症例2 鼻水とくしゃみにお悩みの奴隷商人

 カラン、コロン。今日も、悩める患者たちが異世界耳鼻科のドアを叩く。


「いらっしゃーい。お、商人さん。相変わらず景気がいい格好してるねー。今日もあれかな? 獣人ちゃんたちの耳掃除?」


 扉をくぐって現れたのは、鋭い目つきの大男と数人ばかりの小さな獣人。彼は身寄りのない子供を拾っては、孤独な大人の需要と引き換えに大金を得る……いわゆる奴隷商人というやつだった。


「え、違う? 奴隷のメンテってわけじゃないの? んーじゃあ……あれか、今日の患者はお兄さんのほうってわけね。了解了解」


 顔見知りではあるが、一応初めての診察なので問診票を渡しておく。商人は慣れた手つきで書き込みを終えると、椅子にどっかりと腰掛けた。


「お、問診票もう書けたんだ。速いねー、流石腐っても商人……ごめんごめん、冗談だって。えーなになに? ちょっと前から鼻水とくしゃみが止まらない、ね」


 確かに、商人はしきりに鼻を啜ってはため息を吐いている。彼の顔下半分は黒い布に覆われているため、かなりわかりにくい変化ではあるが。


「咳は? ない。あ、そう。じゃあ鼻水は透明な感じね。あと問題は……何が原因か、ってところだけど」


 埃、食べ物、花粉などなど。考えられるものは様々だが、設備も技術も江戸時代並の異世界でまともな検査などできるはずもない。


「とりあえずさぁ、鼻水採取したいから、その黒マスク、一旦外してもらってもいい? あー大丈夫、大丈夫。ちょこっと綿めんの棒で粘膜擦らせてもらうだけだから。パッと終わっちゃうし、全然痛くないし。……多分」


 疑わしい目を向けながらも、商人は素直に顔を晒す。警戒心の強い彼がここまですんなり言うことを聞いてくれるとは、よほど困っているらしい。


「はーい、じゃあ失礼して……こちょこちょこちょー、っと。よし、はい終わり。終わりましたよ。……何、そんなポッポポ豆鉄砲あずきバースト食らったような顔して」


 慣用句を上手く異世界風にアレンジしたつもりだったが、反応はイマイチ。もう二度と使わないことを、たった今、心に決めた。


「……あー、とりあえずお薬取ってくるんで、もうしばらく椅子にかけてお待ちくださーい」 


 ポカンとした顔のまま首を捻る商人はさておいて、採取したそれを一旦裏に持っていき、は無事終了した。


「はい、お待たせしました。それではお待ちかねの診断タイムに突入させていただきます。あなたの病名はズバリ! ドゥルルルルル……。え、そういうのいいから早くしろ? せっかちだなぁ、これだから商人あきんどは。んー、まあ簡潔に言うとアレだね、アレルギーね。知ってる? いや、知らないか。原因となるものによって名称は色々あるけど……いわゆる不治の病ってやつだよ」


 青ざめる商人と、その他小さな獣人ちゃんたち一同。そりゃそうか。鼻水とくしゃみくらいで、こんな大げさな宣告されると思わないか、普通。


「あー、ごめんごめん。語弊があった! そんな青ざめないで。獣人ちゃんたちも、そんなお通夜みたいな顔しないで。死んでないから、というか死ぬような病気じゃないから。実際、不治ではあるんだけど、そんな深刻な感じじゃなくって、あの、その……病気というよりは体質に近いかなー。だから原因を遠ざけておけば、ある程度症状は抑えられるよ。それこそさっきのマスクなんか、いい対処法だと思うし、うん」


 原因はともかく、残る問題は薬の方だ。この異世界では、大抵の怪我や病気は癒しの魔法、あるいはポーションで治ってしまう。その質の差はあれど、免疫力や再生力を高めて自然治癒を促す。それが、ごく普通の一般的な治療法。

 故に医療は発展せず、過剰な免疫反応が原因となるアレルギーは不治の病と呼ばれるものに該当するわけである。……こういう小難しい話は全部、薬師くすしのおっさんの受け売りだけど。


「とりあえずポーションとかヒールは症状が悪化しちゃうから、使うとしても必要最低限ね。あとは……」


 先ほど取ってきた茶色い草を、手早くすりこぎで潰していく。ゴリゴリと心地よい振動がすり鉢越しに伝わって、粉末からはかすかに甘い匂いがたちのぼった。


「お、お兄さん流石。商人だけあって物知りだね。そうだよ、薬ってのはこの甘味草のこと。最近サトゥの実が不作だからって、代わりに使われたりしてるやつ」


 甘味草の粉末を、いくつかの紙に均等に包んでいく。


「あ、その目。さては疑ってるな? ただの甘味料が不治の病に効くわけないじゃんって。まあ確かに、劇的に効くとまでは断言できないんだけど……少なくとも今よりはマシになると思うよ。摂取のしすぎはダメだけどね、ぶっ倒れちゃうから」


 商人は粉の入った小さな包みをいぶかしげに受け取って、一つを水で流し込んだ後、残りを懐にそっとしまった。


「効きそうだったら自分で買って、症状の酷い時に使うのもいいかもねー。もちろん、一番良いのは原因物質を吸い込まないようにすることだけど。ではでは早速お会計の方を……え、こんなに? いいの? なんか楽になったような気がするから、って? フ、ムフフッ、そっかそっか、じゃあ、ありがたく頂いておくよ。はい、毎度ありー」


 異世界人にも、どうやらプラシーボ効果はあるらしい。こいつにポーションほどの即効性はない、なんて、口が裂けても言えないけれど。



「ん? まだ何か……ああ、原因! 確かに、それがわからなきゃ対処のしようが無いね。こりゃ失敬。それじゃあー、ちょっとだけ耳、貸してもらってもいいかな? あ、獣人ちゃんたちはちょっと、お外で待機ということで」


 周囲に聞こえてしまわないように、背伸びをしてそっと耳元でささやく。


「えっと、可愛い気持ちは凄くわかるんだけど……とりあえず、商売道具をモフるの、やめよっか」

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