第8話 第8章
恵美は達郎を見た時の第一印象は、
――軽薄で、自分には合わない相手だ――
と思っていた。
別に根拠があるわけではないが、第一印象というのは、そういうものであろう。
ただ、理沙を見ていると、どちらの男性に気があるかというと、明らかに武雄の方だったので、遠慮というわけではないが、自分は自然と達郎の方を見るようになった。
達郎も恵美のことを気にしていた。
恵美は、理沙ほど恥かしがり屋ではないし、性格を表に出す方でもない。だが、性格的に強いところがあるのは、親への反発心があるからなのか、少し歪んだところがあることは恵美にも自覚があったが、それでも自分の中で納得しているので、それほど悲観的な感覚はない。
恵美にとって、気になっているのは、整理整頓ができないことで、付き合っていく男性に嫌われるのではないかということだった。
自由になりたいという恵美の考えは、さっき付き合っていた男性をフッてきたことで成就した気がした。それなのに、また新しい男性をすぐに気にするのは、自分がはしたないオンナではないかと思うことに繋がっていた。
恵美は自分がはしたないオンナであっても、構わないと思っている。清楚な女の雰囲気がもし表に出ているとすれば、それは作っている自分なのだ。作るくらいなら、はしたないオンナとして正直に、表に出している方がいい。
ただ、恵美は表に出す自分と、内に籠っている自分とでは明らかに違っていることを分かっているつもりだった。表に出す自分は正直でありたいと思い、うちに籠っている自分は、妄想癖のある女だと思っているのだ。
だが、妄想癖のある自分も、結局は自分に対して正直なのであり、表に出す自分と同じ感覚である。
――正直でありたい――
という気持ちは、誰にも負けない思いが強かった。
妄想癖のある恵美は、達郎のことを勝手に想像していた。相手に悪いという気持ちもあるが、
――どうせ、相手にも私が妄想していることは分かっているに違いないわ――
と思っている。
――正直者である自分の考えることは、まわりに分からないわけはない――
というのが恵美の考えであった。
まわりに分かられるのは恥かしいことでもあるが、それだけ自分が正直だということでもあるので、恵美はしょうがないと思うようになっていた。
恵美は自分が整理整頓できない理由の一つに、
――正直な性格――
というのが影響しているのではないかとも思っていた。
はしたない女であることを以前から意識していた。
ひょっとすれば、子供の頃からかも知れない。その性格を隠すことなく正直にいたいという思いは、親への反発から生まれたものであった。
正直さが親からの呪縛を振り払う意味での一番の手段であるとするならば、はしたなさも自分として表に出す必要があるであろう。そこには整理整頓ができてしまうと、はしたなさという性格が、いかにも浅ましさから生まれたようにしか思えない。まだ、整理整頓ができないことから生まれたと思われる方がマシではないかという、そんな気持ちが恵美の中にあったことは拭い去ることのできない事実であろう。そういう意味では、正直な性格というのは、自分の性格を正当化する上で、汎用的に利用できる、都合のいいものではないだろうか。
恵美と理沙の共通の性格でもある、
――他人と同じでは嫌だ――
という性格は、男性を選ぶ時にも都合がいいのかも知れない。
好きになった相手が被ることもないし、お互いに遠慮という言葉を意識することもなく、喧嘩にもならない。
時に恵美の場合、遠慮という言葉が嫌いだった。
それはまたしても親への反発から来ていることだが、恵美の母親は特にまわりに対して遠慮を表に出していた。
恵美から見て、それは遠慮ではない。遠慮に見せかけた、都合のいい解釈で、自分がへりくだることで、相手にいいように見せたいという思いだ。しかも同じことを他の人もしているので、お互いに遠慮の応酬になってしまい、まわりに迷惑を掛けていても、自分たちには分からない。
――これほど醜いことはない――
恵美は、いつもそう思って母親たち、「おばさんグループ」を見ていた。
――私は絶対に、あんなおばさんにはならないわ――
と、いつも言い聞かせている。
恵美にとって、理沙が現れたのを見た時、
――まるで自分を見ているようだ――
と思ったのは、まず、そこだった。そして次に感じたのが、
――他の人と同じでは嫌な性格だ――
ということであった。
この性格はすぐに気付いたわけではない。恵美にとっては段階を踏んで気付いたことだ。理沙も同じように段階を踏んで気付いているとは思ったが、ハッキリとは分からないので、希望的観測であることに違いはなかった。
相手に達郎を選んだのは、理沙を見ていて、彼女が武雄に気があるというのが最初から分かったからである。確かに自分も達郎の第一印象が気になったのもあるが、それは達郎が、
――自分にないものを持っている――
ということが分かったからである。
しかし、そのことを意識しなくても、恵美は達郎を選んでいた。それは理沙が武雄を選ぶことが分かったからである。
――私たち四人を、客観的に見たら、どうなのかしら?
