今だけでも好きな人の



ふたりで帰る、いつも通りの帰り道。


会話がないのだって、いつも通りとまではいかないけれど、よくある事だ。


けれどこの沈黙が、今日はなんだか、不快にまとわりつく。



沈黙には重いも軽いもないと思ってたんだけど、どうやらそういうこともないらしい。




「なんだかなぁ」




スクランブルまではまだだいぶ距離があるけれど、道半ばで足を止める。



なんだか、このままでいるのは、性にあわない気がするから、振り返って口を開いた。


出てくる言葉は、相変わらず粘っこく喉に張り付くけれど。




「…………センパイ?」




川越は不安げな顔でこちらを見上げてくる。


大人しそうな瞳をうるませて、こちらを見ている。




「川越、どこから聞いてた?」



「えっと、マトバさん? って人の名前が出たところから……」




言ってから、川越は一瞬固まって、目線を逸らす。


的場と言う名前が出てくる不愉快さに、私が眉を顰めたのかもしれない。


本当に、らしくない。


そういう反応は、なんとなく、私を苛立たせる。




「すみません、えっと、なんていうか……」




要領を得ない、か細い声。


困ったように目を伏せて、川越はそれ以上何も言わない。


多分、このまま歩き出しても、川越は着いてくる。


でもこの空気は変わらない。


それは多分、もっと私を、苛立たせる。



ああ、これは……八つ当たりだ。




「的場先輩とのこと、ききたい?」




私の声に反応して、川越がバネのように顔を上げる。


その顔は泣きそうで、今にも逃げ出したいとでもいうように怯えている。


私、そんなに怖がらせるようなこと、これまでしてきたっけ?




「知りたくないとは、言えません。でも教えてほしいとも、言えません。センパイは……えっと、その人のこと、嫌いなんでしょう?」




川越は、言葉を選んで、ゆっくりと私の問いに応える。


上目遣いで、怯えたようにこちらを伺うその顔が、また私の腹の底で、何かにぐるぐるととぐろを巻かせる。




「私が、きいてほしいって言ったら?」



「…………聞きます」



「じゃあ、昔話、だね」




川越の手を取って、また帰路を往く。


川越の手は季節のせいか、緊張のせいか、湿っていて。


けれど私の手より冷たくて、少しだけ震えていた。




「あの人は、私の2個上でね。多分私が、初めて好きになった人なんだ」




好きになった人、というところで、川越の指に力がこもるのが分かった。


川越は俯いていて、私の目線からじゃ表情は伺えない。




「文芸部のセンパイでさ、私に小説の書き方を教えてくれたのもその人で……何も無かったら、多分一年間ずっとあの人に引っ付いてたと思う」



「そう、しなかったんですか?」



「うん、しなかった。まあちょうど一年の頃に色々あったのもそうなんだけど……あの人はね、私のことなんて、微塵も好きじゃなかったから」




話していて、思い出す。


あの人は本当に、私の事なんて好きじゃなかった。


けれど嫌っていたわけでもなかった。


あの人は、私に興味なんてなかった。




「でもセンパイ、モテたんじゃないんですか……?」




川越がこちらを伺うように、また目線をあげる。


不安げで、濡れた瞳が、私を見ている。



それを見ているってことは、私も川越を見ているってことなんだけど。




「モテたよ、男女問わずね。でもあの人は私のことを好きな人じゃなかった。人っていうのは個人で100%だから……何人にモテても、私が好きなひとりが私を好きじゃないなら、意味は無いんだ」



