柴田

第17話

 俺の肩は痛み、手のひらを動かすことができない。私の上司である下川が、肩パン勝負に持ち込んだから。


「柴田。パンチよええなー」


 部長の下川が空に拳をつきだす。口でシュッと風きる音を出していた。普段は運動していないらしく、脇汗がスーツまで染みている。


「部長には敵いませんよ」

「おいおい中途採用って根性なししかいねぇのか?」


 俺こと柴田はブラック企業に勤めている。知り合いの紹介で働いているが、出社するたびに帰りたいと心で苦しんでいた。部長の下川は私の肩を標的にしてくるし、必要な連絡を私に回さない。月イチの報告会では私の話を無視して女性にセクハラしている。彼のような男になりたくないという反面教師として最適なカスだ。

 こんな会社を早く辞めたいが、行くところがない。ここで踏ん張らないと社会という大きな生き物に食われてしまう。


「なあ、俺に殴られる理由わかるか?」

「いえ、俺には分かりません」

「あ、俺って言ったー。お前日本語おかしいよな。め上のやつには僕か私だろうが、心で俺って使ってんじゃねえか?」

「つ、使ってます」


 私の右肩が殴られた。利き手だからこそ攻撃され、今日はご飯を食べられないだろう。気に入らないことがあれば力に出る。それが下川の男としての教育らしい。俺が上司になっても、暴力だけは振るわないようにしよう。


「お前の業績が最下位だからです。ほら、拍手!」


 部下たちは拍手する。耳をそばだてながら労働していた。その器用さを俺は欠落している。だって、ここで働くのが初めてだから。


「やっぱ元ニートって発育が遅れてるんだよな。お前を見てると俺の常識に確信を持てるよ!」

「や、役立ったなら良かったです」

「ガハハハ!!!」


 手洗い場から出てくる時みたいに両手を下に振る。部長は私を痛め付けることに飽きたようだ。やっと折檻から開放される。俺は息を吐いて、肩からの意識を話した。


「お前このままだとクビだ。それがいかに危ないかわかるか?」

「いや、俺には……」

「親に恥かかせるってことだ。母ちゃんが産んだこと後悔するぜ」

「ごめんなさい」

「そこで俺は考えた! 前と同じことをやらせる!」


 その後、俺は仕事に戻された。彼の提案に乗るため、残業からは開放されたが、定時後は部長に連行され、社用車に押し込まれた。

 俺はこれから起きるパワハラに憂鬱な思いを隠せなくて、表情に出てしまう。窓越しに顔が青ざめている。俺は何をしているのだろうかと、ビル群を眺めつつ達観した。このままだと自分を消費されてしまう。


「よし着いたぞ」


 時間は17:45分。車の時計から目を離し、外出した。部長は私の背中を押して、目的地に誘導した。その場所は都内でも一通りの多い駅の改札だった。


「前にやったことあるけど、覚えてるか?」

「お、覚えてないです」


 頭に強い刺激が起きた。俺は彼に殴られたのだとわかるまでに時間がかかる。


「道行く人にセールスするんだ。うちの商品はいりませんか?って片っ端から声掛けてこい。客を引っ張るまで帰さないからな。部下がお前を見張るから帰れないから頑張れよ。朝までに客いねえとお前殺すから」

「……はい」

「返事は大きく!」

「はい!」


 背中を蹴られ、改札口の近くまで接近させられる。俺の後ろでは部長が帰り支度をしていた。

 俺はどこに部下が紛れ込んでいるのか知らない。この会社に仲良い人がいないからだ。仕方が無いので、道行く人に声がけした。


「いや、間に合ってるんで」「私には必要ないです。急いでるから声かけないでくれる?」「唾飛んでんだよお前死ねよ!」「警察呼びますよ?」


 俺にもわかっていたが、客なんて1人も捕まえられない。これなら電話帳をひっくりかえして通話した方が効率いいはずだ。俺はホームレスが寝泊まりするベンチの横で休憩する。おそらく肩は青くなってるだろう。頭もたんこぶができていると推察できるほど殴られた。動いていないと、涙が不意にこぼれてくる。明日はまた殺されるのだろうか。嫌がらせの日々に、帰宅が遠のいていく。


「柴田くん」

「あ、すみません! 声掛けてきます!」

「まってまって」


 反射的に動いた。俺は腕を掴まれ鳥肌が立つ。だが、その触られた箇所が柔らかく混乱し、相手をみた。

 コートを着た女性だ。俺は異性の知り合いはいても舐められている。触られるなんてないから、驚いて口が開いたままだ。


「千切。あのクソ部長のところにいるやつ。覚えてない?」

「あ、あー。そういえば、拍手してた」



 千切は部長の命令で俺を監視していた。言ってしまえば、俺と雑談すること自体が職務放棄になる。


「はい、コーヒー」

「ありがとう」


 珈琲の温みが、感覚のない指先を癒す。人の優しさは心を解してくれた。


「下川ってマジでゴミだよね」

「ゴミカスだよ。なんであんなやつが部長なんだ」

「そりゃ上層部に媚び売るのが上手いから」

「見たことあるの?」


 俺よりも長く勤めている千切は、下川の媚びについて詳しかった。まるで説明書を読んでいるような正確さで、面白さが込上げる。


「柴田なんで笑うー」

「いやだって、好きかよ」

「嫌い!」

「あっははは」


 時間は19時を過ぎた。それでも人の波は止まることがなくて、彼ら一人一人に思いを馳せる。俺のようにパワハラに苦しんでいる人間がいるのだろうか。だったら、俺はパワハラやセクハラに訴えない人間になりたい。俺が正しい行いをすることで、悪循環は止まるだろう。


「この仕事って給料低いし処遇もクソで最悪!やめたい!」

「千切はなんで辞めないの?」

「やめるよ。転職活動中」

「だから余裕があるんだ」

「言い方にトゲあるぞ柴田くんー」

「あっはは。俺たち仲良くなれそう」

「もう仲良しじゃん」


 俺は職場に1人の仲間ができた。髪の毛を後ろにまとめて赤い眼鏡をかけた女性。身長は俺よりも低いから160ぐらいかな。俺のノリに付き合ってくれるし、笑顔が可愛い。


「柴田ってなんでこの仕事に就いたの?」

「知り合いの紹介。ここしか雇ってくれなかった」

「その前は何し……あ、ニートか」

「正直いうなー」


 俺は元ニートで通している。本来は、アカウントを運営。学生時代からゲームのクリア画像をあげるアカウントを所持していた。そのアカウントで、たまたま意見を投稿したら人に見られた。俺は注目されたことが嬉しくて、人から関心持たれるようなことを探し、意見を言った。そのたびに人が関わってくれるようになって、アカウントをやめられなくなる。その後、色んな世の中の話題をまとめるようにした。先生とまで持て囃された。


「まあ、入れてよかったよ。仕事はゴミだけど、人間になれた気がする」


 アカウントを辞めたのは、俺が人を殺したからだ。きっかけは些細なことだ。炎上しそうな若者の動画を発見し、世間に晒した。最初こそ皆が俺をほめた。だが、当該人間の自殺で波は押し返す。

 あの自殺配信は今でも俺の心を苦しめる。仲間はひとりが死んだぐらいで諦めるなと激励した。でも、俺は人でいたいから、罪悪感でアカウントを凍結させる。


「ふーん」


 それ以降は言及してこなかった。その後、2人で客を集めるが、誰も引っかからなかった。

 翌日。彼女が部長に取り持ってくれて、怒られることはなかった。彼女は強い味方だ。好きになりそう。

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