第2話 サメ術師は異世界に召喚される
頭がぐらつく。
意識が朦朧とする中、誰かに怒鳴られた。
「さっさと立って進め! ボサッとするな!」
俺は反射的に顔を上げる。
どうやら床に倒れて眠っていたらしい。
(ここはどこだ)
職場か。
まさか仕事中に倒れてしまったのか。
それでも叱責されるほどのブラック企業だったのか。
様々な考えが巡るも、のろのろと身体を起こして顔を上げる。
そこに立つのは、西洋鎧に身を包んだ騎士っぽい人だった。
「えっ……」
「とにかく歩け! 説明は後だ!」
「す、すみません」
俺は謝りながら立ち上がり、そそくさと逃げ出した。
なぜ騎士に怒られているのか不明だが、すぐさま謝罪の言葉が口に出たのは、社会人として培った能力だろう。
畜生、なんだか悲しくなる。
(これは夢なのか?)
俺は辺りを見回しながら考える。
ここは石造りの廊下で一本道だった。
壁に点々と松明が設けられている。
光量が足りないせいで薄暗い。
廊下は十メートルくらい向こうで終わっていた。
その先は部屋になっているのか、ここよりも明るい。
(あの部屋に向かえばいいのか?)
立ち止まると後方の騎士に怒鳴られそうなので、大人しく進んで部屋に踏み込む。
そこには広々とした空間が待っていた。
天井が高く、照明らしきものが人工的な光を落としている。
奥には上り階段があった。
部屋の中央では、不安そうな顔の人々が集まっている。
性別や年齢は様々だ。
学生服やスーツ、ドレス、私服等、見事に統一感がない。
たぶん俺のようにこの部屋へ逃げてきたのではないか。
壁の端には何人もの騎士が立っていた。
剣や槍を携えた彼らは石像のように動かない。
俺達が不審な動きを取らないように見張っているのか。
(どうして集められているんだろう)
夢だから理由も何もないのかもしれないが。
それにしてもリアルな夢である。
まだ視聴前だったというのに、ファンタジー・シャークの影響を受けまくっているようだった。
(早く目覚めないものか)
他の人々に混ざって突っ立っていると、俺の入ってきた場所から別の人間がやってきた。
数分おきに登場しては、恐る恐る俺達と合流する。
そうして部屋に集まった人間が五十人ほどになった頃、扉が閉められた。
微かな息遣いすら聞こえるほどの静寂。
何が起こるのだろうと待っていると、胴体周りに光が出現して締め付けてくる。
まるで鎖が巻き付いているかのように硬い。
(腕が動かせないな)
どうやら拘束されたらしい。
他の人々も同じ状態に陥っていた。
唯一、騎士達だけは変わらず仁王立ちを保っている。
夢の出来事であるためか、どこか他人事で眺めていると、凛とした声がした。
「拘束の魔術を施しました。敵対行動に反応して締め上げます。迂闊な真似はされないように」
奥の階段から現れたのは、白と水色のドレスを着た金髪の少女だった。
顔立ちからしてまだ若い。
高校生か大学生くらいだろうか。
気品の溢れたその姿は、思わず黙り込んでしまうオーラを帯びている。
(周りの鎧が騎士なら、あの少女は姫ってところか)
ビジュアルからして、まるで海外映画の主演女優のようだ。
一般人とはまるきり違う。
近頃はチープなサメ映画ばかり漁っていたので、余計にそう感じるのかもしれない。
そんな姫は俺達の前に立つと、堂々と話を切り出した。
「ここは異世界です。皆様は、勇者として選ばれました」
突拍子がない始まりだった。
いきなりすぎる。
さすが俺の夢だと感心していると、姫はこちらの心を読んだかのように話を続けた。
「信じられないでしょうが、これは現実です。皆様は故郷を離れて、この世界に召喚されました。他ならぬ我々の手によって」
「一体、何が目的なんだ!」
誰かが叫んだ。
殺気立つ騎士を手で制して、姫は淀みなく答える。
「この国に属する勇者として、世界の平和に貢献していただきたいのです」
また壮大な話だ。
ファンタジー系のゲームでよくある導入である。
これでラスボスが魔王とかドラゴンなら完璧だろう。
「まずは皆様の能力を鑑定させていただきます。世界を渡った際、特殊な能力を得ているはずですので。こちらの言語を理解されているのもその影響です」
確かに耳に入ってくる内容と、姫の口の動きが違う。
まるで吹き替えのようだ。
(……これは夢じゃないのか?)