と恵美は考えていた。
きっと、恵美は武雄と、理沙は達郎とカップルになるだろうと思うのではないだろうか。
恵美は達郎のことをいろいろと想像してみたが、一見して感じるのは、プレイボーイの雰囲気である。下手に近寄ると、泣かされるような羽目に陥ってしまう女性が目に浮かんでくる。
その女性の顔にはモザイクが掛かっていて、なるべく自分を想像したくないという思いが無意識にモザイクを掛けているのかも知れない。恵美にとって男性から裏切られるという経験は正直なところないだろう。
――裏切られるかも知れない――
と思ってみていて、妄想が潜在意識を超えたとしても、自分に正直に考えると、やはり信じられない気持ちの強さから、顔にモザイクを掛けてしまうのだろう。
最初から潜在意識の枠を超えることのない限り、顔にモザイクが掛かることはない。もっともその時は、モザイク以前に、妄想すら難しかったのではないだろうか。
恵美は、この四人の中で、一番客観的に見ることができる人間だった。ただ、それは冷静に見れることだというわけではない。
――冷静に見ることができるのは誰かという、それは武雄さんに違いない――
と恵美は分析していた。
冷静にまわりを見ることができるくらいであれば、もっとまわりを、そして全体を見ることができ、前の彼氏と別れた時に、初めて自由を感じることもなかっただろう。さっきも彼ら二人からナンパされた後に理沙が、
「少し歩いてくる」
と言った時、自分もその場から立ち去っていたかも知れない。その場にとどまったのは、落ち着いていたからではなく、その場から離れることに違和感があったからだ。それは自分が自由になったのだという意識が自分の中でまだ確立されていなかったからで、その場から離れることで、自由を逃がしてしまいそうな不思議な感覚に襲われていた。
達郎のことを考えてみた。
彼は見るからに軽薄なのだが、今の恵美にはちょうどいいのかも知れない。
茶目っ気があって、自分にはないものを相手に求めるタイプの恵美が、考えてみればどうして今まで付き合っていた相手をフッてしまったのかということを考えてみた。
――束縛されているように感じたのかしら?
相手に委ねる気持ちを持っていたはずなのに、人に頼ることを自分から拒否したのだろうか?
達郎は軽薄に見えるが、人への気の遣い方が絶妙なのだという見方もできる。「おばさんグループ」のようなわざとらしい気の遣い方をしない達郎に対して感じるのは、「憧れ」であるように思う。
そういえば、恵美は今まで人に憧れたということもなかった。
――きっと私に憧れていた人の目ばかりを感じていたのかも知れないわ――
男性からモテることの多かった恵美は、まわりの視線に対して、
――まるで女王様のようだわ――
という意識があったに違いない。
ただ、それが人を従わせるという意識ではなく、視線を浴びることが悦び以上の何者ではないという意識を心の奥に秘めていただけなのだろう。
達郎は恵美を見ていて、どう感じたのだろう?
恵美は今まで達郎が出会ったことのないような女の子だった。
達郎は、軽薄なナンパ風に見えるが、自分からナンパができるほど、肝が据わっているわけではない。本当は、
――一人では何もできない小心者――
だったのだ。
達郎のような男性は意外と多いのかも知れない。恵美の回りにはいなかっただけで、もしいたとすれば、今日、達郎に興味を示さなかっただろう。達郎もそのことは分かっているようで、恵美とカップルになりながらも、どこか不安な気持ちを拭い去ることはできなかった。何とか会話を繋ごうとしていろいろ話しかけてくるのだが、恵美の反応にどう答えていいのか分からず、戸惑っている様子も伺える。
よく見ると額から汗が滲み出ていて、喉がカラカラに乾いているのか、声が枯れている。ただ幸か不幸か、まわりにはその状態が、
――熱弁をふるっているから――
という風に見えるようで、彼への違和感は、意外と誰も抱くことはなかったようだ。
恵美には、そんな彼が新鮮に見えた。前に付き合っていた彼も、最初に同じことを考えたので、
――懲りないわ――
と思ったのだが、恵美の中には、
――今度こそ、自分を信じてみたい――
という思いもあった。
茶目っ気があり、整理整頓ができないタイプのくせに、何かを決める時、急に肝が据わることがある。いつもではないが、肝が据わってきた時の恵美は、まわりが見ていても分かるようで、もしここに恵美を知っている人がいれば、目の色の違いに気付くことだろう。
達郎は、そんな恵美の視線を分かっていないようだ。だが、恵美が自分を気に入ってくれていることは分かった。
達郎の特徴は、自惚れが激しいところである。確かに小心者で、自分に自信が持てないところもあるが、人からおだてられたりすると、調子に乗って、自惚れることがある。
一見、短所のように思うが、自惚れがその人の力になり、普段潜在している能力が、表に出て、いい方に発揮されるのだから、もはや長所である。
――長所と短所は紙一重――
まさしくその通り、裏返しの紙一重であった。
