第5話 サメ術師は窮地で閃く

 俺は壁を背に座り込んでいた。

 冷たい石の感触も今は気にならない。


 床についた手に違和感を覚える。

 指先が生温かい。

 血だ。

 じわじわと広がったそれに指が浸っている。


 流れてくる血を辿ると、その先には死体があった。

 身体が捻れ曲がった少女の死体だ。

 涙を流して虚空を見つめている。

 半開きの口から血が垂れていた。


 ほんの一分前、ミノタウロスに殴り飛ばされて壁に激突し、その衝撃でこうなったのだ。

 突風を発生させて攻撃に使っていたが、あの怪物が相手では意味もなかった。


 血みどろのミノタウロスは、室内の中央部にいる。

 その周りには無数の死体が散乱していた。

 俺と一緒にここへ閉じ込められた人々である。

 逃げようとした者も反撃を試みた者もパニックに陥った者も等しく殺されていった。


 俺がまだこうして生きているのは、ただの幸運に過ぎない。

 たまたまミノタウロスの標的にならなかったからだ。

 そんな幸運もここまでだろう。

 砦内の生存者も、残り僅かだった。


「うおおおおおおおおっ!」


 雄叫びを上げる満身創痍の男がいる。

 彼は瓦礫を浮遊させると、ミノタウロスに向けて発射した。


 決死の攻撃はしかし筋肉に弾かれる。

 掠り傷は数秒と経たずに治癒されていった。

 ミノタウロスは優れた回復力を有しているのだ。

 生半可なダメージは意にも介さない。


 瓦礫を鬱陶しく感じたのか、ミノタウロスは唸りながら前進する。

 無造作に男の頭部を鷲掴みにすると、力を込めて握り潰した。


 頭部を失った男はくたりと力を失って倒れる。

 潰れた断面から血が噴き上がっていた。


 ミノタウロスはそこから身体を反転させて、悲鳴を上げる女を棍棒で叩き殺した。

 殴りかかってきた青年を蹴り上げて喰らい付き、上半身を齧り切って吐き捨てる。

 そうして残されたのは、俺だけとなった。


「ほら、さっさと戦え! つまらないだろうっ!」


「お前が最後の一人だ! 気合を入れろ!」


 砦の外から騎士が野次を飛ばしてくる。

 俺が何もできないことを知っているくせに、ああやって挑発しているのだ。

 ふざけやがって。

 ぶち殺してやりたい。


 しかし現実として俺は砦の中に閉じ込められており、ミノタウロスに惨殺される運命にあった。

 悔しくて涙が出てくる。

 俺はどうしようもなく無力だった。


 ミノタウロスがこちらへ歩いてくる。

 獰猛な両目は射殺さんばかりの迫力を湛えていた。


「あっ……」


 これはもう駄目だ。

 死ぬに決まっている。

 俺は本能的に理解する。

 辺り一面に転がる死体のように、最悪な最期を迎えるのだ。


 ミノタウロスの歩みを前に、俺は馬鹿みたいに呆けていた。

 脳裏を巡るのは、クソみたいな現実逃避である。


(これがサメ映画ならなぁ……)


 突拍子もない妄想を思い描く。

 きっといきなりサメが出現して、目の前のミノタウロスを喰い殺すのだろう。

 そしてチープな鮮血描写が画面を彩るのだ。


 あの演出が大好きだった。

 分かっているのに笑ってしまう。

 登場人物があっけなく食べられる瞬間が、何とも言えない快感になる。


 そんなことを考えていると、頭の中にステータスのイメージが展開された。

 城で能力を検査した時と同じ光景だ。

 勇者失格と言われた貧弱なステータスである。

 特徴的なのは、一つの能力値と所持スキルのみだった。


(召喚スキルとSAMEステータス……)


 前者は発動せず、後者は効果が不明のままだ。

 そのおかげで俺は役立たずの烙印を押される羽目になった。

 いや、たとえこの二点が有用だったとしても、他の能力値が弱すぎる。

 どのみち勇者として迎えてもらえなかっただろう。


 そこまで考えたところで、俺はあることに気付く。

 俺はSAMEの能力値をセイムと読んでいた。

 どういうことかと頭を悩ませたが、根本的に読み方が違うのではないか。


 単純にローマ字読みをした場合――サメとなる。

 俺とは何かと縁深い存在である。

 そこに【召喚魔術】まで揃っていた。


 ――もしや、この二つの様子を組み合わせれば何かできるのではないか。


 しかしミノタウロスは、すぐそばまで迫っていた。

 ゆっくりと棍棒を掲げようとしている。

 あれで殴り殺すつもりだ。

 俺の、人生が、終わる。

 ここからではもう避ける余裕もない。


(間に合うか……ッ!?)


 俺は城で教わった要領で召喚魔術を大慌てで行使した。

 魔法陣なんて分からないので、ファンタジー・シャークのパッケージ裏に載っていた物をうろ覚えでイメージする。

 これで駄目なら死ぬだけだ。

 ありったけの魔力を注ぐつもりで術の発動に集中する。


 すると、ミノタウロスの足下が発光し始めた。

 浮かび上がったのは円形の魔法陣。

 そこから牙の生えた口内が覗く。


 音も無く現れたのはサメの頭部だった。

 ぬめりとした肌と、黒い目は間違いない。

 召喚されたサメは、真下からミノタウロスに喰らい付いた。

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