は思っていることが逆だったから。

私は学校という場所も誰かと生活を共にすることも集団生活も大っ嫌いだったから。

でも、全部我慢して大学も卒業したし、社会人生活も少しだけ経験できた。

だから、頑張って良かったと思ってるよ。

でも、お母さんを好きになるのには時間がかかっちゃってごめんなさい。


お母さんのことを他人にはちゃんと伝えられなかった。どんな人かって言うのをね。

本当はもっと厳しくて家族を否定するんだよって言いたかった。


でも、誰も信じようとはしてくれなかった。

だから、私は小学生の時に生きることを半分諦めた。

変わることのないこの現状に何をやっても意味がないから。

それならいっそのこと誰も知らないどこかに行きたかった。


家族という言葉が嫌いだった。


私は私を小学生の時から死なせたかった。

だって、私が死んでも誰も悲しくないでしょ。

私は母親から見捨てられる恐怖にもう耐えることが出来なかったから。

余計に私という人生にピリオドをつけたかった。

でも、今は生きてて良かったと思うよ。


だけど、こんなにお母さんのことを否定してごめんなさい。

お父さんにも悪いと思ってる。

だって、お父さんはお母さんの味方だもんね。

私じゃなくてお母さんを守る方だもんね。

分かってるし、知ってるよ。

それで良いよ。

別にね。

だけど、私が受けた小学6年生までの記憶は私の心を傷つけたことに変わりはないんだよ。

私は誰かに守って欲しかった。

でも、誰も私のことなんて守ってくれなかった。

だから、自分で自分を守るために高校3年生の時に自分で架空の人物としてユーとキーを作り出した。

彼らは今でも私の心の中に生きてる。

彼らが私を守ってくれている。

お母さんは私が小学6年生の頃に私が勉強できなさすぎて『絶対に小学校を卒業させない』って言ったの多分覚えてないでしょ。


それに、1番嫌いだった特別な日があった。

それは、お正月だった。

小学1年生から4年生までは鉛筆で字を書いてそれで金賞、銀賞、銅賞ぐらいまであって私はお母さんのスパルタ教育で4年生までずっと金賞だった。

でも、私は全然嬉しくなかった。

嬉しかったのはお母さんだけだった。

だって泣きながら字を何回も書いていたから、あの時間だけは地獄だった。

どこにも遊びに行けずにただひたすらに一文字一文字丹精込めて字を書く。

それはとてつもなく怖い作業だった。

間違っていたら、隣に座るお母さんから怒られる。

だから、緊張の日々だった。

でも、お母さんのその厳しさで私は字が上手いと言われるようになったけど、それも私には凄く辛かった。

だって、自分で努力して字を上手くしたわけでもなくて、ただやれと言われてやった受け身の努力でしかなかったからだ。

だから、小学生、中学生、高校生、大学、社会人時代の全部が嫌いだった。


今が1番自分で居られるから好きだけど、就労移行でお母さんは私に公務員になることを勧めてくる。

お父さんが元区役所の職員だったから余計に公務員を目指してもらいたいのも分かる。

お父さんも公務員になってほしいと思っている。

私も最初は公務員になりたいと思ってた。

でも、体力がついて療養期間が終わったら私は事務職や公務員じゃなくて、農業をやってみたい。

何かを作るような作業ができる仕事をしてみたい。

お母さんは手が温かいから無理だとか言うけど、私は農家になりたい。

でも、この話は就労移行の高垣さんには話してない。

話せてもいない。

本当にやりたいことですら、隠してる有様だ。

だから、本当は来年も再来年も障害者枠の公務員試験を受けたくないけど、家族は受けろとせがむからそれがストレスだ。

断ると口論になるから受けなきゃ行けないことが嫌だ。

家に公務員の本があるのもストレスだ。

本当は全部捨てたい。


でも、今年受けた一般の公務員の試験で69点だった。

点数自体は低いけれど、内訳が教養が9点で専門が14点で小論文が60点満点中37点だった。

それを見た父と母が半分以上できてる小論文を見て、文章能力が長けているのだから、他の科目をもっと頑張りなさいと言った。

文才があって優秀なのだから頑張りなさいと言うが、私は別に優秀でもなんでもない。

ただ文章を書くことが得意なだけだ。

私はやりたいことをやりたい。

今やりたいのは韓国語を勉強して資格を取ることと英語の勉強することだ。

あとMOSのWordの試験を受けるために頑張ることだ。

だけど、家族はそれを受け入れてくれない。

ずっと公務員になることを目指してほしいと考えている。

私と家族では家族会議は平行線を辿るばかりで、何も決まることがない。

誰かが間に入らなければ何も決まることもない。

私はもう公務員になりたくない。

障害枠の公務員の面接であの人を見定めるような目線で面接をする面接官の目は忘れられない。

私は筆記で点数が良くても面接で落ちてしまう。

何もかも見抜かれてA、B、Cの判定の中から1番ダメなC判定を取ってしまっただけで私はもう事務職なんてやりたくない。

農業をやって生活していきたい。



他にもお母さんの執着心が私は怖かった。

中学生になって期末テストでここがなんでこの丸になるのかなって言ったら、お母さんなんて言ったか覚えてる?