子供の頃から、どうしても自分に自信を持てなかった理由の一つに、
――実際に触れたり、目で見たものしか信用できない――
ということが性格としてあったからだ。
自分が見たものや実際に触れたものでなければ信じられないのだから、ほとんどが信じられないということだ。少なくともまわりの人間のいうことが、まともに信じられないのも無理のないことであり、それが友達と呼べる相手であっても同じことだ。
達郎が自分から友達を作ったことはほとんどない。いつもまわりから達郎に寄ってくるのだ。それは彼の軽薄な性格が功を奏しているというべきか、友達になった人の誰もが、達郎自身から友達を作ろうとしなかったなど、誰も信じていないに違いない。
今日一緒にいる武雄と友達になったのも、バイトで偶然一緒になって、ちょっとした話から意気投合したのだが、終始武雄が会話の主導権を握っていた。だが、武雄の側からすれば、
――達郎に会話を引き出された――
と思っているようで、達郎が会話の相手であれば、聞き上手なところがあるからなのか、相乗効果があるようだ。
「達郎は二重人格だ」
という人が多いが、最初に知り合った人からは、
「そんなことは信じられない」
という答えがほぼ全員から帰ってくる。それは、達郎が、
――二重人格に見えるが、実際には他の人と違った面を持った人格、決して同じ時間に、もう一つの性格が表れることはない――
という性格の持ち主だからだった。
軽薄なところだけしか見えていないと、これのどこが二重人格なのかと思わせるが、考えてみれば、二重人格というのは、それぞれ片方の性格が極端からこそ、二重人格であることが簡単に露見するのだ。軽薄なところがあるのは、十分に極端な性格の持ち主であって、もう片方の極端さが、目に見えてくる人もいるだろう。
もちろん、最初から二重人格だという予備知識があってのことで、予備知識もなく、パッと見ただけで彼を二重人格だと思うとすれば、よほど今まで人間観察に長けてきたのか、二重人格者を探しているかのどちらかではないだろうか。恵美の場合は、なぜか彼に二重人格を最初から感じていた。恵美にはそれほど人間観察に長けていたわけでもないし、二重人格者がまわりにいて、性格が似ているわけでもない。ましてや、二重人格者を探しているわけでもないので、考えられることとすれば、何か感性の響き合うものがあり、そこから以心伝心のようなものがあったのかも知れないということだった。
では達郎のもう一つの隠れた性格とは何であろうか?
さすがにすぐには分からなかったが、本当は見え掛かっていたことだった。それが自分の見たものや触ったものしか信じないという性格であり、同じような性格の人を知っているのだが、それが誰なのか、すぐには思い出せなかった。
本当はそんな性格が恵美は嫌いだった。それが、同じような性格の人を嫌いだからで、自分が信じるもの以外は、すべて否定するという考えである。
それは恵美にとって、大きな「束縛」であった。
――束縛? そうだ、束縛といえば、自分の親ではないか――
考え方が古臭く、一言で言えば、封建的な考え方。人に対しての押しつけであり、押し付けられた人間の人権まで否定しようとする。押し付けられた人間には、「自由」など存在しないのだ。
恵美は達郎に自分の親のような面を見たのだ。それなのに、なぜ達郎を嫌だと思わなかったのか、それは相手が肉親であるかないかの違いが大きい。肉親であれば、押しつけになることが嫌だが、他人であれば、それも許容範囲である。ただ、そうなると将来、達郎が自分の伴侶になるということはないということでもある。
付き合ってみるという軽い気持ちで男性と付き合うなど、今までの恵美には考えられないことだった。だが、前の彼と別れて自由にはなってみたが、一抹の寂しさを感じた。真剣に男性と付き合わなければいけないわけではない。寂しさを紛らわすだけだという意味で、男性と付き合うことも悪くはない。そう思うと、達郎のような男性は適任なのかも知れない。
恵美は、自他ともに認める、男性から好かれるタイプだ。達郎も性格的なことは大目に見るとすれば、見た目は悪くない。表面上の付き合いとしては、きっとまわりが羨ましがるような仲に違いないと思う。
――他人を欺くような表面上の付き合い方をするのも面白いかも知れない――
せっかく手に入れたと思った自由である。相手に束縛されれば、こっちから別れてやればいいのだ。あまり情が入り込みすぎると、別れる時に、こっちも辛くなる。それを思うと、達郎くらいの相手がちょうどいい。恵美のそんな考えを達郎は知らない。もし、知っていれば、いくら軽薄で自分の見たもの聞いたもの以外を信じないという二重人格性を持った達郎だとしても、簡単に恵美と付き合うようなことはしないだろう。
男としてのプライドもある。こんな男に限って、プライドが高かったりする。実際にその場になってみなければ分からないというのが、達郎のような二重人格性を持った男なのであろう。
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