赤い靴を履いた女の子 5
「あなたが『緑眼』モリヤさん……ですか」
「ええ、まあ。ホラ緑の眼をしてるでしょう」
ヴィンセントの店(店名は長くて覚えてない)は奇妙なほど静かだった。
いつもはこの時間、素性不明や粗暴粗野の巣窟となっているものだが、人の気配よりもわずかなニコチンとアルコールの香りが目立っている。
その店主はグラスを拭いて黙っている。
……フリをして聞き耳を立てているようだった。
「私、エドワード・ステインと申します」
俺はその奥で、テーブルを隔てて依頼人と向かい合っていた。グレースーツと白髪がよく似合う、毅然とした雰囲気の老人だった。
こんな人物が……呪いとは。
似つかわしくないような気もするけど、むしろふさわしいような気もするな……?
いやいやよくないな。
変に邪推してしまう頭を切り替える。
そんなことはどうでもいいのだ。
とにかく依頼内容を確認するべきだ。
久しぶりすぎて交渉のやり方を忘れてなけりゃいいけど。こういうとき、報酬の話を先にしてたっけか?
そう、金貨五枚……。
「本題に入らせていただいてよろしいですか?」
「あっどうぞどうぞ聞かせていただきます」
余計なことは考えないようにしよう。
そうしてステイン氏はカバンからあるものを取り出した。今朝の新聞記事だった。俺に渡す。
やや戸惑っていると、彼は語り始めた。
「昨夜四人、切り裂き魔ふたたび……」
「は、はい」
「記事をよく読めばわかりますが、いずれも目撃証言がない……しかし犯行手段や特徴が一致しているため、ここ二日で起こった殺人事件は同一人物の可能性が高い。そういう風に書かれています」
「……たしかにそうみたいですが」
四人とも胸を刃物で何度も刺されていて、そのうえ顔を切り刻まれている。被害者の身元を確認中……おそらくいまくらいに判明してる頃か。
というか……なるほど四人どころではないらしい。たった二日で合計八人の犠牲者が出ている。
そのうち七人は同じ手口だとか。
ただ例外があって、ひとりだけ、少女が誘拐され見つかっていないようだ……?
奇妙だった。
なぜ切り裂き魔と関連づけられているのだろう?
「それは真実ではありません。目撃者はいたのです」
「えっ?」
「その上で言います。殺人鬼は同一人物です」
「つまり、その」
……彼自身が?
「はい。殺されたのは私の子どもでした」
となると。
当然の帰結として、依頼内容が定まるわけだが。
「単刀直入に言えば、その殺人鬼の呪殺。それを依頼しに参りました」
「……なるほど」
呪殺なんて大仰な単語だし、物騒なものだが、はっきりいえばありふれた依頼内容の範疇を出ない。
だけどさまざまな部分に違和感がある。
話のロジックがしっかりしている彼ならば、それは分っていて結論を述べているはず。続きがあるのだろう。
そう思っていれば。
記事から視線を上げる。
ステイン氏はやはり俺から目を離していなかった。
「気になるところがおありでしょう」
「ええ」
「私は憲兵に証言をしなかったのですよ」
「……なぜです?」
彼は黙って懐から一枚の写真を取り出した。
机の上に置かれたので、見てみる。
ステイン氏を挟んで、俺と同年代くらいの青年と、一〇歳程度の少女が写っていた。
「右が息子で、左がその娘……孫ですな」
「お孫さんですか」
「嫁は若くして亡くなって、三人で暮らしていました。家系でしょうか? 代々先立たれるのです……いえ、脱線しましたな。二日前の夜。私は寝室で書き物をしていました。コーヒーでも淹れようかと、リビングに降りたところ、息子たちの部屋から妙な音がしたのです。なにか、粘り気のある音……」
なんだか聞いてると頭が痛くなってきた。
いやな予感がする。そんなはずがない。
喉が渇く。蒸し暑いのに寒気がする。
「扉をすこしだけ開けてみました。私は見間違いかと思いました。まさか、わずか一〇歳の女の子が、血を帯びたナイフを持って、おもちゃで遊ぶかのように、楽しげに親の顔を切り刻む……そんな話、だれも信じないでしょう……私だって信じられない」
そんなもの、俺だって信じられない。
ステイン氏が嘘を言っているようにしか思えない。
思えないが……。
「呆然として、疲れているのかと思い、私は寝ました。でも夢を見ました。……夢のなかでは、夢を見ないというでしょう。起きて確認してみました。異臭のする息子と、姿のない孫。憲兵には証言しなかった。したとしても無駄だった。分りますか」
彼は静かに涙を流していた。
「そんな話、だれも信じてくれないでしょう……?」
俺はただ、写真を見ることしかできなかった。
その少女は──。
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