第2話 婚約破棄と愛の告白




あの日、危うく奴隷商に売られるところだった少年は、それはそれは整った顔立ちをしていた。

メルティーは帰宅してから一番に、レオを風呂に入れた。風呂から上がったレオは、艶やかな黒髪に白い肌、透き通るような碧い瞳。十人中十人が美少年だと言うだろう。

ただし、あまり食べれていなかったのか、身体は痩せ細っていたが。


風呂から上がったレオに食事を用意したメルティーは、父の帰宅の知らせを受けて書斎へと向かった。

ノックをして入ると、今日の出来事をすでに聞いていたのか「大変だったね」と声をかけられる。


「お父様、誕生日プレゼント、決まりましたわ」


「うん? 何にするんだい?」


「それは──今日保護した少年を、私の侍従として雇いたいのです」


「ふむ。雇い入れることは構わないが、まずは勉強させねばならないね。その間給料は出せないが、いいのかい?」


「はい。彼──レオはわたくしが育て上げますわ。幸い、わたくしには小説家としての収入もありますし。ああ、でもセバスを先生に借りてもいいでしょうか」


そう、実はメルティーは新進気鋭の恋愛作家として人気の小説家でもあった。

ただし、本人は恋をしたことがない。婚約者のブラッドにさえ、恋心を抱いたことはなかった。


「ふむ、なら好きにしなさい。だが一応彼のことは調べておくからね」


「はい、お父様。ありがとうございます」


こうして父の許可を取ったメルティーは、そろそろ食べ終わるだろうかとレオのところへと戻った。


部屋に戻ると、レオは椅子に座ったままうつらうつらとしていた。その様子を見たメルティーは、思わずくすりと笑う。


その声が聞こえたのか、レオはハッとして姿勢を正す。そして視界にメルティーを入れると、「……おかえりなさい」と言った。


「はい、ただいま、レオ。これからのこと、話をしてもいいかしら?」


「……はい」


「ありがとう。まず、あなたを侍従にするにあたって、勉強してもらうことになるわ。勉強はアンナと、執事長のセバスに教わって。そして私の隣の部屋が空いているから、そこで生活してちょうだい。食事はマナーを学ぶいい機会だから、一緒に摂りましょう。なにか聞きたいことや言いたいことがあれば遠慮なく言ってね。あ、レオは何歳なの?」


レオは頷きながら、「……14歳」と答えた。


その年齢にメルティーは少し驚く。もう少し下の、10歳やそこらだと思っていたのだ。栄養不足のせいか、成長が遅いようである。


「そう……。これからは沢山食べて沢山動いて、そしてたっぷり寝てちょうだい。いいわね?」


レオは頷くと、小さい声で「ありがとうございます」と言った。



それからはあっという間に時が過ぎ、メルティーの誕生日会の日になった。

メルティーが登場する時には婚約者であるブラッドがエスコートするべきなのだが、なにをとち狂ったか一向にブラッドが現れる気配がない。メルティーは仕方なく、兄と共に会場へと足を踏み入れた。


「皆様ごきげんよう。この度はわたくしの誕生日会、ひいては成人の儀にお越しくださり感謝申し上げますわ。本日にてわたくしも大人の仲間入り。これからも宜しくお願いいたしますわ」


そう言って優雅に一礼をし、盛大な拍手を受けたところで事件は起こった。


とある侯爵令嬢がスタスタと近寄ってきたかと思うと、ばしゃりとメルティーにワインをひっかけたのだ。白ワインだったのがせめてもの救いである。

一瞬思考停止したメルティーであったが、即座に侯爵令嬢に目を向ける。


「あらあら、どうなされたの? ルミナ様」


ルミナと呼ばれた侯爵令嬢は、キッとメルティーを睨みつけながら叫ぶ。


「メルティアーノ様、ブラッド様と別れてくださいませ! 貴女がしつこくブラッド様に付き纏って、別れたくないと駄々を捏ねてるみたいね。ブラッド様は別れたくて仕方ないのに」


「……それはどちらからの情報かしら?」


「そんなの、ブラッド様からに決まってるじゃない! ブラッド様はわたしと愛し合っているの。その証拠に……」


ルミナはそっとお腹に手をやった。その動作だけで周囲は気づく。新しい命が宿っているのだと。

メルティーはあまりにバカすぎる婚約者の行動に、目眩がしてきた。

なるほど、だからここに来ないわけだ。

だがメルティーはこの機会を逃さないために、意識を保つ。


「あらまぁ、ご懐妊なのですか? おめでとうございます。わたくしはあなた方の邪魔をする気は毛頭ございませんわ。ブラッド様とも婚約を解消致します。皆様が証明ですわ。わたくしはこの時を持って、ブラッド様との婚約を解消致します」


