赤い靴を履いた女の子 2
木製のリビング。
食卓には目玉焼きとトースト、砂糖入りコーヒーとサラダが用意されていた。彼女はいつも俺の分まで作る。
ルナは俺の肩を飛び降りて、去っていった。別室のアトリエ……人形が大量に置かれているそこに帰ったのだろうか? 心細いので一緒にいて欲しかったんだけど、そうはしてくれないらしい。
椅子に座り、彼女が読んでいたであろう新聞を手に取る。
街の事件がどうのこうの書かれていたが、まともに頭に入らなかった。いまの俺にとってそれよりも身近にあって恐ろしいのが……。
「おはよう、おねぼうさん」
新聞の際ギリギリで見る。対面に座る人物。
人形のような女が、ミシン台で人形の衣装を縫っていた。ちょうど区切りがついたらしく手を止めて、ゆっくりと顔を上げ、紙面を隔てて微笑んだ。
まったく目は笑ってなかったが。
俺から見てその顔のすぐ下。
新聞の一面には【昨夜四人。切り裂き魔ふたたび】とシンプルかつ大きな文字で書いてあった。思わず想像する。
俺が彼女に四回、違う殺され方をする場面を。
「お、おはよう……メリー」
青い目で金色の髪をした彼女は、平均より少し大きな体格をしているが、ルナと同じくしてモノトーンかつ恥ずかしくない程度の少女趣味みたいな服装をしているから、作りものめいて可愛らしい、女の子っぽい印象を受ける。
一見すれば。
しかし一皮剥けばそうではない。
実年齢不明の魔人、らしい。
以前、彼女からそう聞かされた。
俺のような人類の亜種、もしくは上位種とでもいうべきか。一般論であてはめるイメージは、おそるべき力を有して人間の価値観を解さない、ひどく気まぐれな破壊者。
ようするに、たまたま人類に容姿が酷似しているだけの超危険生物だ。
……しかし彼女は例外のようだった。
魔人なのに、なにかを破壊することを嫌っていた。
むしろ人形を愛し、作って売って、時には人形劇で誰かを楽しませる彼女は、俺よりも人間のように街に融けこんでいた。
いつもやってることといえば、そこらの人形愛好家の娘さんとなんら変わりはないのだ。
だからその話を聞いたあと「それで魔人なら俺は大魔神にでもなれるだろ」と返したら大笑いしていた。
うん、ホントにそう思ってたんだけどなぁ。
……やっぱり魔人かもしれない。
たったいま、こちらを見る目は少女の目ではなく、千年ばかり人を啄み食って生きた猛禽類かなんかの目をしていた。
ひょっとして俺、このあと殺されるのか。
「朝まだでしょう? どうぞそれ食べて」
「あ、あのさ」
「黙って食べなさい」
「はい……」
緊張して味どころではなかった。
いつも美味いから美味いはず……。
だがどういうつもりだ?
俺を太らせて食うつもりか?
猛毒が入ってるのでは?
ぐるぐると疑問符が飛び交う頭脳内。
彼女は微笑みながら聞いてきた。
「おいしい?」
「おいしいよ」
「そう。それはよかった。ご飯がおいしいというのは生きるうえで大切なことだと思わないかしら?」
「そうだな。いつも助かってるよ」
「ところでわたしは昨日それを奪われたわ」
「……」
ついに口からも笑みが消失してしまった。
いま食べてるのはトーストなのか目玉焼きなのか?
「関係ないんだけど……あなたってわたしの家の二階に住んでるじゃない」
「住んでるよ」
「間借りだからって。そのときわたしはあるものを請求したんだけど。覚えているかしら?」
「いや、ちょっと記憶にないかも」
「それよ。家賃」
なぞなぞ出しておいて答えを自分で言うみたいなスピード感で会話が進行していく。
だんだんなにが言いたいか分ってきたが……。
「そこで気がついたのよ。わたしって生まれてから一度も家賃を見たことないの。不思議よね?」
「……プリン食ったのごめんなさい」
「あら? 家賃の話よ。プリンなんてまた買えばいいもの、気にしてないわ。全然気にしてないわ。これっぽっちもね」
絶対気にしてるじゃん。
しかしこれはどうも、なんというか。
雲行きが怪しくなってきた。
ひょっとしてマジにやるつもりか?
いや、まさか、プリンだぞ。
たかがプリン一個。食べただけなのに。
「月に銀貨五枚。あなたがここにきてからどのくらい経ったのかはわたしも覚えてないから……まあそうね。金貨五枚くらいで勘弁してあげる」
背筋が凍った。
冗談かと思いたかったが、目が本気だった。
そんな大金、払えるわけがない。
そもそもメリーになかば寄生する以外、生きていけないというのに。なんてやつなんだ。横暴だ……。
なんとか言い訳を試みる。
「ちょっ、ちょっと待て待て! ないないないそれはない! 俺に依頼こないの知ってるだろ……頼むよ! 二度と食わないから! 買ってくるからさ! ごめんて悪かったよホントに!」
「あのね」
メリーは静かに語り出した。
「……わたしは昨日、ひと月かけてようやく案件を終えた。平均的な睡眠時間はどうかしら、一時間? もっと短いかもね。魔人といえど、かなり堪えたわ……でもいいの。プリンがあるから。プリンがあるからわたしは頑張れたの」
彼女の目は最中、輝きをとりもどし、どこか遠いところに思いを馳せているように、うっとりとしはじめた。
それもつかの間、また光を失っていった。
「それから夜のことね。極限状態のなか、わたしは冷蔵庫を開けた。ようやく報われると信じていた。でもね……なぜかしら? ないのよ。わたしのご褒美がないの。その瞬間、ふふっ……力が抜けて、そのまま眠っちゃったのよね。可笑しいわ……」
そこから彼女は黙って顔を伏せた。
もう、なにも言えなかった。
……しばらくして顔を上げたときには、どの感情でもなさそうな、まったくの無表情になっていた。
そうしてこう言った。
「そのときの絶望はあなたの想像を遥かに上回るわ」
俺はどうやら、鉄貨四枚ばかりのプリンと引き換えに、金貨五枚分ほど彼女の怒りを買ってしまったらしかった。
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