だんだんと自信がなくなってきた。
眉を寄せて疑う間に姫の話が終わり、俺達は騎士達の指示を受けて五列に並ばされる。
それぞれの列の先には、占い師みたいな格好の人間が待っていた。
台と水晶があれば完璧か。
並んだ者達は、先頭から順に何かを検査されていく。
(姫は俺達の能力を解析すると言っていたな)
解析を受けた人間は、喜んだり落ち込んだりと様々なリアクションを見せる。
前者は姫の出てきた階段に案内されて、後者は騎士達に掴まれて、最初の薄暗い通路へと連れて行かれた。
きっと能力の解析結果が悪かったのだろう。
彼らの怒声や悲鳴、命乞いを聞きながら震える。
そのうち俺の番が回ってきた。
誇らしげに階段へと進む直前の少年を見て小さく息を吐く。
「こちらへどうぞ」
「お、お願いします」
少し緊張してしまう。
診察を受ける気分に近かった。
占い師風の男は俺を凝視する。
何かを見極めようとしているようだった。
「ふうむ」
「どうですか……?」
俺が尋ねると、男は首を横に振った。
「――弱いですね。信じられないくらいの弱さです」
「はい?」
「ご自身でもステータスを確かめた方がよろしいかと。額に意識を集中させると見えるはずです」
男は早くも軽蔑したような様子で言う。
もう既に見放されているらしい。
俺は心にダメージを負いながらも、男の指示に従って集中する。
すると脳裏にゲームのウィンドウ画面に似たイメージが展開された。
(おお、これがステータス……)
そこには名前や年齢などの基本情報に加えて、ゲームによくある項目が載っていた。
レベル1というのは初期値なのだろう。
他にもHP(体力)やMP(魔力)、STR(筋力)、DEX(敏捷)といった項目が並ぶ。
横に数値も記されていた。
それぞれ俺の能力値を示しているのだろう。
「一般人の平均数値はどの項目も100です。異世界人である皆様は300程度が平均となります。身体強化系のスキルがあると、ここからさらに跳ね上がりますね」
男の解説を聞きながらステータスを確認する。
各項目の数値はほとんど100を超えておらず、だいたい60から80あたりだった。
「えーっと、つまり俺は?」
「一般人にも劣るほどの弱さということです」
「マジか……」
俺は落胆する。
せっかく異世界に召喚されたのに想像以上にショボい。
夢だとしたら尚更に優遇してほしかった。
諦め切れずにステータスの能力値を確認する。
意識の中でスクロールしていくと、一番下に妙な項目が見つかった。
(SAME……セイム?)
これだけ666と飛び抜けて数値が高い。
しかし何の能力か不明だ。
解説があるわけでもないため正体が分からない。
気になった俺は男に質問した。
「あの、一つだけ数値の高い項目があるんですけど……」
「分かっています。通常は存在しない項目ですね。あなたの能力に関連するようですが、他のステータスが揃って低いので、評価に変わりはありません」
男は冷淡に述べる。
こちらを気遣うつもりはないらしい。
既に勇者として期待されていないのだと思う。
だからこんな態度に違いない。
男は事務的に話を続ける。
「次にあなたの固有能力――スキルについてですが、こちらもやはり有用とは言えません」
「スキル……って何ですか?」
「技能や特殊能力がステータスに明記化されたものです。各項目の数値とは別に、その人物を評価する指標となります」
説明を聞きながらステータスを弄っていると、画面が切り替え可能であることに気付く。
パソコンのタブみたいなイメージだ。
そこには俺の所持スキルが表示されていた。
全部で二つだ。
画面の大部分が空白なので少し寂しい。
一方は【翻訳】だった。
異世界で不自由なく意思疎通できるのは、このスキルのおかげだろう。
海外旅行なんかでも役立ちそうな能力である。
もう一つのスキルは【召喚魔術】だった。
少しカッコいい響きだ。
(魔術ということは、俺は魔術師になるのか?)
ゲームなんかでは能筋の戦士タイプが好きだったのだが。
潜在的な好みでも反映されているのだろうか。
「あなたの持つ【召喚魔術】は物体や生物を呼び出す能力です」
「俺達をこの世界に集めたのも、同じ能力ですか?」
「大まかな区分ではそうですね。莫大な資金と時間をかけて実施しております」
男の言葉には含みがあった。
嫌味というか皮肉というか、とにかく俺に対して辛辣なのだ。
役立たずの俺を召喚するのにもコストがかかっていると言いたいのか。
男の話を理解したところで、俺は彼に疑問を投げる。
「どうして俺のスキルが有用とは言えないんですか。勇者を呼び出せるのなら、俺の召喚能力もそこそこ役立つと思うけど……」
「あなたの場合、魔術行使に必要なステータスが圧倒的に不足しています。レベル1であることを加味しても擁護できません。少し珍しいスキルですが、王国軍には優れた召喚術師が幾人もいますね」
お前は必要ない。
遠回しにそう言われた気がした。
突き放すような口調にショックを受けていると、背後から足音が近付いてきた。
順番待ちをする人達の向こうから、騎士がこちらへ歩いてくる。
俺をどこかに連行するつもりなのか。
あの薄暗い通路の先で処理されるのかもしれない。
自分の死に様を想像した俺は反射的に抗議した。
「ま、待ってください! 俺に召喚魔術を試させてください。ステータスだけで不要だと判断するのは、あんまりじゃないですか?」
「……いいでしょう。ではここで披露してください」
男は懐を探って小さな書物を取り出す。
背表紙にタイトルらしきものが刻まれていた。
最初はよく分からない記号の集合体だったものが、すぐに意味のある言葉として理解できるようになる。
タイトルは「初級魔術集」だった。
男はその書物を俺に手渡してくる。
「手順はお教えします。ご自由にお試しください」
列を外れた俺は、室内の空いたスペースに移動して、男から魔術の使い方について指導を受ける。
呪文は不要で、書物に記された魔法陣とそれに対応する生物を想像することで発動できるらしかった。
スキルがあると習得が早く、感覚的な部分で理解できるとのことで、かなり大雑把な指導だ。
或いは俺に余計な手間を割きたくないだけかもしれないが。
その可能性は頭から追い出して懸命に練習する。
「だ、駄目だ……」
十分ほど試行錯誤した。
努力の結果は芳しくなかった。
初級にあたる召喚魔術をいくつか試してみたが、魔法陣が出現した段階で術が壊れてしまった。
何度チャレンジしても、成功することは一度もなかった。
男はそれが当然であるかのように告げる。
「何も召喚できませんでしたね。やはり魔力不足が原因です」
「俺は、どうすれば……」
「暫定的には勇者失格です。素質がなくてはどうしようもありませんから。ですがご安心ください。我々はあなたのような方にも逆転の機会を与えますので」
男は冷たい微笑を湛えて言う。
ほぼ同時に、騎士が背後から肩を掴んできた。
俺は顔面蒼白になって何できなかった。
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