第3話

 研修2日目。8時に運動場へ集合する。彼らは柔軟体操を終わらせて、柴田の指示で走らされる。彼らは朝から従う忠誠心を持ち合わせていない。手を抜いて歩いている者さえいた。柴田は何も注目することなく彼らの外周を見守る。私は、なぜ走らせるのかを問う。


「私たちの仕事はとにかく体力が必要です。デスクワークでも健康面を損なったら仕事ができない。朝に運動するという習慣をつけて欲しいわけです」


 1番遅れて歩いているのは、光秀と下田だ。特に、下田は体力に自信がないと言っていた。軽く流すように研修に付き合っている。その後、彼らは朝ごはんを終えて、また集められた。

 彼らはまばらに集まり、会議室に来る。全員が席に着いて柴田が到着した。彼の手元にはプリントが握られている。それを前列に配らせたまま、説明を始めた。


「今から配るのは会社の理念だ。これは身体に叩き込むほど覚えなくちゃいけない。例えば……、武林!」

「はい!」


 武林は大声で読み上げた。新入社員たちは会議室が揺れるほどの声量に目を丸くする。緩やかだったグループに緊張が走った。読み終えた彼は、後ろに手を回し、恥ずかしさの欠けらもない。


「今の君たちには無駄な行為に思えるだろう。だが、これを言えるようにならないと社員とは言えない」


 社員は配られたプリントを読む。皆は文章を記憶していないから、誰も武林の域まで達していない。私は紙を配られていなかったので、覗き込もうとした。


「おいおい。このままだとずっと読ませることになるぞ」


 少しは声が大きくなったが、恥ずかしさを捨てきれない様子だ。柴田は手で静止する。


「いいか。ずっと読ませるって言ってるんだ。意味がわからないわけじゃないよな?」

「あの、柴田さん。良いですか」


 手を挙げたのは光秀だ。彼はプリントを1度も手に取っていない。


「こんなことしてなんの意味があるのか教えて欲しいです」

「何?」


 柴田は壇上から降りる。彼はゆっくりと社員たちの横を素通りした。そうして、光秀のいる所まで歩いてきた。会社の上司に見下ろされても、光秀は怯むことなく続ける。


「だって、ただ暗記するぐらいなら出来ます。仕事に直轄することを聞かないと俺たちはとても協力できないです」

「そうか。お前はそう思うのか」


 その時、机を叩く音がした。その時、彼らの旅行気分が抜ける。柴田が腕を頭よりあげ、机に下ろした音だった。


「思うからなんだ? やれよ」

「は、はい」

「言え」


 流石に光秀も口答えをしなかった。慌ててプリントを受け取るから、紙がシワだらけになる。


「は、はい」


 彼は読み上げる。突然、上司の変貌に皆がついていけてなかった。誰しも光秀がどういう扱いを受けるのか待っている。そして、彼は噛んでしまう。


「ちげえだろうが!」


 彼は空席を蹴っ飛ばす。飛んで言った先に社員がいて、彼は避けようとしたが衝突した。柴田は光秀の後ろを回る。


「ほら最初からァ!」


 光秀は彼に食ってかかるような牙を抜かれていた。既に柴田の手のひらでブルブルと足をふるわせている。


「おらどけよお前」

「は、はい」


 下田は彼に顎で指図される。即座に彼はしたがって、空いた席を彼は手にした。

 そうして、頭よりも上にあげる。


「声がちいせえって言ってんだろ!!」


 椅子を机にガンガンぶつける。派手な動かし方をするから壊れていく。もう彼の持つ椅子は元のように座れないだろう。机に置かれたプリントにも当たり、破れていく。


「お前、まともに喋れえのかよ!! だったら、口答えしてんじゃねえよ!! ほらもっと言え!」


 光秀が1行を読み上げた。もう彼は背中が丸まり、柴田が過ぎ去るのを待っている。それを彼は分かったように、左足を回して、机を飛ばした。


「遅いんだよ!!」


 彼は回りながらものを破壊する。椅子は下田の横に落ちるよう振り投げた。光秀の周りにはもの一つ落ちていない。彼は紙ひとつで背中を丸めた。


「お前らやる気あんのか働く気あるのか? 何がしてぇんだ?やる気ねえなら帰れよお前らも。何喋るのやめてんだよ」


 それで一斉に叫び出す。異常な空間だ。あからさまなパワハラ空間だった。私は、端末を没収されているけれど、予備を忍ばせている。録音をオンにしてよかった。この研修は収穫が大きい。この事実は慎重に扱わないといけない。眼鏡をかけ直すフリして、隠しカメラを起動する。