『じゃあ、今から先生のところ行って確認しなさい』って言ったんだよ。

『確認するまでは帰ってくるな』とも言ったんだよ。

だから、中学校に行くしか選択肢がなかった。

でも、もう時間は夕方で夜に近いのに1人で泣きながら中学校に行って確認したんだよ。

私凄く恥ずかしかったし、別に行きたくなかった。

でも、お母さんの元に帰ってきたらお母さんが行って解決できて良かったでしょって言ったんだよ。

私、凄くその時にお母さんのこと恨んだよ。

私の気持ちよりも解決できたことの方が喜びとしてお母さんにあったことに対して私は悲しかった。

今となってはそれは良い思い出でもなければ悪い思い出でもなくてそれは忌まわしい思い出として心に刻まれているよ。

消えることのない痛みとして残ってる。

こんなに苦しいならもっと早い段階で生きることを諦めれば良かったかもしれない。


小学生の時には死ねなかったけど、高校生の17歳の時にちゃんと死んでおくべきだった。

私は、大学生にもなりたくなかったし、塾にも行きたくなかった。

私の時間は17歳前後で止まったままだよ。

動くこともないし、記憶がなくなったわけでもない。

ただ、もう早い段階でこの世を去るべきだった。

こんなにも家族のことだけじゃなくて高校生時代の女友達から電車内での痴漢に遭ったことや社会人時代の介護施設でのご老人の死を経験するなら、早い段階で死ぬべきだった。

だけど、生きたいから生きてしまった。


今は自分のために死なないように頑張るよ。

Twitterやインスタに同じように病気を持った人が頑張って生きているから、私も頑張ろうと思う。


お母さんとずっと喧嘩ばっかりだったけど、これからは一緒に日々を過ごしたいと感じた。

時間はかかるかもしれないけれど、私はまだお母さんを好きとは言えないけれど、少しだけ好きになった。

だから、その少しを大事にしたい。


きっと、この紙は捨てられると思う。

お母さんにもお父さんにも見せたら悲しい思いをさせちゃうから。

だから、信頼できる精神科の先生にしか見せられない。

きっとこの紙を見たらお母さんは『ごめんね、ごめんね』って謝って抱きしめるか、怒るかのどっちかだろうな。


でもね、もう遅いんだよ。

もう遅すぎた。

私たちは親子関係を修復出来ないところまで来ているんだよ。

私はお母さんがもう大好きにはなれない。

私はお母さんの愛がもう痛いし、苦しいんだよ。

お母さんのごめんなさいの声すら騒音に聞こえる。

親不孝な子でごめんなさい。

でも、私はもうこの世界からいなくなりたい。

生きていたいけど、家族でいる居場所が居場所じゃないように感じるんだ。

私はお母さんから褒められたことがほとんどなかった。

だから、褒められた時はとても嬉しいけど、何か裏があるかもとか言う通りにしなきゃとか考えて怖くなる。

私は母親のハグが1番嫌い。

何もかもハグをすれば丸く収まるし、それで仲直り出来たよねっていう風になるからだ。

でも、実際は丸く収まることはない。

お母さんの特有のごめんなさいからのハグはもうこれでこの話は終わりになるからだ。

私の問題は解決しないまま終わりを迎える。

だから、もう私とお母さんは残念だけど家族ではなく赤の他人として考えるのが望ましいと思う。

そうじゃないと私が壊れてしまう。

お母さんのちょっとしたヒステリーが私をパニックに陥らせてしまうから。

