第21話

 奏さんは下川が呼んだ警察に追い返された。彼女は帰り際に解放してあげるから待っててと叫んだ。

 現在、俺は会議室に閉じ込められた。俺を呼び出したのは課長の清水。そして、下川が隣り合わせで正面にいる。頭のなかで整理していた仕事の順番が、今起きたデモによってかき消された。


「これは何ですか?」

「お前と千切が仕事をよく思っていないことを知っている」


 動揺した。彼女と俺が仲良いことを知られている。それはつまり、下川も把握しているということだ。彼は千切と付き合いたいと考えている。


「部下がお前たちの愚痴を聞いたことがあるからだ」

「それだけで、彼らを呼びますか」

「そうだな。でも、言ったのは事実だ」


 彼らの非効率なやり方に唖然とした。彼女を呼んだ人間を探して何をするつもりだ。この会社はパワハラが横行している。下川以外にも新入社員を物のように扱っている部長も存在するようだ。そうなれば、不満を覚えるのは今の社員だけではないはず。


「俺じゃないです」

「まあまあ。ちゃんと話を聞こうじゃないか。最近は何していた? 休みの日のことを教えて欲しい」


 俺はイカだと一緒に遊んだことを話す。寄り付きに訪問したことを隠した。あの場に足を運んだせいで面倒な事態に陥っている。イカだには職種を案内してくれた恩があるから付き合っていたが、もう彼らの誘いに乗らない。


「時間は正確に思い出せるか」

「え、その。覚えてないです」

「うん。まあゆっくり思い出そうか」

「え?」

「思い出すまで付き合うよ」


 清水が満足するまで会議室から出られない。寄り付きに目をつけられたことを相当恨んでいる。ブラック企業認定を避けるために告発する人を探していた。


「おい!」


 隣の下川が机を叩いた。その力のあまりに机が動いた。彼は、俺を殺してやろうという勢いを亡くすことなく、話を続けた。


「お前もし話してみろ。もうここに居場所がねえからな」

「まあまあ、下川くん。そんなこと言ったら話せるものも話せなくなるよ」

「すみません!」

「うん。少し外で風に当たってきな」


 部長は素直に従って退出した。もう心の中で俺がブラック企業を読んで迷惑をかけていると確信しているようだ。そのカンの鋭さはこの会社で生き残っているだけある。


「僕も下川が苦手なんだよね。君もそうでしょ?」


 この質問も試されてる気がして、頷けなかった。どうも懐に取り入ろうとしているようだ。


「何かあったら僕に報告してよ。まあ、今回の件も心当たりあったら話して」

「あの、質問なんですけど」

「なんだい?」

「告発した人はどうなりますか?」

「それは答えられないかな」


 会議室から俺は出られなかった。清水は俺に対して世間話を振るけれど、誰が彼女を呼んだのかという鋭い探りは一度も衰えない。


「君はどうしてこの仕事に就いたの?」

「友達に勧められたから入りました」

「いや、ここ大変じゃないかな。下川の元で働くなんてきついと思うし」

「まあ、ここしか行き場所がないので」

「親は?」

「居ないようなもんです」

「ふーん大変なんだね」


 俺はこの仕事を退職したい。だけど、どこに逃げたら良いのだろう。この仕事でさえ上手く働けないなら、どの会社でもやっていけない気がする。


「下川って前から部下を辞めさせてたよ」

「そうなんですか?」

「俺たちも手を焼いてるんだ。早くどっか行ってほしいよ」


 俺が当たり障りのない話を続けていると、清水は時計を確認するようになった。彼も帰りの時間を気にしている。


「さて、下川と交換するか」

「え?」

「あ、そうそう。柴田くんが言わないと帰れないからね。これは下川の部署全体でそうだよ」

「今日は帰れないってことですか」

「うん。出さない」


 清水は下川と交換で帰った。俺は下川と一緒に会議室の照明にさらされる。彼はタバコを吸ったあとなのか煙臭かった。


「お前か?」

「違います」

「お前のことは信頼できないからな」


 下川は俺の椅子を蹴っ飛ばした。予備動作もなかったから、受身を取れずに額を擦りむく。


「俺じゃないです!」

「じゃあ誰なんだよ!」


 肩パンでの馴れ合いと様子がおかしい。彼は、目が赤くなって、冷や汗をかいていた。自分の立場が追いやられることに怯えている。


「俺は前から柴田のことが気に入らなかった。どこか俺の事舐めてるし、話は上の空。同じ間違いばかりする」

「ご、ごめんなさ」

「謝れば済むと思ってるよな。そういうところも腹が立つ」


 彼は俺の頭部を掴んだ。よく聞こえるように俺の耳を彼の口まで持ってくる。


「それに千切は渡さない。俺のもんだ」


 頭の中が白くなる。今までにないほど殴られて蹴られた。彼の憂さ晴らしに付き合わされるから、痛みが増していく。普段のような湿布では足りない。それよりも痛めているのは心だった。千切は俺のものだという宣言に打ちのめされる。


「なあ、お前だろうが!」

「ち、違います」

「千切もお前みたいなストーカーに付きまとわれて可哀想だな! 俺に相談してくるよ。柴田が気持ち悪くて助けて欲しいですって」


 俺は蹲ったまま動かないで頬を濡らす。彼女は俺の味方で彼の方が嫌われている。追い詰めて証言を吐かせる嘘だ。絶対に口を割ってやりたくない。こんな汚い奴に負けたくなかった。


「お前がジロジロ見るからあいつ休んでんだよ。お前のせいで休んでるんだ」

「千切は、千切は」


 俺は上半身を起こす。下川が殴るのは、千切を取られそうだから嫉妬している表れだ。俺の方が彼よりも年齢や容姿が優れている。


「千切はお前に言い寄られて困ってたよ」

「ッ!」


 俺は彼に詰められた。

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