第3話 初恋という名の呪い
人が人を忘れる時、最初に失われる記憶は相手の声だという。
『糞ッ、爪を剥いでも皮を剥いでも顔色一つ変えない…!』『首を切っても死ないぞこいつ!』『さっさと魔女だと言え!この化物が!!』
「誰が言うかバァーーーーーーーーーーーーカ!!!死ね!!!さっさと解放しろ!!!!」
「騒ぐな煩ぇな…」
不満を零しながら扉を開けば、俺の存在に気付いた魔女が眼を向ける。そこに乗る感情は驚きでも、気まずさでも、開き直りでもない。どの執行人にも向けるであろう、純粋無垢な反抗心、ただそれだけ。
(…アァ、だろうな)
嫌味なくらい予想通りな反応に、酷く体が重くなる。…ずっと探し続けていた、俺の故郷と家族の仇、特異体質の魔女、リア。
(お前はやっぱり、俺のことなんてこれっぽっちも覚えていやしない)
♡♡♡
―――20年前、某所
「男性だって、弱くても臆病でも良いじゃない」
稽古後、裏庭で涙を流し膝を抱えるのも、リアが迎えに来るのも、いつものことだった。その日違ったのは、彼女がその言葉を告げたことだけ。しかし自分を肯定するその言葉は、ずっと求めてやまないものだった。
「でも俺の家では、男は将来立派な魔女狩りにならないといけない…」
与えられた言葉を信じたいけれど、今までの人生がそれを許さない。俺の家系は魔女狩りとして成り上り、今の地位を維持している。生まれたときからその後を継ぐことが確定していた俺は、その日も未来の敵を倒す術を叩き込まれていた。
…本当は魔女狩りになんてなりたくない。何が楽しくて、言葉(呪文)一つで幾多の人間を殺せる化物と戦いたいと思うのだろう。考えるだけで恐ろしい。
いいよな女の人は、魔女狩りの家系に生まれても、そんなことをしなくて済むのだから。そんなことを考えていると、彼女は「ふーん…」と意味深に呟き隣に座りこんだ。
「じゃあ逆に、なんで女性は弱くて臆病でもいいのかな?」
どこか含みを持たせて言いながら、愛しさに溢れる眼を僕に向けるリア。…彼女はいつもそうだ。俺より少ししか年上でないくせに、大人と比べたらまだまだ子どものくせに、この世のすべてを知っているかのような台詞を吐く。その態度に彼女との距離が大きく開いているように感じて嫌気が差した俺は、眉間に皺を寄せながら、自分の意見の正当性を主張した。
「だって女の人は元々力が弱いし、子どもを産む役割がある。俺らは子が産めない分、力は女の人より強いんだ。なら女の人や子どもを守るのが俺らの役目だろ」
「なら子どもを産まない女の人は、弱い上に役に立たない?」
「そんなこと…」
あんまりな言葉に咄嗟に言い返すと、暖かな手が俺の頭を撫でた。「君が否定してくれる子で良かった」柔い感触と共に頭上から降ってきた言葉には、どこか悲しい響きがある。
「守れなくたって、産めなくたっていいじゃない。女性を子を産む道具としてしか見ない人や暴力で物事を解決する人の方が、私はよっぽど嫌よ」
「…じゃあ俺は、このままでいい?」
「勿論」
柔らかく、でも確信を持って響く音。魔女により故郷を滅ぼされこの村に来た彼女は、幼い頃から世話をやいてくれていた。苦難を経験したからこそ得られるような、優しさに溢れた肯定。それがささくれた僕の心を疼かせて、恐る恐る顔を上げる。そこには彼女の微笑みがあった。