私はお母さんがあまり好きじゃない。

もう無理なんだと思う。

でも、これからどうすることが1番良いのか分からない。

お母さんは凄くしつこいし、言いかけた言葉は必ず言えと迫ってくる。

私には出来ないことが多いのに、出来るから大丈夫と言ってくる。

髪を洗うことさえ、迷惑かけちゃいけないと思って時間をかけて洗ってチェックされる始末でその過干渉さが、凄くストレスで苦しい。

もう、母親の目を見ることが怖い。

何もかも見透かされている気がして怖いんだ。

だから、もう何もかも最低限に関わってほしいのに、上手くはいかない。


お母さんに髪の毛が1人で洗うのに時間がかかるとかコンビニに行った時に目がしばしば👀してどれを買ったら良いのか分からなくて何も買えないことや1つ覚えたらひとつ忘れてしまうことお金の計算がうまく出来ないこと、掃除が出来ない。

簡単な洗濯なら出来るけど炊飯器の使い方がわからなかったり、電話の仕方が分からなかったりするから就労移行に行けなくなってもうダメになったら生活訓練の方に移りたいと言ったら、お母さんがあなたは出来ることが多いし、優秀なんだからそんなところに行く必要はないと言われた。

就労移行でいいんだとも言われた。

全然何も分かってくれない。

お母さんは主治医のことも薬を増やす人だから会いたくないとずっと言う人だった。

お母さんは何も理解という言葉を知らないみたいで私はずっとそれに苦労してきた。

多分この先も私を苦しませるなら、私は多分笑って笑顔ではいられないと思う。


こんなにもお母さんの嫌な部分を話したら、お母さんに嫌な顔されちゃうかな。

ごめんなさい、お母さん。

私はお母さんの全てを受け入れることもお母さんのことを慰めたりすることも何もかもに疲れちゃった。

もう、私お母さんに嫌われちゃうのかな。

お父さんにも呆れられちゃうのかな。

この話をすることは家族の中でタブーだったから余計に私は出来なかった。

だから、やっと話せて嬉しい。

でも、家族に嫌われちゃうのかな。

そしたら私、1人になっちゃうな。

でも、何もかもユーとキーが守ってくれるから大丈夫かな。

もう、人が信じられない。


お母さんが病んでしまったらごめんなさい。

全部私のせいだね。

本当にごめんなさい。

私とお母さんは一緒にいちゃいけないのかもね。

私が全部悪いね。

もう何も言わないよ。

私はずっと笑っていた方が心配かけない方がお母さんのためになるのかもね。

全部全部私のせいで、生きててごめんなさい。


母は私といると疲れちゃったらしい。

私はもう誰かに迷惑をかけてしまったことを後悔と自責の念に押し潰されている。

頑張らなきゃ

お母さんは自分たちが死んだ後どうするの?と言う

そんなんじゃダメと言う

でも、私にはどうすることが1番自分にとっていいのかさえ分別がつかない

どうしたらいいの?


お母さん、私幸せになりたいよ。

でも、私がいない方がお母さん幸せになれるよね。お父さんとお母さん2人だったら幸せになれるはずだよね。

迷惑ばかりかけてごめんなさい。

私が人とは少し変わっているからいけないんだよね。

私が弱いからいけないんだよね。

お母さんとお父さんを幸せにできなくてごめんなさい。

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