「………………」




川越は何も言わない。


ただこちらを見ている。


そんな川越が転ばないように、私はゆっくりと歩く。




「でもね、告白したら、付き合えはしたんだ。初めて会ってから、一ヶ月くらいかな。あっさりオーケーもらっちゃってさ……それからは、楽しかったなぁ」




そうだった、嫌な思い出しかないわけじゃなかった。


一緒に遊んで、一緒に登下校をして、一緒に本を読んだりして。


ふたりでいれば、ずっと楽しかった。


なのにあの頃の暖かい気持ちが、今は臍の下で真っ黒に疼く。




「じゃあ、なんで……」



「あの人はね、私のことを好きじゃなかったし、ちゃんと好きな人がいたんだ。最初に知ったのは噂だったんだけど……」



「好きな人……」



「浮気されたのか、私が浮気相手だったのかは……まあ多分後者で、あの人の本命は、もっと他にいたんだ」




川越の手に、また力が篭もる。


川越が、強く私の手を握る。


それがなんとなく面白くて、私はその手をちゃんと握り返した。




「あの人は私の初めてを全部持っていって、でもあの人の初めては……初めて以外も、全部他の誰かのものだったんだよ」




川越は何も言わない。


何も言えないのか、何かを言おうと考えているのか、それは分からないけれど。


でも川越はまた顔を伏せて、その表情は私の視界に映らなくなる。




「本人に訊いたらあっさり認めたよ、告白した時みたいに、軽い調子でさ。しかもね、言い訳しないどころか、凄いこと言ったんだ」




自分の顔と声に、笑みが乗ったことを自覚する。




「私に向ける感情と、本命の人に向けてる感情は、まったく別の物なんだよって。だから浮気じゃないんだよって」




改めて言葉にしてみると、バカバカしくて笑えてくる。


そんな言葉が通じるような気持ちなら、私はあの人が欲しくても動かなかった。


アレは裏切りだった。


私にとって最低の裏切り、絶対に許せないし、絶対に忘れることは出来ないだろう。




「最低ですね……」



「うん、最低だよ。あの人を好きだった頃の私は、人生の汚点だね」



「センパイが……」




川越がまた私を見上げる。


何かを言おうとして、迷うように視線を彷徨わせて、一度口を閉じる。


けれど直ぐに意を決したように、またこちらに瞳を向けて。


やっぱりまた、顔を伏せてしまう。




「なに、言ってごらん?」



「…………センパイが私や、他のみんなの告白を頑なに断ってきたのは、その過去が理由ですか?」




顔をほとんど伏せたまま、目線だけをこちらに向けて、川越は問うてくる。



ここまでとあまり変わらない行動、態度、問い掛けの仕方。


けれど今回は、苛立ちを覚えなかった。



だってこういう風に、ちゃんと訊いてくるし、考えるから、私は川越を傍に置いている訳だし。





「半分はそう、私はあの人みたいに無責任になりたくない。もう半分は……いや、やっぱりもう半分もそう、かな」



「もう半分、ですか?」



「私はあの頃みたいな気持ちを、ここ2年抱いてない。あの時ほど、人を好きになってない」




私はあの頃みたいに、人を好きになれてない。


ただ好きになれる相手に出会っていないからなのか、自衛からくる本能的なものなのか。


それとも何処かが麻痺してしまっているのか。


それは、わからないけれど。




「私のことも、ですか?」




気付けば、不安げで、脅えた表情で、川越は私をまた見上げている。



図々しい、けれど、嫌いじゃない。


ここまでの話を聞いていて、自分でもダメなのかと問うその図々しさは、可愛らしい。




「嫌いじゃないけど、今付き合っても、長く続かないと思うよ」



「それでも」




川越はまた、私の手を強く握る。


ヒステリックという感じじゃない、拗ねてる訳でもでもない。


でも…………。




「どうしたの川越、そんなに焦らなくていいんだよ。最初に決めたじゃない、ふたりで一緒にいて、“そうなれたら“そうなろうって」



「でもセンパイは、私のことを好きじゃないんでしょう? 私ばっかり好きで、このまま時間が経って、どうせセンパイに捨てられるなら……ッ」







“今だけでも好きな人のカノジョになりたい!!”







決して大きな声じゃない。


ヒステリックでも、拗ねてるわけでもない。


ただ、今だけでも幸せになりたいと、川越は言う。



それはなんだか、とても可愛らしくて。


けれど、私が受け止められるような重さの気持ちではないことを、私に伝えてくるようだった。




「じゃあ今、これから付き合ったとして、川越は……愛言は、私を許容できる?」




愛言、マコトか……。


なんだか、しっくりくる。


こういう呼び方、普通はしないんだけど。



まあそれは良い。


問題はよく分からないという顔をしてる川越だ。



……伝わらないなら、もっと端的に伝えよう。





「マコト、君は……私に抱かれても良いと頷ける?」




川越が、小さく息を呑んだ。

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