第10話 第10章
達郎は武雄と違って、この街に生まれ、この街に育った。都会育ちだということもあり、武雄に一目置かれているが、実際はもっと他の土地を知りたいと思いながらも、「お山の大将」でいることが、今の自分を作ってきたのだと思っていた。
他の土地を知らないと、他から来た人が眩しく見える。だが、他から来たことで萎縮してしまって、なかなかこの街に染まろうとしない人を見るのはあまり好きではなかった。そんな時、他から来たその人に対して、
――よそ者意識――
を、自分だけでなく他の人にも植え付けようとする行動を取ってしまうのは、自分の思いがどこにあるか分からないという不安が、そうさせるのであろう。
武雄が自分のことを友達だと思ってくれているのが分かると、少しよそ者に対しての見方が変わってきた。最初は武雄に対してだけだったが、武雄以外の地方出身者に対しても、あまり偏見の目を向けなくなった。
女の子の中にも田舎から出てきている子は、見ていると分かる。それは田舎の癖が残っているからではなく、隠そうとしている意識が目に見えているからだ。隠そうとすればするほど表に出てくるもので、達郎はそれを「いじらしい」と思うようになっていた。
達郎の少年時代は、結構女の子を苛めていた記憶があった。異性に対しての感覚が生まれてきたのは、晩生な方だったかも知れない。中学三年生になった頃に、やっと女の子を意識するようになったからだ。
小学生の頃は、男の友達と一緒にいるより、女の子と一緒にいる方が楽しかった。まわりから、変な目で見られているのは意識していたが、どうして変な目で見られるのかがよく分からなかった。女の子と一緒にいることが女々しいなどという意識もなく、なかったことが却って幸いしたのだろう。男友達と一緒にいても、楽しくない。女の子と一緒にいた方が、何かと頼りにされているようで、楽しかった。
そのうちに、仲良くなった女の子と二人きりになることもあった。最初の頃は違和感がなかったのだが、途中でおかしな気分になる。それは相手の女の子が達郎を意識し始めたからだ。
意識されてしまうと、こっちも意識しないわけにはいかない。好きだという意識ではなく、そのわりに身体にむず痒さを感じる。そのうちに意識されているのを強く感じ始めると、避ける気持ちが生まれてくる。
子供の頃に避ける気持ちが生まれてくると、露骨に避けることよりも、苛めてしまう方がまだマシな気がしたのだ。
「好きな女の子ほど、苛めたくなる」
という心理は、避けようとすることへの罪悪感から生じた、屈折した感情の表れなのかも知れない。
逆に苛めたくなる女の子は、自分が好きになった女の子だというイメージを頭に思い浮かべてしまうと、一番最初に苛めた女の子のイメージがそのまま自分の好きな女の子のタイプになっていた。
「お前は、少し女性の好みが人とは変わっているからな」
と言われたことがあったが、自分でもやはり少し変わっていると思っている。
下手に明るい子はあまり好きではなかった。どこか薄っぺらい感じがするからだ。
「自分のことを棚に上げて」
と、達郎の気持ちを知っていたら、百人が百人、そう言うだろう。
だが、達郎は自分の中で、
――自分に対しての見方と、他人を見る目では違うんだ――
と言いたいが、言えるはずはない。自分でも言い訳だと思っているからだ。達郎は、自分を客観的に見ることができない。見ることができないから、軽薄な態度を表に出しているのだ。客観的に見ることができたとすれば、もう少し態度を人によって変えるなどできるはずだからだ。
恵美に惹かれたのは、理沙ほど、明るさを表に出していないからだったが、時間が経つにつれて、
――本当に俺のタイプなんだろうか?
