第23話
武林は派遣切りに合わなかった。繁忙期だから辞めさせるよりも労働力を使い潰したいらしい。ただ、俺と部長の監視付きだ。
「武林。こんなことも出来ねえのかよ。カスだな」
「ごめんなさい」
「謝って済むと思うのか!」
部長の矛先が武林に傾いた。俺は以前よりも殴られなくなる。彼の眼中に無いようで、報告しても突っかからない。俺は平穏を勝ち取ったことに誇りを覚えた。ただ、武林が無断欠勤すれば破綻する。既に肩パンされて彼の顔が曇っていく。何とかこの仕事場に繋ぎ止めないといけない。
俺は昼休憩にイカだに連絡した。
『どうした?』
『俺にも薬を配ってくれないか。言い値で買う』
『うお、どうしたんだよ』
俺は経緯を説明した。彼は笑って聞いてくれる。部長を驚かせたことに一服報いたなと褒めてくれさえした。
『でも、お前って自分で手を下すやつじゃなかったのに』
『ああ。こんなに気持ちいいなら最初から殴ればよかった』
俺のアカウント運営は弱いものいじめだった。文字ではわかっていたが、現実で行えば、この快楽は会得できない。自分の手で執行すると、より行動の深みが増す。
人を虐めるのは楽しいし、いじめられる側に問題がある。武林のような弱い人間がいるから、社会は回せている。今回はそのことを学べたし、この社会を維持しないといけない。舐められたら終わりだから、弱いやつを弱いままに維持してやる。
『お前変わったな』
俺は覚醒剤を手にした。武林に和解の印として贈り物をする。仕事を肩代わりしたし、部長には代わりに怒られた。その時も部長から殴られなくなっているから、謝ることに辛さがない。彼の高い壁を緩やかに下ろしてやり、覚醒剤を飲料や食べ物に忍ばせる。サプリメントとして配布した。彼をヤク漬けにして会社に留めた。これは簡単に成功する。彼は職場に誰よりも早くかけてくるし、派遣期間が切れても継続して働きたいと言っている。だとしたら、下川が邪魔だ。
ブラック企業は俺の制止も聞かずに暴走している。彼らは『タヒねよ』を稼働して潰すとして、矢面に立つ下川が武林をそのままにすると思えない。いまは清水が働かせているから黙っている。
「下川を潰すか」
そうと決めたら早かった。下川の机に薬を仕込む。そのことを清水に報告し、彼が帰宅したのを確認して、引き出しを開けてもらった。上司に彼のヤク漬けを発覚させて、左遷させる。武林の薬漬けも、彼の仕業だと擦り付けた。俺は人に押し付けるのが得意だ。そして、下川が俺の想像よりも小さいヤツだって自覚した。覚醒剤がバレてから弁明もせずに黙って、項垂れただけだ。こんなやつならすぐにおいれば良かった。
その後、俺はタヒねよでブラック企業NPO法人を炎上させた。俺の復活に取り巻きは喝采した。彼らに上手く炎上するように誘導する。
ついでに下川のことも暴露した。彼を弱いものイジメすることで、屈辱を受けた過去が晴れるからだ。もしかしたら、彼はそのまま死ぬかもしれないと一抹の不安を感じた。だが、その時はその時だ。
俺は人を間接的に殺したことがある。それに罪の意識はない。社会に負けたヤツが死ぬ。負けないようにするには舐められないように強いふりを続けないといけない。そうすることで、俺はやっと罪悪感が消えた。
「?」
ある日、俺は知らない番号から電話が来た。何げなく電話に出てみる。その声は、ずっと渇望していた女性だった。
△
彼女が再会に指定した場所は、病院だった。彼女の住所まで歩いていき、階段を昇る。病室に入ると、窓際に千切がいた。
「ど、どうしたの?」
「あ、あはは」
彼女は左足を吊り上げられて、病室のベットに寝かされていた。テレビの横は見舞いの品なのか果物が置かれている。俺も、彼女の好きだったお菓子を提供した。
「骨折?」
「うん。でも、骨折以外にも病気になってて。治してもらっていた」
それは出勤の途中だった。階段を昇っていると、ハイヒールの足が折れる。体勢を崩して階段から転げ落ちた。そのまま救急車に運ばれて入院。普段から不調だからと、念の為に全身を検査してもらう。すると、初期状態の胃がんを発覚。そのまま治療していた。
「なんで、気が付かなかったの?」
「うーん。身体が痛いのは分かってたんだけど。仕事を休めなくて」
「土日に行かなかったの?」
俺たちは平日に病院へ行けない。申告すれば下川は止めないが、1日不機嫌で過ごすから周りに当り散らして大変だ。その社内の政治的配慮で、皆は土日に通院している。
「うん。寝てたら休みの日なんて終わらない?」
「終わる!」
このやり取りが懐かしかった。まだ下川に虐められている頃だ。彼の顔が浮かんで不快感が残る。霧を散らすように手を振った。