「君は変わらなくていい。それを許さない環境が変わるべきなんじゃない?」
そんなこと、初めて言われた。
驚く僕を、彼女は目を細めて見つめている。僕を守るべき弱い者として見るような、庇護するような視線。それは嫌いなもののはずなのに、胸がじんと温かくなって、鼻がツンと痛くなった。
「…っ、決めた。俺が、俺があんたを守ってやる」
「えっ、魔女が怖いんじゃなかったの?」
「うるせえ!」
ぼやけた視界を拭い、俺の態度の変化を不思議そうに見つめるその目をにらむ。
「仕方ねえだろ!お前は弱いから、何度も住む場所を奪われたら死んじまうだろうし!」
「え~、そしたら別のところに移住するから、そんな無理しなくて大丈夫だって」
「ッ、だから!!」
子どもが何か言い始めた、そう言わんばかりのどこか甘さの含んだ態度。俺に何も期待しない、優しさと諦めの態度。いつも通りのそれが腹正しくて、癪に触って、勢いのまま想いをぶつけた。
「俺が守ってやるから、ずっとここにいればいいだろ…ッ、!」
出した想いは本物なのに、それを告げる声が震えてしまう。鼓動がばくばく煩くて、身体が馬鹿みたいに暑くて、視線はふらふらと爪先へ吸い寄せられる。身体が熱くて感覚が覚束無い中、彼女の返事を聴くために、聴覚だけを必死に保った。
「ええ、君が守ってくれるなら、私はどこにも行かないわ」
穏やかに馴染む、彼女の声。その音の言葉を理解した瞬間、ぶわっと胸の中で何かが舞い上がった。
僕の痛みを撫でる癖に、柔らかく微笑む大人の面で僕を遠ざける彼女。それを離れないようにできる術があって、それを彼女が与えたという事実。
湧き上がる喜びの中で、強くならなければいけないと思った。彼女を守れる程に、強く。
この日見出した戦う意義は、俺をぐっと強くした。血反吐を吐くような訓練だって、望んでいない家業だって構わない。だってその先に、俺を救った彼女がいる。
そう、彼女がいたから、だから俺は剣を取り、魔女を殺す術を、彼女を守る術を身に着けた。
それなのに。
「リア、リア、リアッ、!!!」
赤い空を灰が泳ぎ、炎が建物と人肉を糧に燃える。雄叫びが悲鳴に代わって、生きた人間が呪文一つで屍になったことを伝えてきた。
訓練の為、魔女狩りが村を離れた間のことだった。誰が魔女に情報を教えたのだろう。奴らは魔女狩りが手薄なその期間を狙って、村に襲い掛かった。…そんな状況で、力のない彼女が無事な訳がない。
「リア起きろよ、起きろよッ!!!!」
死角となった瓦礫の前に俺達がいるとばれれば、すぐに魔女達に殺されてしまうだろう。それなのに、そうわかっているのに、あの日の俺は彼女を呼ぶ声を止められなかった。
腕の中にいる彼女のエプロンドレスは無残にも血に汚れて、裂けた布から皮膚どころか臓器を覗かせている。必死に彼女の頭を抱えても、喉を傷めながら声を掛けても、その名に反応する声はない。
「立派な魔女狩りになるから、俺が守ってやるから、どこにもいかないって約束しただろ…!?」
光を失った瞳、流れ続ける致死量の血液…、それらが意味する結末を知っているけれど、受け入れることなんてできなかった。
なぁどうすればいい?どうすればお前は生きられる?また俺に教えてくれ。あの日俺を導いた声で、苛立ちを覚える位に柔らかい眼差しで、弱い体に宿る強い信念で。なぁ、なぁ、なぁ!!!!