と考えるようになっていた。
元々一目惚れなどしたことのない達郎だったが、武雄が一緒にいたこともあって、気持ちの中で、武雄とダブらないようにしようという思いがあった。その中で、二人の女性を見て、武雄なら理沙を選ぶだろうという思いが直感としてあったので、達郎は恵美の方に自然と目が行った。武雄との間でアイコンタクトのようなものがあり、達郎は自然と恵美を、
――最初から俺の意志で選んだんだ――
と思い込んでしまっていたようだ。
武雄も達郎とのアイコンタクトを意識していて、少なからず、理沙を選んだ中に、達郎への遠慮が含まれていたことは否めなかったのだ。
達郎は、田舎を知っている武雄が羨ましかった。
子供の頃からこの街で育ち、楽しいこともあったが、おおむね嫌なことの方が多かった。
――こんな街、さっさと離れて、どこかに行ってしまいたい――
と何度思ったことだろう。
この街のことを好きだと言っていた人に限って、親の転勤だということで、街を離れていった。
――なんて、世の中不公平なんだろう――
と勝手に思い込み、中学時代には引きこもってしまった時期があった。
それは二年間ほどのことだったが、最初に引きこもった時は、
「おい、どうしたんだ? お前らしくないじゃないか」
と言って、学校の先生や友達も心配してくれたが、それも時とともに次第に、誰も心配しなくなってきた。状況に慣れてきたというのもあるのだろうが、引きこもりから元に戻ってみると、あれだけ心配してくれた人たちが、
「よかったな」
などと、誰も言ってくれない。
しかも、こちらから話しかけても、皆表情は暗くなっていて、中には露骨に睨みつけるようにしながら、
「気安く話しかけるなよ」
と、言うやつもいた。
そんな時、不思議と怒りがこみ上げてくることはなかった。腹が立つはずなのに、愕然とした気持ちの方が強く、どう言い返していいか、言葉が見つからない。そんな状態でも、こちらから話しかけていると、相槌は打ってくれるようになったが、以前から達郎を知っている人の態度は、変わることはなかった。後から達郎と知り合った人は、達郎とまわりの人の態度を見ていて、
――何て言ったらいいのか、こんな関係もあるんだな――
と思っていたに違いない。
達郎は、これが同じ街にいて、一緒に育ってきているから、そんな態度になるのだろうと思った。誰も知らない、誰にも知られていない土地に行けばこんなことはない。新鮮な気持ちで迎えてくれるに違いないと思うのだった。
達郎に関して言えば、本当にそうだったのかも知れない。
普通であれば、土地が変わったからと言って、まわりの態度がそんなに変わるわけはない。最初こそ、誰もが手探り状態の中で、知り合っていくのだ。手探り状態であって当たり前、達郎のことをどういう人間なのか、判断することだろう。
達郎の性格が変わらない限り、どこに行っても、まわりの人間がまったく違っているわけではないのだから、慣れてきてからの態度は今までの街と変わるはずなどないだろう。
そのことは理屈では分かっているが、一度は離れてみたいと思った。
高校時代までは離れてみたいと思う気持ちで充満していたはずなのに、大学に入って離れることができるようになってくると、今度は急に離れることが怖くなった。
――どこに行っても同じなんだ――
という気持ちが強くなってきたのも理由の一つだが、本当に他の街に行くのが怖いという気持ちが本音だった。離れたいという気持ちが強ければ強いほど、それだけこの街に対しての思い入れも激しくなってくる。離れることを望んでいながら、いつの間にか、この街に浸かってしまっていたことに、離れることができる立場になって、やっと気付いたのだった。
ただ、この土地に執着があるというよりも、
――今さら――
という気持ちが強い。実際に友達もいつの間にかできてきたし、この街から離れることへの執着も失せていた。何よりも、自分の中で意識していなかったが、高校時代は、結構友達と一緒にいることが多かったようだ。まわりから見た自分と、本当の自分のギャップの一番大きかった時期は、本当はこの時期だったのかも知れない。
――どこに行っても同じ――
という考えは、臆病な気持ちから現れるのではないかと思っている。
中学の時に、何もかもが嫌になって、家出をしたことがあった、その時に、どこに行く当てもなく、とりあえず友達のところに身を寄せていて、少ししてから、この街を離れたことがあった。
その時は他の街への憧れがあったわけでもなく、ただ、どこか誰も知っている人のいないところに行ってみたいと思う一心だったので、街を離れることに違和感はなかった。
かといって、最初から離れたいと思っていたわけではないので、他の街への特別な感慨があったわけではない。
――気が付けば他の街に来ていた――
と思っただけだった。
他の街にいると、今までの自分が何だったのかということばかりを考えてしまう。自分を否定する考えしか浮かんでこないのだが、次第に自分の何を否定しようとしていたのかすら分からなくなってくる。
そんな時考えたのが、
――どこに行っても、同じではないか?