「あーもうダメだダメだ。お前ら外でろ」


 新入社員たちは緩やかに立ち上がり、目線を泳がせている。


「早く行けよ!」


 柴田に叩かれたように走っていく。朝に走った運動場まで連れてこられた。私も彼らに慌てて着いていく。


「優しくしたらつけ上がりやがって。お前らが調子乗るから怒ってるんだ。だって、言わねえと分かんねえだろ? だから、お前らが俺をこうしたんだ。いいか。言え。それはそんな難しいか?」


 下田は柴田に指さされる。額が縮まり、唇を噛んでいた。


「難しいのかって聞いてんだよ!」


 彼はわざわざ椅子を拾ってきていた。思いっきり投げたものが運動場に響く。


「む、難しくないです」

「難しくないのか?」

「難しくないです!」

「声うるさ。お前、外周しろ」


 朝と同じコースを彼は走らされた。残ったメンバーは会議室と同じように叫ぶよう唱えていく。柴田は気に入らない奴らを指さして外周させていた。結局、皆は走らされていく。

 最初に走り終わった下田は、息苦しそうな表情が気に入らなくて3週追加された。

 皆が息切れしながら柴田の前に戻る。そうして、理念を叫ぶ。気に入れられなくて、また走らされていた。そうやって日が暮れていく。

 彼らは目が虚ろになり、息も絶え絶えだ。


「光秀。お前言え」

「はい!」


 彼は理念を暗唱した。パワハラ下において、声は最初と段違いだ。舐めた態度が跡形もない。彼は運動場の床を響かせる。


「うん。全然ダメだな。あんだけ刃向かっといてその程度か。お仕置が必要だな」


 柴田は携帯で誰かに連絡を取る。数分後、武林が台車を押して入場した。台車上には、爆竹と書かれた袋が積み上げられている。

 武林は柴田の隣に位置すると、袋を開けた。出てきたのは、列になっている爆竹だ。一纏めに握ると、光秀に接近した。

 流石に光秀も不安そうに聞いてみる。


「な、何をするんですか?」

「お前の身体に巻く」


 光秀は顔を青ざめて1歩下がった。逃げようとしたけれど、武林が空いた手でがっちりと肩を掴んだ。

 武林は慣れた手つきで爆竹を巻いた。彼の周りに赤い筒が締められている。


「今から爆竹に火をつける。理念を読み上げ、その爆発音に勝てたら返してやる」


 柴田は手元にライターを所持し、火をつける。導線が爆竹に届きそうになった。


「復唱!」

「誠実さを身につけること。誰よりも率先して道徳的配慮のある行動する。チームワークを意識して」


 爆竹の音が激しくて、誰も聞こえることがなかった。けむりが彼の周りを包んで、足しか判断できない。


「もう1回!」


 また爆竹を巻かれ、同じことを言わされる。どれも最後まで喋ることが出来なかった。ついに彼は膝をつく。


「おい、前列の2人。こいつ片付けろ」


 男女が前に出て、彼の手と足を持つ。まだ爆竹が残っていて、彼は爆発しながら後方に下がる。


「続けろ」


 そうして彼らは夜まで叫んだ。光秀以外にも爆竹を巻かれた人間がいる。肌が水膨れしている人もいて、武林は応急処置をした。

 既に外は暗くなっている。月が昇り、時計は21時をすぎていた。彼らは誰も合格することなく、理念を復唱し続ける。喉は乾いていて、明日は喋ることが出来ないだろう。


「……下田、前に出ろ」

「はい!」


 陸上自衛隊のような勢いで返事する。前に出て、手は横に置いていた。彼は天井を見つめつつ指示を待つ。


「読み上げろ!」


 下田は選手宣誓のごとく理念を読み上げる。身体が縮こまる姿はなかった。威勢よく、指示に従えば痛い目を見ないという選択の結果だ。

 彼はいい終わり、柴田の唇を見つめている。


「うん。よくやったな」


 柴田は下田を抱き寄せた。背中に手を回し、熱い抱擁を解かない。抱きしめながら、右回りする。下田は驚いた顔をして硬直したが、自然と右目から涙が流れた。


「う、うぅ……」

「お前はちゃんと覚えられたな。偉いぞ」

「うう……」


 彼は号泣しながら彼の腕に納まった。そうして、柴田は彼らの心を支配する。

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