第7話 商人見習いの生活

 最初のうちは疲れすぎて、仕事が終わると気絶するように眠っていた。

 扱う金額が大きいため、数値のミスなどがあるとドキッとして冷汗が吹き出してくる。単純な作業が多かったが、緊張で頭も身体も強張っていた。


(もし間違えたらジョナスさんにご迷惑がかかる……。恩を仇で返すなんて絶対にダメ!)


 そんな緊張がジョナスさんに伝わったのだろう。ある日、仕事中にジョナスさんに呼び止められた。


「そんなに肩の力を入れるな。いくら裏方だろうがお客様の目に触れることもあるだろう? そんな時にソフィアがガチガチに緊張していたら、お客様に緊張がうつってしまうぞ」


「はい、申し訳ありません……」


「ミスを怖がり過ぎないことだ。大丈夫、最終チェックは私がするのだからね。落ち着いてやりなさい」


「はい、ありがとうございます」


 ジョナスさんには全てを見透かされている気がする。緊張が解けたわけではなかったが、余計な力は抜けた気がした。


「あのね、師匠は寂しいんだよ。君がミスをしないと仕事がなくなっちゃうからさ」


 私とジョナスさんのやり取りを聞いていたレオがさり気なく寄ってきて、私に囁いた。とぼけた言い方をするのが面白くて、思わず笑ってしまいそうだった。


「はい、ありがとうございます」


 こっそり囁き返すと、レオは満足そうに接客に戻っていった。


(私はなんて恵まれているんだろう。こんな素敵な人達の下で働けるなんて)


 心の底からそう思った。自分が恵まれていると感じたのは人生で初めてだったかもしれない。 




 数週間が経つと、少しずつ緊張も解けてきた。仕事にも慣れてきて、最初の頃よりも手際よく作業をすることが出来るようになっていた。

 レオはいつもさり気なく手助けをしてくれるし、ジョナスさんは小さなことでも褒めてくれる。


「思ったより飲み込みが早いじゃないか。計算も早くて正確だ。こっちの仕事もお願いしようかね……」


「はい!」


 ジョナスさんに新しい仕事を任される度に、信頼度が上がっていると感じて嬉しくなる。


(学校の授業をきちんと受けておいて良かったわ……)


 学校での勉強なんて貴族の嗜みでしかないと思っていたから、それを実際に使って仕事ができるのは楽しかった。


 毎日忙しかったけれど、仕事のことだけを考える生活は悪くなかった。余計なことを考えなくて済むし、少しずつ出来ることが増えるのは嬉しいことだった。


(今まで生きてきて、一番充実しているかもしれない。ちゃんと生きている感じがするわ)


 朝起きてレオとともに朝食を作り三人で食べる。その後は夜まで仕事をする。一日中仕事をした身体はクタクタで、ベッドに入るとすぐに眠りに落ちる。

 私はそんな生活が好きになっていた。




 仕事に余裕が出来てくると、仕事の合間にジョナスさんやレオと雑談をする余裕が生まれてきた。

 そこでようやくジョナスさんのことを少しずつ知ることが出来た。


「ずっとお一人でお店を?」


「いいや、五年前までは妻とな。本当によく働いてくれたよ。最後まで子供は出来んかったが、二人でそれなりに楽しく暮らしてたな……まあなかなか良い人生だっただろうよ」


「そうでしたか……会ってみたかったです」


 奥様の話をするジョナスさんはとても優しい表情をしていて、見ているだけで幸せを分けてもらっている気がした。


(誰かと支えあえるなんて素敵よね。私には……もう無縁のことなんだろうな)


 ふと王子のことが頭によぎった。国外追放された時は全てがどうでもよくなってしまっていたけれど、王子のことだけは少しだけ心残りだった。誰かと支えあった経験はあれだけだったから。


(マリア相手に頑張っているのかしら……まあ考えたって分からないけど)


 もう忘れよう。過去には戻れない。彼が私のその後を知ることはないし、私も彼のその後を知ることは出来ないのだから。


「師匠の奥さん、俺も会ってみたかったなあ」


 接客を終えたレオもひょっこり会話に参加してきた。

 レオも会ったことがないということは、彼が働きだしたのもここ数年なのだろう。

 

「お前さん達がもう少ししっかりしてくれれば、私も安心してこの店を譲って隠居生活を楽しめるんだがな」


 ジョナスさんは私とレオを交互に眺めながらため息をつくふりをした。そんなジョナスさんの様子に私とレオは顔を見合わせてから口を開いた。


「ジョナスさん、私はまだまだお世話になるつもりですよ。安心なんてさせません!」


「そうです師匠、俺だってまだまだ教わりたいことがたくさんあるんです! 隠居なんてさせないですから!」


「ははは、分かった分かった。もう少し面倒を見てやるから。ほれ、仕事に戻りなさい」


「「はーい」」


 自分のことを話すのは躊躇われたが、ジョナスさんの話を聞くのはとても楽しい時間だった。

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