という思いだった。ただ逃げ出したい一心で他の街にやってきても、何かが変わるわけでも、自分を理解してくれる人がいるわけでもない。他の街に来てみたかったのは、逃げ出したい気持ちの裏に、自分を理解してくれる人を探したいという気持ちがあったからだ。
結局、また自分の街に戻ってくる。今までと変わらない生活が戻ってくるわけだが、達郎がいなくなった時には、かなり大騒ぎになったようだが、戻ってくると、誰も何も言わない。示し合わせているのか、それとも戻ってきたことで、人のことにこれ以上関心を持たないという気持ちが強いのか、皆何事もなかったかのように次の日がやってくる。達郎も、別に意識することもなく毎日を過ごしていたが、結局、他の街に行ったことで何かが変わるということは一切なかった。
今では、他から入ってきた人を「よそ者」として見る目が、他の人と同じように養われていた。中学時代にこの街を離れたことは、誰も何も言わなかったのは暗黙の了解であり、ポッカリと空いてしまった穴を埋めるわけではなく、そのまま放置しているだけだった。放置していてもそこから何かが起こるわけではなく、本人すら忘れているほどであった。
――一体何が嫌になったというのだろう?
これは思い出してはいけない「玉手箱」であり、達郎は、中学時代に一度この街を離れ、そして戻ってきた頃から、躁鬱症の気を自分で感じるようになっていた。
元々、自分が二重人格ではないかと思っていた達郎だが、それが躁鬱症のせいだと分かったのは、大学に入ってからだったが、実際に高校時代から、その兆候はあったのだ。あまり激しい躁鬱症ではなかったので、目立たなかったが、自分で意識するようになったのは大学生になってからで、どうして分かったのかというと、心の底から笑っていない自分を感じた時だった。
友達と一緒にいて、軽薄な態度を取っている時は、心の底から笑っているのだと自分で思っていた。
――実は笑い上戸で、笑い始めると止まらない――
と思うようになったのは高校の時、しかし、実際に笑っているのは、面白いから笑っているだけで、楽しいと感じたからではない。
――表面上に見えていることが、ただ面白い――
それだけで笑っていると、まわりの人の目は実に冷めたものだ。
――こんなやつについていけない――
とでも言いたげな視線に気付いていながら、笑い始めると、止まらなくなってしまうのは実に因果なものだ。
情けないと思っているからであろうか、笑いながら涙を流している。確かに笑いが止まらないと涙が出るようだが、出てくる涙も次第に止まらなくなってくるのは、悲しいからではない。自分を情けなく思うからだ。何に情けないかなど、分からなかった。その時々で、情けないと思っていることが違っていると思ったからだ。突き詰めれば一つのところに行きつくのだろうと思うが、突き詰める気にはならない。まるで恥の上塗りをしてしまうように思うからだ。
躁鬱症というのは、人それぞれで違うものだと思っている。
達郎の躁鬱症は、躁状態になる時、鬱状態になる時の分かれ目が分かっていた。
――躁鬱症は、トンネルの内と外の違いのようだ――
トンネルの外が躁状態、トンネル内が鬱状態。まさしくその表現がピッタリではないだろうか。
鬱状態に入り込んだ時は、昼と夜とでまったく世の中が変わって見える、昼間はまわりが黄色い霧に掛かったかのように見えていて、トンネル内の黄色いランプを想像させ、霧の中だという意識があるので、視界もハッキリとしない。だが、夜はハッキリとしていなかった視界が一転、クッキリと見えてくるのだ。信号機の赤い色や青い色がハッキリと見えてきて、濃い状態が分かってくる。人それぞれ感じ方が違っても、暗い時に関しては、皆同じ感覚なのではないかと思う。ただ、ハッキリと自覚できるのは、明るい時の霧中があるからで、明るい時の霧中を感じることができなければ、躁鬱症を意識できても、躁鬱の分かれ目をハッキリと理解することはできないだろう。