メルティーはそう宣言し、にっこりと心からの笑顔を浮かべるのだった。



その後、その場にいたフラントヘイムがにこにこしながら激昂しているのを横目に、誕生日会はつつがなく終わった。

その直後にフラントヘイムはサンドラ家に正式に抗議し、たんまりと慰謝料を貰い受け婚約解消とした。


メルティーは結婚しなくとも良くなったことに喜び、数年は心の傷を癒すためと銘打って誰の求婚も受けなかった。


その数年の間に、レオはぐんぐん成長し、小さかった背丈もメルティーを越し、声も低くなった。

今ではメルティーについて行動し、立派な侍従となっている。




そんなある日。

メルティーは小説を執筆していた。そこにレオがやってきて声をかける。


「お嬢様、そろそろ休憩なされてはいかがですか」


「んー、そうね。じゃあレオ、付き合ってくださる?」


「……私は侍従ですと、何度言えば宜しいのですか」


「いいじゃない、誰も見ていないし。一人でお茶を飲むなんて寂しいわ」


メルティーはレオに、お願い! と言いながら見つめる。

その視線を受けて、レオは「……仕方ないですね」とお願いを受け入れた。

メルティーはやったわ!と嬉しそうに微笑み、その様子をレオは眩しそうに眺めながらお茶を入れた。


「レオの入れてくれるお茶は本当に美味しいわ。お茶屋さんでもしたら売れるわね」


「そんなことありません。お嬢様の好みを覚えているだけです」


「そう? 嬉しいわ、ありがとう」


「いえ。……お嬢様は……」


「うん?」


「……お嬢様は、ご結婚はなさらないのですか?」


「そうね、ゆくゆくはしなきゃとは思っているわ。でも……もう少し、自由でいたいのよね。そういうレオこそ、いい人いないの?」


「私は……」


レオはメルティーをじっと見つめると、「……おりません」と言った。


「なんだ、そうなの。いい人が現れるといいわね」


「……。お嬢様、私はお嬢様といられればそれで良いのです。お嬢様がいなければ今の私はいない。お嬢様に一生を捧げると誓ったのです。お嬢様、私は……俺は──」


その時、タイミング悪く部屋にノックの音が響く。

ハッとしたレオが素早く立ち上がり扉を開くと、そこにはメルティーの父、フラントヘイムがいた。


「やぁ、メルティー。少しいいかい?」


「お父様。もちろんですわ」


メルティーはお茶をしていた席を薦める。

フラントヘイムはそこに座ると、いくつかの書類を出してきた。それは求婚の書類であった。


「メルティー、私はね、君がずっとここに居てもいいと思っている。だけど君の人生だ。よく考えて選びなさい」


「お父様……」


メルティーはどこまでも優しい父に感謝しながら、書類を受け取った。

その書類を見たレオの顔が強張ったことには、気づかなかった。



フラントヘイムが部屋を出た後、レオはメルティーに話しかけた。


「お嬢様……お嬢様は恋愛をしたいとは思いませんか?」


「恋愛? そうねぇ、してみたいとは思うわ。でも、なかなかできないと思うけど」


「じゃ……じゃあ、私と……私はどうですか?」


「え?」


メルティーはポカンとしてレオを見つめる。

最初の出会いから、メルティーにとってレオは庇護対象であった。可愛い弟のような、そんな存在だったのだ。今までレオと恋愛なんて、考えたことはなかった。


「レオ、冗談はやめ──」


そう言いながらレオを見上げた瞬間、メルティーは固まった。

レオの痛く真剣な瞳がゆらゆらと揺れるのを見て、これが冗談ではないと気づいた。

しばらく固まっていると、レオがひざまづいてメルティーの右手をとり、手の甲に口付けた。


「愛しの我が君……私は貴女を愛しています。どうか私のものへとなってくださいませんか」


そんな恋愛小説もかくやという台詞を吐かれたメルティーは、あまりに免疫がなさすぎて──自身の小説ではいくらでも書いてきたが──気を失った。




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