第18話

 彼女と俺は下川の愚痴を言い合う仲になった。部長は業績不振な俺を夜までいじめ抜き、週末に千切と酒を飲んでストレスを発散する。俺は人に優しくされてしまったら、誰でも好きになってしまう。まして、相手は異性だ。見た目は地味たけど愛嬌があるから付き合いたい。『タヒ』ねよで雑誌を引用したとき、がっつく男性は嫌われると書かれてあった。彼女に嫌われたら終わりだ。それに、あまり浮かれてはいけないという自罰もある。今の生活を固めないといけない。それから月日が過ぎた。


「そういえば、新しい人が入ってくるらしいよ」

「え、そうなの?」

「下川が皆に話してた。あなたと同じ採用方法」

「ってことは誰かの推薦なのか」

「推薦って言うけど、転職サイト経由じゃないの?」

「まあ正確にはそうか」


 部長のことだから俺のようなやつが来なければいいと悪口言っているに違いない。日々、下川に対する解像度が高くなっている。

 彼が話す情報は、千切経由で入ってきた。


「でも、人を入れるだけの余裕があるんだね」

「そりゃあるでしょ。だって、業績自体は悪くないからね」

「何でそんなに上手くいってるの?」


 俺は言われた通りに商品を売っている。製造品を動かすのに必要な部品を生成していた。それを他の工場に発注したりしている部門と、俺のような一般家庭に普及できるような製品を打っている二つがある。工場見学させてもらったが、みんな目が死んでいた。


「あ、そうだ。明日って研修だから準備してね」

「え、研修って新入社員の研修!?」


 俺も経験したことがある。会議室で下川が号泣して、会社の良さを力説していた。あとは、何度も外を走らされたり、経営理念を叫ばされる。非効率で時代錯誤だ。


「業績が悪いから?」

「違う違う。とにかく行けばわかるよ」


 翌日。

 指定された時間に俺たちは集合した。下川は俺が集まっていることに驚いていたけれど、バスに乗り込むよう催促される。千切の口ぶりからして、俺が研修に参加する訳ではない。だったら、何のために途中で合流するのだろうか。カウンセリングで他社員が居たことあるけれど、俺にアドバイスできることなんてない。そう考えているうちに、バスは山奥の施設に到着する。

 部長はトイレ休憩を済ませ、促されるままに進む。そこは、会議室の隣にある『用具倉庫』だった。背を押されるままに営業部の俺たちは入室する。


「え?」


 思わず驚いて声が出た。大きな扉越しに、新入社員の後頭部が見えたからだ。確かに会議室は大きな鏡が後ろに設置されていた。


「これって?」

「なんだ。質問なんて初めてだな。教えてやるか」


 そう言うと、いつの間にか手にしていた資料を配った。名前の横に5段階評価の数字が振られている。先輩たちは慣れた手つきでバインダーに挟んだら丸印をつけていく。


「お前は中途採用だから知らないかもしれない。俺の会社は地方にも遠征して新入社員を捕まえてくるんだ。ただし、一つだけ条件がある」


 千切も地方出身だと話していた。下川が紹介してくれる口車に乗せられたとの事だ。以前に話してくれていた。


「美人であることだ。お得意さんとイケメンか美女を接待する。今からイケメンかブスかを採点する。そのためのマジックミラーだ。俺たちが顔採用して、営業部に引き抜く。でも、美人ばっか揃ったら不自然だろ? 美人を散りばめて、絶対の時に招集するんだ」

「そ、そんな事やってたんですか?」

「お前はそそっかしいから呼べなかった。せっかくだし今度の絶対にお前も来るか。仲良くしてる千切も来るぞ」


 俺と千切の仲良い関係が暴かれていた。秘密の絆だと興奮していた俺が馬鹿だ。千切は俺から目をそらす。


「それに十八番も見られるぞ」

「十八番?」

「うちの会社はイケメンか美人のヤツとデートさせるんだよ。言うならお見合いをさせる」

「いや、それは冗談でしょ」

「本当だ」


 俺は人の容姿をアカウント越しで非難したことがある。そうすることで、PV数を稼げた。

 今回は状況が違う。俺の手で人のことを採点していく。彼に従ってしまうのは、普通に喋れたからだ。殴られないだけで込上げる嬉しさを否定したかった。



 接待の日。

 俺は千切と部長についていく。到着したのは高級レストランの入口だ。俺でさえ名前を知っている有名な店。先方は俺たちに遅れて合流した。向こうは、いかにもアイドルに熱を入れてそうな男と、おばさん。互いに挨拶し、酒を飲みかわした。