――トンネルを意識できるかできないかで、躁鬱症を自覚できるかできないかに違いが現れる――
と感じていた。
躁状態から鬱状態に入り込む時は、ハッキリと分かる。昼間は霧中に入り込み、夜はクッキリと見えるのであるから、形になって表れる。もちろん、予感がないわけではないが、確証が得られるのは、目に見えた感覚が現れた時だ。
鬱状態から躁状態に抜ける時に分かるのは、いくつかが見られる理由がある。
一つは、鬱状態の期間が決まっているという感覚である。大体十日から二週間くらいで、鬱状態を抜けることが多い。それはまるで口内炎ができた時のような感覚だった。
口内炎が口の中にできた時、最初はさほど意識をしないが、二、三日すると、痛くてたまらなくなる。次第に寝ている時、口の中が乾くことで、寝ていても痛くて、夜中何度も起きるくらいだった。しかし、治ってくる時というのは、次第に口内炎を意識しなくなっている時が多く、気が付けば痛くなくなっていて、治っていたという感覚である。
それが鬱状態に似ているというのだ。
最初はじわりじわりと襲ってきて、急にまわりの景色が豹変する。それが黄色掛かって見えたりする現象である。痛くてたまらない時も同じように普段との違いを痛感させられる。
だが、次第に痛みにも慣れてくるように、鬱状態にも慣れてくる。何度となく繰り返しているのだから、躁状態を忘れてさえしまえば、ずっと鬱状態だったのだと思うほどなので、慣れてくると、意識すら薄れてくるのだ。
ここから躁状態に移る時が、まさしくトンネルを抜ける時。黄色い色が取れてきて、赤や青がしっかりと目立ってくる。夜の状態と変わらなくなってくると、鬱状態を抜ける前兆であった。
期間が決まっているという意識と、トンネルを抜ける時の意識がちょうど重なった時、鬱状態は解消され、躁状態へと移行する。本当は楽でなるはずなのに、躁状態でも得ることができない気持ちがある。それは、安心感であろう。
安心感は、楽であればあるほど、不安感を募るものだ。それだけ自分が信じられないのだろう。安心感を得ることができなければ、自分を信じることなどできるはずもないのだった。
一口に言うと達郎の躁鬱症の始まりは、
――自分に安心感が持てないこと――
であり、自分を信用できないことから始まっていたのだった……。
達郎は、恵美のことを気に入っていたが、それは今が躁状態だからであった。もしこれが鬱状態であったら、理沙を好きになっていたかも知れないと思う。
達郎は今までに女のこと何回か付き合ったことがあったが、途中で好みが変わってしまい、好きだと思っていた女性を好きではいられなくなり、別れてきた。
達郎と付き合いの長い人はそのことを知っている。武雄はそこまで付き合いが長いわけではないのでハッキリは知らないが、達郎を知っている人に言わせれば、
「あいつは、女性と付き合ってから、結末まで、いろいろなパターンがあった。自分から別れることもあったし、相手から別れを言われる時もあった。でも相手から別れを言われる時でも、本人にはその気はないようなんだけど、まわりから見ていると、まるで自分から相手に別れを切り出させる時もあるように感じるんだ。だが、何と言ってもあいつの場合は自然消滅が多い。どうしてなのか分からないが、ひょっとすると、同じ時期にお互いに相手を嫌になるのかも知れない。自然消滅が一番害がないように思えるが、あいつの場合は自然消滅の後のショックが大きすぎるのか、立ち直るまでに一番時間が掛かっているんじゃないかな?」
自然消滅の時に一番時間が掛かっている……。
