キャラじゃない
珍しく川越が学校への道を引き返した後、私は普通に家に帰って、普通に過ごして、普通に次の日の朝を迎えた。
別に川越の言ったことをまるっと何も考えず飲み込む程、私はお馬鹿さんでもないけれど、川越が学校へ戻って言った理由は、なんとなくわかる。
ちゃんと理由を考えて、ちゃんと結論を出した。
おかげで熱を出すかと思ったけど。
多分川越は、私の書いた短編を読むために、学校へ戻ったのだ。
それを悪いとは言わないし、思わない。
別に高麗川が変なことを言わなければ、何かを知られる訳でもない。
ただ私の書いた、ソレっぽい短編を読んで、それで終わることだ。
私たちのいつも通りにヒビが入るようなことでもない。
今日はまたいつも通りのはずなのだ。
そして今、いつも通りを消化して、これまたいつも通り図書室の椅子に座っている。
蒸し暑くて、本を読むのにすら手汗を気にするようなこの季節に。
なのにそんな私に声をかけてきたのは、いつも通りではない誰かだった。
「あら、笠幡さん、こんにちは」
高麗川、文芸部の現部長。
同じ学年の、隣のクラス。
「高麗川か」
「なんだか残念そうな顔だね、誰か待ってた?」
「うん、そうだね、人待ち」
「川越さん、かな?」
毒気のない笑顔で微笑む高麗川は、ゆったりとした声音に違わない、ゆったりとした所作で首を傾げる。
太くて長い真っ黒な三つ編みが、背中で揺れた。
「…………そうだけど」
「そんな顔しないでよ、別にからかったりしてる訳じゃないんだから」
くすくすと笑う高麗川は、私の座る席の反対側、机を挟んだ席に腰を下ろす。
なんとなく会話をしたがっている雰囲気でこちらに笑みを向けてくるから、私は手に持っていた赤川次郎を閉じて机に置いた。
そして高麗川の方へ、向き直る。
「ねえ、川越に私が文芸部にいた事を教えたのって、高麗川?」
「うん? うん、半分はそうだよ。訊かれたから答えただけ、だけど」
「てことは、バックナンバーを読んでてたまたま気付いちゃったのね」
「だと思うな、私も別に、笠幡さんのこと教えようとか思ってもいなかったし」
笑みを崩さないままで、高麗川はそう告げる。
顔に汗をかいていなさそうに見えるのが、なんとも高麗川に人らしからぬ雰囲気を与えていた。
「まあ隠すことでもなかったから、普通に教えたけど……ダメだった?」
「別に……匿名で載せたモノのコトさえ黙っててくれれば、他は別に」
「…………そっか。ねえ、笠幡さん」
高麗川が笑みを消して、なんとなく真剣味を帯びた表情になる。
まっすぐこちらを見詰める黒色の瞳。
ああ、ちゃんとこっちを見て会話をしてくる。
私は高麗川の、こういうところがあんまりすきじゃない。
人として当然だとか、そういう話はおいといて。
高麗川の瞳は綺麗に黒く染まりすぎていて、私に逃げることを許さない迫力がある。
「川越さんといるの、楽しい?」
「…………何、急に」
「だって笠幡さん、普段は他人なんて知らぬ存ぜぬだから、川越さんのことは気に入ってるのかなぁって」
「そんなの、どっちでもいいでしょ。今回は私のことでもあったから、たまたま訊いただけで……」
「笠幡さん、普段は自分が話題に出されても全然興味なかったじゃない」
この女は、人をしっかりと見て、観察している。
だから、嫌いだ。
真っ黒な瞳が、目を細めて笑うこの女が。
「私ね、結構気にしてたんだよ。笠幡さんと、的場先輩とのこと」
的場先輩。
マトバ……。
その名前を聞いた瞬間に、自分の中で何かがカッと熱くなるのを感じた。
聞きなれていて、口寂しくなるような。
けれど口にしたら、ドロドロに溶けてしまいそうな、そんな言葉。
「その名前は、言わないで」
「ごめんね、でもね……」
「やめて、本当に。あの人の名前を、二度と私の前で口にしないで」
自分の鼓動が早くなるのが分かる。
頭の中で回るのは、あの頃のことばかりで。
何も考えずに生きるようになったのも、あの頃からで。
だってそうしなければ私は……きっと……。
「センパイ?」
声が、聞こえた。
頭の中で回っていた言葉も、臍の下でとぐろを巻いていた熱も。
その声が、かっさらっていく。
「どうかしたんですか、センパイ」
ああ、安らぐ声だ。
別に誰のモノでも同じはずの、私に向けられた声だ。
そんな、普通の声だ。
「さっきぶり、川越さん。笠幡さんね、ちょっと調子悪くなっちゃったみたいで。 お願いしていいかな? 私部室戻るから」
「え、あ、はい……」
椅子が引かれて、立ち上がる音が聞こえる。
静かな足音で図書室を出ていく、そんな音も聞こえる。
残るのは、学校で当たり前に聞こえるいつもの音と、私の息遣いと……。
「センパイ、凄い顔……体調が悪いなら、保健室行きますか?」
そんな、安らぐ声だけだ。
言葉が上手く出なくて、首を横に振る。
そしたら、隣に、座る音。
「センパイ……無理はダメですよ、水分ちゃんと摂ってますか?」
言われて、自分の喉がカラカラなことに気付く。
そりゃあ声も出ないはずだ。
口の端に笑みが浮かんだのを自覚して、立ち上がる。
「…………ぇろう、川越」
私は、上手く言葉に出来ているだろうか。
分からないけれど、出来ていなくても言い直す必要も無い。
着いてくることを疑わなくていい、置いていかれることを恐れなくていい。
それが私たちの間にある、当たり前だから。
だからほら、私が図書室を出れば、ちゃんと軽い駆け足の音も着いてくる。
けれど、服の裾を引かれて、引き留められる。
「センパイ、どうしたんですか。そりゃセンパイはいつもボーッとしてて、変ですけど。今日はなんか……」
振り返れば、川越が眉を下げて私を見上げている。
私は……どんな顔をしているだろう。
「そんな顔してちゃ、王子様が台無しですよ……」
「ごめんね、ちょっと、嫌なこと思い出しちゃって……」
ゆっくりと出てきた声は、少し掠れていて、粘っこく私の喉に張り付いて、不快な音だった。
「………………」
川越は一度目線を彷徨わせて、それからなんだか泣きそうな顔になって、今度は俯いて、私の服の裾を一層強く握る。
立ち止まっているのもなんだか不快な空気だったから、ゆっくりと歩き出す。
後ろは振り向かない、着いてきているから。
服の裾を摘んだままで、川越はちゃんと着いてくるから。
「川越、もう昇降口だよ、靴、履いてきな」
返事はない、けれど裾を掴んでいた手がするりと解かれて、足音が離れていった。
まいったな、こういうの、キャラじゃない。
私も、川越も。
上履きから靴に履き替えて、校門前まで歩いていく。
今日は珍しく、校門前に着く前に、川越が追いついてきて、やっぱり服の裾を摘まれた。
ほんと、キャラじゃない。
こんなの、普段なら絶対許してないのに。
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