「なぁリア起きろよ、起きてくれよぉ…っ、!!!」
♡♡♡
「―――ン、エイデンお~い!」
男にしては華奢な手と思考を遮る声にハッと意識を戻すと、同僚が楽し気に手を振り、目の前の光景を遮っていた。
「仕事中に考え事とか、やっぱリアといかいう魔女が来てからお前おかしいな?」
「うっせえなァ」
鬱陶しい声と手を払い、目の前の状況に意識を向ける。俺が指示した状況通り、リアのいる古民家を火を持った部下達が囲んでいた。…あの炎が悪い。赤く照らされた闇夜は、否応にも彼女を失った日を連想させる。
「で?誰があの家に行くわけ?」
「俺だ」
「へぇ~、あの出不精のエイデン様がわざわざこんな村まで来た上に、お家までお迎えに上がる訳だ?」
「この薬があの特異体質に効くか確かめンだよ」
適当な理由をでっち上げながら家に近付いていくと、「■■ッ!」と男児の名を呼ぶ女の声が聞こえてきた。何かと思えば男児が―――魔女が滞在した家の息子が、こちらまで走り、俺の進路を塞ぐように立ち塞がった。
「リアさんに何する気だッ!!!」
随分とまァ、この家に馴染んでいたようだな。必死にこちらに噛み付く餓鬼を見て溜息を付くと、「あいつは魔女だ」と単極に説明する。これでわからない程餓鬼ではないと思ったのに、噛みつく声はやまないどころか、こいつは
「そんなこと知ってるっ!!でもリアさん言ってたんだ、俺が守るならどこにもいかないって…!!」
―――はァ?
何言ってんだこいつ。その約束をしたのは俺だ。俺との約束をどうしてお前が持っている。そもそもその小せェ身体で、ろくに訓練もしてねェ身体で、未熟が過ぎる性格で、何をどう守るってンだ。
不意に彼女の眼差しを思い出す。子どもが何か言い始めた、そう言わんばかりのどこか甘さの含んだ態度。俺に何も期待しない、優しさと諦めの態度。
…ああそうか、俺がガキに思ったことを、アイツもそのまま思っていたのか。理解した瞬間、思わず嘲笑いが漏れてしまう。
「ハッ、じゃあお前は、魔女の正体を知っていて匿ったんだなァ」
なんて愚かなんだろう。俺もお前も、馬鹿みたいに現実を知らない。
あの日の思い上がったガキも目の前のクソガキも、全部が全部馬鹿で阿呆で無知で滑稽。口角が上がる程の怒りに任せて、ガキに薬品をぶちまけた。
「―――」
少年の目が見開かれ、そのまま固定され動かなくなる。仮死状態のそれを掴み引きずるように連れていくと、背後から母親の泣き叫ぶ声と、動きを制する部下達の声が聞こえてきた。
「煩せェな…」
自然と口を付いた言葉を理解して、眉間に皺が寄る。ああこれじゃあ、俺もリアと変わらねえ、糞野郎になっちまう。
♡♡♡
「っせぇな」
20年前のあの日、自分の無力さに泣き叫ぶ俺の想いに答えたのは、不快さを隠そうともしない冷徹な声だった。聞いたことのないその音色が放たれたのは、腕の中で眠っているはずの、血に塗れた彼女から。
「―――っ、」
思わず視線を落とし、息を呑む。確実に切り込まれていた彼女の胸元がじわりじわりと塞がれる中、ピクリとも動かなかった腕が体外に零れた臓器を掬い、それを腹の中へ突っ込んだ。異常な光景から目を背けたいのに、瞬き一つできやしない。傷口というには余りにも大きく深い損傷が、何かに侵食されるように元に戻っていく。俺が我に返ったのは、修復を終えた彼女が俺の腕から抜け出した頃だった。
「…いきていたのか…?」
呆然と呟く俺が見えていないかのように彼女は辺りを見渡す。そしてスゥっと息を吸い込むと、大きな声を上げた。
「皆さんどこですかぁ~~~???♡♡私です!リアです!置いていかないでくださぁ~い!♡♡♡」