「そりゃ会社なんて来られないな」
「いまは手術も終わった。もう少しで退院する」
「良かった。会社に戻ってこられるんだね」
やっと彼女に職場で会える。会社は過ごしやすくなったと教えてあげたい。全ては俺のためだけど、ちぎりの為でもある。セクハラを働く下川は失脚した。武林は俺の代わりに弱い人材で、仕事を押し付けられる。俺が申告すれば、ちぎりの仕事量も減らせるはずだ。つまり、これからは自由に働くことが出来る。清水から気に入られているから、もしかしたら下川のポジションにつけるかもしれない。
「うーん。会社には戻らないかな」
病室のカーテンが子供に遊ばれてるように乱雑にはためく。同じ病室のおばさんが咳払いした。パイプ椅子がきしむ音がする。
「どうして?」
「だって、居心地わるいもん」
「やっぱそう思うよな。いいこと教えてあげる。下川はいなくなったよ」
「知ってる」
「し、しってるの」
「貴方がしたことも分かってるよ」
俺が知らない彼女の交友関係があった。全て聞かされたらしい。下川を追い出したのは俺だってバレている。もちろん、薬物のことは表に出ていない。このことは清水と俺の秘密だ。
「なんで戻ってこないの? もうだるいやつ居ないんだぜ」
「いや、だって身体壊したんだよ? しばらくは自分のために生きるよ」
「田舎に戻るの?」
「戻らないよ。あんな場所に戻らない」
「でも金なくなるじゃん」
「なんとでもなるよ」
彼女が人生計画を甘くみていることに落胆した。どうして見通しの甘い人生を信じられるのだろうか。病院に長くいたから、休むことが正しいと刷り込まれたのかもしれない。俺が元に戻してやろうと教育するつもりで話す。
「俺のところにいなよ。だって、もう楽に仕事できるよ。人に押し付けることができるし、俺は昇進する。お前がいれば仕事が楽しいよ」
「うーん、変わったね。柴田」
「いつまでも殴られたくない」
「そういう事じゃない。下川に似てきたよ」
その発言に仰天した。追い詰めたやつが自殺した時とおなじぐらいの衝撃がある。下川から離れたかったのに、下川に似ているなんて、本末転倒だ。
「俺があんなセクハラ野郎と一緒にしないでくれよ。俺は千切に手を出したことないだろ」
「いや、うーん。人を虐げるのはダメだよ」
「はあ。お前はいいよな。男は殴られるから暴力で身を守らないといけないんだよ。そりゃお前は女だから結婚って手段で都会に生き残れるかもしれないけどさ」
「え、何言ってんの? 誰も結婚するなんて言ってなくない? 性別の話を持ち出すなんて意味わかんないんだけど。仕事なんて探せば色々あるよ」
「は? お前のために職場を改善したのに、それで戻ってこねえのかよ。それが俺に対する仕打ちか?」
「いや、私は頼んでないよ。ただ、私と貴方が普通におしゃべり出来たらそれでよかった。それにさ、言ったよね?」
「え?」
彼女はスマホを見せつける。タヒねよで投稿したツイートが掲載されていた。
「私が上司に言い寄られていることを秘密にして欲しかった。こんな大きなアカウントで暴露されたら、私は仕事に戻れないよ。みなから噂される。ラブホなんて行ってない。こんな嘘信じるとは思わなかった。というか、気になるなら私に聞いてよ」
「誰が言ってくるんだ。全員なくしてやるよ。俺は上層部に気に入られている。戻ってこいよ」
「話をそらさないで欲しい。秘密にしてって言ったのに、なんで言ったの」
それは、下川を虐めたかったからだ。虐めるのは俺の気持ちをずっと落ち着かせるためで、いやでも千切の為でもあって、あれ俺はさっきからチグハグなことを考えている。いや、会議室から俺は自分の中に矛盾を飼っていた。俺はどうすればいい。
「なんだ。お前も俺の敵なのか。武林の言った通りだな。俺に話しかけたのは、下川に舐められるから、下のやつを見て安心したかったんだろ。俺もお前の慰め道具だったってだけだ」
「なんでそんな言い方しかできないの。違うよ! 私はあなたと似ているところがあったと思った。貴方が冗談を言ってくれる日が少しでもあったなら、仕事も悪くないなと思ったの。体調が良くなれば飲みに誘おうと思ったし、退職しても関係が続くと思ったの」
「仕事辞めたらもう関わりがねえよ」
「なんで、柴田はこの仕事を続けるの?」
「……」
「柴田はどうして私に飛び込む勇気がないの? もっと私を信じて欲しかったよ」
俺はいたたまれなくなった。逃げるように病室から出る。俺は彼女を見返してやろうと決めた。結婚して子供を作る。彼女よりもまともな生活を送ってやる。
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