第20話

「初めまして柴田さん。私はNPO法人”寄り付き”の奏です。よろしくお願いします」

「はじめまして奏さん。早速なんですが、ここは何をしているところなんですか?」


 俺はイカだに紹介してもらったNPO法人に来訪していた。ブラック企業の被害者と連携をとり、個人の尊厳を尊重するものだと軽く説明された。しかし、実際にはココは何をしてくれるのか分からない。


「まずは話を聞きます。ブラック企業では何をされましたか?」


 鞄からノートを取りだした。俺はされたことを箇条書きしている。ひとつずつ読み上げながら、下川にされたことを思い出しながら伝えた。彼女は真剣に俺の話を受け止めてくれるようで、頷きで返事をする。一通り話終えると、彼女は唾を飲んだ。


「酷いです!」


 突然の大声で身じろいだ。彼女は腕を組んでノートを睨んでいる。まるで、そのノートから酷いことされたかのように目付きが鋭い。


「そんなの人間がされて良い事じゃないです! 私は話を聞いて腸が煮えくり返りました!」

「は、はぁ……うわ!」


 手を握られて驚いた。距離を詰めることに躊躇いがないから、こちらが後方に引いてしまう。彼女にドキドキしてしまう自分の童帝臭さが情けない。どうしても、異性に話しかけられると喜んでしまう。


「任せてください柴田さん! 私がすべてを解決してみせます!」


 彼女の威勢が良くなればなるほど、俺は不安を募らせた。どうして話を聞いただけで肩入れしてしまうのだろう。俺が嘘をついているのかもしれないのに、1つの意見で物事の全体を判断してしまうのは、危険じゃないのか。


「それでは、残業代が支払われたかとか、他の人がどうなのかも教えてください」


 ここに任せても平気なのだろうか。俺は帰りたかったが、彼女に触られた手前に失望されるような動きをとれなかった。言われるままに、彼女の指さす書類に書いた。

 そうして、しばらく俺の身の上話を続ける。彼女は行政の動きや労組に連絡した際の動きなどを詳細に教えてくれた。さすがに流れ自体は把握しているようで、頼りになった。2時間ほどだったあとに開放される。

 イカだに感謝しなければいけない。俺は何気なしに連絡を入れる。その後、この法人を検索してみた。


「……」


 寄り付きは危険な団体だとサジェストが出てきた。俺は見なかったことにする。



 俺の頭部に資料が落ちてくる。プリントした紙はクシャクシャに丸め、俺に攻撃してきた。部長は首に青筋を立てて俺に怒っている。


「柴田! お前こんなことも出来ねえのか!」

「す、すみません」


 謝った態度が気に入らなかったらしい。頭を強く叩かれて、足がふらつく。殴られることに平気になってきた。そんな自分の変化が怖い。


「まったく、こんな使えねーやつ生きている意味ねえよ。お前、武林に何教えてんだ」

「ごめんなさい」

「ごめんじゃねえよ。武林、こういう風になるなよ?」

「はい」


 武林は眼鏡をかけ直しながら返事する。彼の失敗を責任とっているのに、どうして一緒に頭を下げないのだろう。メモを撮った生真面目な初日と様子が変わっている。武林は、隠し事ができないんじゃなくて、人のことに共感できないだけだ。


「まったく、繁忙期でクソ忙しいのに仕事増やしやがってよ。早くデスクに戻れ!」


 俺は仕事に邁進していた。新人はブラック企業の扱きに耐えられず行方をくらます。その仕事量のツケがいじられ役の俺にまで届いてくる。人手が足りないまま、繁忙期に突入した。終電まで働いて始発に通勤する。仕事のために生きていた。

 上司は率先して俺を居残りさせたがる。死にかけながら働く姿が、水に落とした蟻みたいに滑稽に喚くから、割り振りしてしまうらしい。俺は返事する元気もないので聞いていないふりをした。


「やっと話が終わりましたね」

「柴田さん。殴られてましたね」

「え、うん。俺何かした?」

「え?」

「いや、態度が冷たいから」

「いつもこうです」


 どうも彼とはコミュニケーションが取れていない。親睦を深めないと俺の確認不足で、武林がまた間違えるだろう。なんとか親睦を深めないといけない。武林の些細な言動に片眉があがるけれど。


「武林さん。仕事が終わったらご飯食べに行きませんか」

「それは強制ですか。私は家に帰って自炊しています。無駄な出費を抑えたいです」

「はっきり言うね」

「私はハッキリ言う人間ですから」


 自分から気を使えないと周りに言いふらすやつは、周りに気を使わせる圧をかけていることに気が付かないのか。仕事が忙しければ、些細な他人の仕草に苛立ってしまう。そのいらだちが大きくなって、個人の否定に繋げてしまった。そういった不満が心でたくさんある。


「なんだよ付き合ってくれてもいいのに」

「千切さんが休みだから俺を誘ったんですか」

「な、なんだよ。何?」


 俺は千切のことを考える。あの接待から千切は出勤していない。彼女に連絡を送ったけど帰って来ていなかった。上司に話を聞けるわけもない。接待の失態を掘り返されて、俺をまた肩パンするからだ。彼女のことが心配だ。風邪なら見舞いに行きたい。


「あの、千切って女のどこがいいんですか?」

「え、突然どうした」


 彼なりに社内を観察したようだ。その中でも、俺が千切に好意向けていることに不満があるらしい。


「だって人に押し切られたら断れないし、上司のことはヨイショするし。どう見ても地雷です」

「じ、地雷なんて言うなよ。良い子だろ。俺の事を気にかけてくれるし、可愛いだろ」

「そうですかね。危険だと思いますよ」


 俺は吹き出した。彼はなにか妄想に囚われているらしい。そんなに女性を怖がるものではないだろう。武林は年上だけど、彼に誤解のないよう諭す。


「話してるよ。飲みに行ってるって言ったじゃん」

「柴田さん。悪いこと言わないから彼女はやめた方がいいですよ。あなたが傷つくだけです」

「既に傷ついてるよ。お前が失敗したから」


 心の中で武林を見限る。自分の仕事に集中して取り組んだ。その時、部屋の扉が勢いよく開けられた。


「柴田はどこだ!」


 他部署の上層部に首根っこを掴まれた。俺と部長は何も聞かされないまま連れられていく。エレベータが1階に到着し、入口まで歩かされる。


「この会社はブラック企業です! 社員を道具のように働かせて朝に返しています! 仕事から解放させろ! 下川は退任しろ!」


 奏さんが入口で騒いでいた。俺は頭を抱えて、イカだを恨む。俺は彼に遊ばれているだけではないかと、嫌な予感がした。

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