第11話
焼けた肉のいい匂いが私のお腹を鳴らした。紙皿を手にしながら冷静になるべきだと食欲から頭を切り離す。来客や家族が椅子を並べても手狭じゃない大きさの庭。芝生の上で二人の子供が玩具を使って遊んでいる。壁が白い二階建ての一軒家。私は壁に背をかけて、彼の背中を追う。柴田は袖をまくりバーベキューに専念していた。
私は櫻井が訴えられた後に、柴田から食事に誘われていた。今週の土曜に庭でバーベキューを開催するから来て欲しいと、彼の家に招かれた。私以外に武林や上司もいて、彼らは1人も断ることなく参加した。私と武林は一貫して、彼の馬脚を現す証拠を探っている。今回の参加で何か秘密でも持ち帰られると踏んでいた。
「柴田さん。お招きいただきありがとうございます」
私の上司は後ろから声がけする。右手には缶ビールが握られていて、汗を指の股から地面に垂らしていた。
「いえいえ来ていただきありがとうございます。あれから調子はどうですか?」
「悪くないですよ。あなたのおかげで生活にハリがあります」
彼は私の視線に気がついて、焼肉から目をそらさない彼と腹の向きを合わせ、私に後頭部を見せる。上司にも後ろめたさがあるのかもしれない。生活のハリと言うのは、賄賂のことを指しているのだろう。
柴田が渡した賄賂は、大手テレビ局に務める独身の女子アナウンサーとの合コンだ。彼は深夜の番組にテレビ出演したのをキッカケにマスコミにも顔が広くなっている。その人脈をのばし、女子アナウンサーの連絡先や交流の場を設けたのだろう。私の上司は目立つ人間にコンプレックスがある。
「仲良くしたようで何よりです。ところで、私への見返りはどうなってますか?」
柴田は、部下の前で見せる軍隊のような緊張感の衣を職場で脱いでいた。
「夢ソーシャル会社の記事なら用意できそうですよ。後ろに控える城島がちゃんとした内容をまとめてくれてました。ゲラは明日にも送れます」
既に会社を持ち上げる記事は仕上げていた。上司も下読みするのだから、柴田とは長い付き合いを望んでいるのかもしれない。
「しかし、記事の取材って何度も通わないとできないものなのですか?」
「柴田さんは城島と話しました? 彼はこだわりが強いので何度も尋ねたのだと思いますよ。実際、内容はよくできてます」
私はその場から離れる。靴を脱いで、柴田家のリビングで涼もうとした。
この家は柴田が去年建てた。彼は結婚し、子供が二人いる。どれも夢ソーシャル会社に入社してから叶えた幸せだ。彼の妻も副社長の娘で、馴れ初めはお見合い。どれも武林の情報だ。
「ねー」
私は袖を引かれる。目を開けたら、子供が私を呼んでいた。たしか、柴田の長男だ。彼の両腕は泥で汚れており、私のスーツも付着していた。
「お兄さん遊ぼーよ」
「いいよ。何して遊ぶ?」
「スマブラ!」
「こら、手を洗いなさい」
彼の妻が私の間に入った。子供の背を押し、洗面台まで歩かせていく。彼女は申し訳なさそうに私へ会釈して消えていった。
庭から笑い声が聞こえてくる。柴田と上司が談笑していた。武林は次男の世話を焼いていたが、柴田と焼肉の面倒を交換する。
柴田はそのまま次男を肩車した。私のところまで接近し、子供を下ろす。
「騒がしいところは苦手ですか?」
「そんなことないですよ。招いてもらって嬉しいです」
すると、次男はブロックの入った透明なケースを運んできた。柴田は腰を眺め、子供の頭を撫でる。その目線は優しく、家庭に招かれたばかりの私でさえ愛情の交差があると分かった。
「柴田さんが子煩悩だなんて意外です」
椅子から立ち上がり、私も隣に来る。次男の手先を追っていたら、黄色ブロックを貰えた。その仕草に大人のふたりは苦笑し、2人の遊びに参加した。
「確かに会社の私は襟元からつま先までピッチリ整えてますからね。そのイメージとは離れてるでしょう」
「子供の世話と仕事の両立は大変でしょう」
送り迎えや夜泣きなどは妻に任せている。料理や掃除は柴田が担当しているようだ。彼はなるべく夫婦で子育てを支えていきたいと、幸せそうに話す。
「おかげで、服を買う暇なんてないんです」
彼の着衣するシャツの襟元は波打っていた。洗濯疲れからか、所々が白く色落ちしている。
「お子さん可愛いですね」
「でしょう! 自慢の息子たちなんです」
彼は聞き取れないほどの早口で子供のことをほめたたえる。それを聞いているはずの息子は反応を返さず、真剣に家を建てていた。後ろの方で走る音がする。手を洗った長男が、柴田にもたれかかった。
「そうだ。よければ城島さんもゲームに参加してください」
彼はコントローラーを差し出す。私は手に取ることを躊躇した。その優しさがあるなら、櫻井や部下に分け与えられるのではないかと、疑ってしまうからだ。
「ほら、やりましょう」
「わかりました」
子供と私たちの4人でスマブラする。子供二人はゲームを練習しているから強かった。私たち大人のふたりは焼肉がやけるまで完膚なきまでに敗北する。
武林が焼肉を振り分け、家族と私たちで食事する。アルコール飲料や炭酸飲料が私たちの元まで配られた。食卓に並ぶ人達は柴田に目線を注ぐ。
「では、記事のアップと、櫻井の弾圧を祝して乾杯!」
そうして食事が始まった。私は手が進まず、今にも倒れそうだった櫻井を想う。武林含め家族のみなが楽しげに談話しつつ食事を続けた。柴田でさえ武林に文句つけず手元に集中している。
「柴田さん」
「どうしました?」
「櫻井さんのことをよく見つけましたね」
「私には人脈がありますから、昔の職場のヤツらにも協力してもらいました」
「昔ってどんなことでした?」
「記事にしませんか?」
「はい」
彼は箸を紙皿の上に載せて、落ちないように皿の下を器用に掴んでいる。
「SNS関連でニュースを扱ってました。話題は賛否両論だけど、やりがいはありましたよ」
彼は昔を懐かしむ様子だった。私は彼の前アカウントを言及するのを避ける。暴露記事に繋がりそうな情報を拾わせたくなかった。ただ、どうしてもやり返してやりたい。櫻井の涙が私を動かす。
「櫻井さんに会いましたよ」
「反省してましたか」
「反省よりも、これで彼女は終わりですね。企業から圧をかけられ、一生返済させられる」
「そうですね。会社を敵に回すなんて、親に歯向かう子供のようなものです。抗ってはダメだ」
「罪の意識は無いんですか?」
「……」
「彼女にそんなことをさせてしまったという後悔はないのですか?」
「……」
彼は何も答えなかった。
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