 部長は得意先を必要以上に褒め称える。いかにもイケメンに好かれるや女がほっとかないでしょうという、男女に囚われたモテるか持てないかの寸法を振り回す。相手も悪い気がしないようで酒が進んでいた。


「ほら、柴田! さっさと告げよ」

「ご、ごめんなさい」


 震える手で酒を継いだ。緊張してこぼしそうになる。


「すみませんコイツ使えなくて」

「あらあら可愛いわね。震えてるわ」

「そんな緊張しなくていいですよ。俺と柴田さんって同い年ぐらいじゃないですか?」


 オタクみたいな男に年齢を話す。思ったより老けてるじゃないかと笑われた。おばさんは、若い子に手を出しそうになったわと冗談を飛ばす。


「千切ちゃんはまだ若かったよね? 彼氏はできた?」

「なかなかいい出会いがなくて」

「なら、俺のメール返してよ! 一緒に温泉行こうって言ったじゃん!」

「いや、初めて聞きましたよ」

「千切ちゃんは手厳しいな。興奮する!」


 彼女は、明らかに困っていた。長くすごした俺ならわかるけど、取引先のノリについていけていない。部長は千切が美人だから連れてきたのだ。


「千切、俺は聞いたぞ。向こうさんとお付き合いしなさい」

「私にも時間がなくて……」


 何かしなくちゃいけない。でも、俺は身体を動かせなかった。だって、部長に恐怖を刻まれているから。パワハラされると、ダメな時にダメといえなくなる。俺の中で優先順位が歪んでしまう。


「だったら、十八番やらせるぞ」

「十八番ってなんですか?」

「四つん這いで部下にレースさせるんだよ。割とウケがいいんだよ。あなたも見たいでしょ?」

「ちぎりさんやってくれるんですか!」

「えっと、明日の仕事に差し支えますので……」

「なら、柴田に仕事を肩代わりさせる。な?」


 すべての視線が俺に注がれる。持っている瓶を咄嗟に落としてしまった。床にころがって、アルコール飲料がちぎりまで零してしまう。


「あー!お前何してんだ!」

「ご、ごめんなさいごめんはさい」

「あっははは」


 千切だけが笑ってくれた。この瞬間は仕事の残酷さを忘れることが出来る。笑われるなら道化になりたかった。


「お、俺が四つん這いになります!」

「お前のレースなんて見たくねえんだよ!」

「わんわん!」

「うるさい!」

「あっははははは」


 その後、接待は終わった。皆が終電に帰っていく。俺は酔っ払って部長に手を持たれて引きずられる。意識はあるのに体が動かなかった。


「変な酔い方してるな。お前もう連れてこねえわ」

「はい!」

「なんでそんなに元気な返事出来んだよ。柴田マジでイカレてるわ」


 彼はタクシーを呼ぶために受付へ走った。俺は待機席に腰を下ろしたまま、彼の後頭部に残っている数本の髪の数をかぞえた。


「馬鹿だったねー」


 千切がトイレから出てきた。俺の横に躊躇いなく座る。手を伸ばしたら肩を抱き寄せられる距離だ。肩パンがまだ痛むから動かせなかった。


「なんか、千切が誰かに誘われるの嫌だった」

「うっふふははは。バカだなー」


 彼女はまた俺に飲み物を渡してくる。店員から飲料水入りのペットボトルを受け取っていた。俺は彼女に貰ってばかりで返せていない。どうしてこんな俺に優しくしてくれるのだろう。そう思うと目頭が熱くなってきた。


「ええ、柴田なんで泣いてるの!?」

「なんで俺に優しくするの。迷惑かけてばっかなのに、ココに来る前とか馬鹿なことしてたのに……」

「もー泣くな!」


 背中をさすられる。酒に酔っ払って身体が熱い。触られた箇所に意識してしまう。嫌な気持ちが全くしない。


「私って部長から言い寄られてるんだ。付き合ってくれないかとか、ホテルとか。そういうの憂鬱で、辛かったんだよね」


 ただ黙っておくべきだとわかった。俺は石像のように静まり、彼女の発言を待つ。


「……」

「ここだけの秘密だからね」

「うん」

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