その声量にぎょっとし「静かにしろリア!!」と声を荒げる。それでも媚びた甘ったるい声は止まず、咄嗟に彼女の腕を掴んだ。すると舌打ちと共に「捥げるだろうが」という低い声が飛んでくる。彼女はやっと僕に目を向けると、心底不愉快そうに言い放った。
「いいか私は魔女だ。他の魔女に情報を流してこの状況を作ったのは私だし、腹を切ったのは争いが終わるまで自然に身を潜めるため。なのにてめえがいつまで経っても隣でビービー泣くから魔女共と合流するのが遅れただろうが。わかったら黙るか死ぬかしろ」
魔女、情報、合流…。彼女の言葉と記憶の中のリアが重ならなくて、酷く眩暈がした。揺れる視界と漠然とした思考の中、ようやっと状況を噛み砕く。でもそれは、飲み込むには余りにも大きな真実で。
「、…騙して、いたのか…?」
「だますゥ?」
「だって、故郷が魔女に焼かれたから、ここに来たって…だから俺らは、お前を受け入れたんだ。なのになんでこんな、殺そうとするんだよ…っ、」
「てめぇらが魔女(私達)を殺そうとするからてめえらを殺すんだよ。正当防衛だわ被害者面すんな馬ァ鹿」
吐き捨てるように言葉を向けられても、思考も身体も動かなかった。彼女は面倒くさそうにそれを見ると、腕を掴んでいた俺の手を弾く。そしてどこから取り出したのだろう、空いた俺の手にナイフを握らせた。意図が分からず困惑していると、彼女は平坦な声で告げた。
「ほら魔女だぞ。殺してみろよ」
緩く両手を広げ、無防備に
…今殺さないと、彼女は魔女共と合流し、行方を眩ませてしまうだろう。あの再生した身体をみる限り、殺すことはできないかもしれない。それでも今、食い止めないといけないことは明白だった。
(わかっている、わかっているのに、)
『俺が守ってやるから、ずっとここにいればいいだろ…ッ、!』
脳裏に過る、あの日の約束。どこにもいかないと、俺の傍にいると微笑む彼女。どうしようもなく手が震え、カラン、と手からナイフが滑り落ちる。
それを彼女は一瞥すると、至極幻滅した声で告げたのだった。
♡♡♡
「―――随分と使えねえ
脳裏にこべりつて離れない、彼女の言葉を口にする。派手な音を立てて壁に衝突した死体を見向きもせずに、目の前の獲物をじっとりと観察した。ああ!ああ!!!弱くて可哀想な糞女!!!彼女の視界にこそ映っていないが、全神経が俺に集中していることを肌で感じ、ゾクゾクとした悪寒にも似た興奮が沸き上がる。彼女の視線が恐る恐る上り、ついに視界すら支配した瞬間に告げたこの言葉で、リアは意識を失った。お前等が呪文を使う時も、こんな気持ちだったのか?
「勝手にイっちまうなんて、随分と酷ェじゃねえか」
倒れた身体を足で返して顔を見れば、あの日と同じようにリアは眼を閉じていた。ああ本当に、俺の腕の中にいたあの時と何一つ変わっていない。幼さを残したままの、異常な程に老いない身体。何も変わってない癖に、俺のことはすぐに忘れた、弱くて卑劣な薄情者。力なく伸ばされた腕は細く、折ろうと思えばすぐにでも折れてしまうだろう。…弱いお前を守ろうと思ったのに、俺を救ったその手で、お前は俺を捨てたんだ。
そんな奴が俺への憎悪で一杯になりながら、必死に媚を売り続ける姿は俺を満たした。そのまま檻にいれば良かったものを、なんだって逃亡なんざしたんだか。腹の子に差し支えたらどうするつもりだ。
「なァリア、今度こそ俺と、一緒にいてくれるよな?」
答える声はない。でもそれで良かった。だってあの日、彼女は既に答えを示していたから。
『―――ええ、君が守ってくれるなら、私はどこにも行かないわ』
記憶の中の彼女は、そう言って柔らかく微笑んだ。
メスガキ性奴隷ちゃん(雑魚)はヤンデレDVご主人様から逃げるそうです す @sususususususususu
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