つまりそれが、ちょうど達郎にとって、鬱状態の入り口の時なのかも知れない。そして達郎と同じように相手の女性も躁鬱症で、彼女も同じように鬱状態への入り口に差し掛かっている。
――きっと、相手の女性も同じように大きなショックを受けているんだろうな――
達郎は、自分がショックの間も相手の女性のことを考えることがある。その時は鬱状態がほとんど見え掛かっている時で、そんな時の方が却って落ち着ける。自分がどこにいるか分からない時ほど、これから先一体どうなるか分からない気分に陥るのだ。
それだけ鬱状態というのは何度陥ってもショックの大きなもので、まるでロケットが成層圏にぶつかって火の玉になってしまう時の様子を思い浮かべていた。
だが、別れる時に前からこんな感じだったわけではない。達郎が大学に入学して初めて知り合った女性と別れた時から、こんな風になってしまった。今ではほとんど、一番ショックの残る自然消滅ばかり、達郎はどうすれば今のショックから立ち直れるかを考えていたが、
――大学で最初に付き合った彼女、由紀のような女性ともう一度知り合えば、今自分の中にある呪縛を取り除けるかも知れない――
と考えていた。
――このままでは結婚もできない――
すぐに結婚したいという願望があるわけではないが、本当に結婚したい相手と巡り合った時、その時も今と同じ呪縛に苦しんでいれば一体どうすればいいというのか?
恵美と一緒にいると、由紀を思い出していた。ただ、それも皆で一緒にいる時の恵美を見た時だった。二人きりになると、恵美の中から由紀が消えてしまう。それを自分が躁状態だからではないかと思っている。達郎は女性を好きになると、今まで、躁状態から鬱状態、鬱状態から躁状態になる壁を超えたことがない。それは自分の中で、
――躁状態の時と、鬱状態の時では、好きになるタイプがまったく違う――
と思っているからだ。
だが果たしてそうなのだろうか?
自分で勝手に思い込んでいるだけではないかと、最近達郎は感じるようになってきた。もしそれが本当であれば、感じるようになった理由の一つとして、武雄の存在が大きいかも知れない。達郎は武雄の中に
――主従関係を持った二重人格――
という性格を見ている。自分の中の躁鬱症と比較になるのかどうか分からないが、今までに感じたことのない不思議な性格である。
そんな武雄を見ていると、達郎は、自分の性格もかなり屈折していることに気付き始めた。
本来ならあまり好きではないはずの武雄の持っている
――主従関係を持った二重人格――
という性格を知りながら、武雄との仲を解消するどころか、武雄を利用して女の子と知り合おうという意識があるのは、それだけ、
――自分の性格をもっと知りたい――
と思っているに違いない。
達郎にとって武雄は自分のために必要な人間であることを、武雄も理解しているように感じたが、実は武雄も同じように達郎を利用して、自分を垣間見ようとしているのに気付くまで、まだ少し時間がかかった。達郎と武雄は、お互いにそのことについて触れることはないが、次第に以心伝心してきていることには、ウスウスではあるが、気が付いてきているのだった……。
そして恵美が見た達郎に対して二重人格だと感じたものが実は躁鬱症であり、そして違う人格が、同じ時期、達郎の中に存在しているわけではない。影に隠れているわけではなく、どこにいるのか、実際には分からない。そのことが今達郎の回りにいる人間を、どのような道に導いていくのか、それを最初に誰が気付くのか、まだまだ達郎を取り巻く人間の性格が達郎に与える影響は、深いところにあるかのようだった……。
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