異世界耳鼻科で噂のヤブ医者ちゃん

御角

症例1 スライムを誤って耳に入れてしまった小児冒険者

 最近、ちまたで噂のイセカイジビカ。なんでも、耳や鼻のトラブルを専門に解決してくれる一種のヒーラーのようなものらしい。

 息子の手を引きながら、少しボロい扉を思いきって開けてみる。


「はーい、ども。異世界耳鼻科でーす」


 カランコロンという涼しい音色とともに、気だるげな声が耳に入った。


「あー、ご新規さん? とりあえず、これね。この問診票に何か色々記入しといて」


 後ろ手に差し出された紙を恐る恐る受け取る。書き込む内容は、年齢やら住所やら。一見、ギルド加入申請用紙のようにも見えるが、下の余白部分には手書きで『症状』という欄が付け加えられていた。


「……書けた? ああ、お父さん。これね、一応、診察受ける方のプロフ書いてほしいんだわ。あと症状の欄さ、もうちょっと詳しく書ける? 『子供の耳を見てほしい』だけじゃあイマイチわかんないからさぁ」


 葉巻のようなものをふかしながら、その女は用紙をこちらに突き返してきた。随分と失礼な態度だが、仕方ない。今はこの、イシャと名乗る女に頼るしか方法がないのだ。


「あーはいはい、書けたのね。どれどれ……あ、言い忘れてたけどそこの椅子、座っててもいいよー」


 こちらには目もくれず、女は用紙に目を通し、何やら手元を動かしている。女が腰掛ける椅子は、座り心地の良さそうな皮製のもの。一方で案内された椅子は、小さく簡素な作りのものが一つのみ。……言いたいことはいくつかあったが、とりあえず子供を座らせて、自分は大人しく立っておくことにした。


「なるほど……。この子がレベル上げのために初めてスライム狩りに行って、その場のノリでうっかりドロップアイテムを耳に入れてしまったと。フ、しかも、ブフッ、両耳て」


 自分がついていながら情けない話だが、その通り。うつむく息子を見て、女は何とも言えない笑みを浮かべている。


「てか、この歳でもう冒険者とかやるんだー。労働基準法とか……ないか。異世界だし」


 何やらブツブツと呟きながら、女は席を立ち、謎の小瓶を手にして戻ってきた。


「はい、じゃあ今から治療するんで、とりあえずベッドに横になってくださーい。そうそう、耳を上に向けてもらって」


 女に手を引かれるまま、息子は粗末なベッドに寝転がり、ゴロンとこちらに背を向けた。


「ではでは、まずは右耳の状態からチェックを……ん? ちょっと、何ですかお父さん。集中してる時に茶々入れないで欲しいんですけどねぇ。え、この小瓶ですか。何って、見りゃわかるでしょ。塩ですよ、塩。どこのご家庭にもある万能調味料。……まさか知らないんですか? あれですか、亭主関白ってやつですか」


 料理とかしなさそうですもんねぇ、とぼやきながら、女は慣れた手つきで息子に塩を振りかけていく。そう、まるで肉に下味をつけるかのように……。


「うわ、ちょ、邪魔しないでくださいよー。こちとら治療中ですよ? この子のことが大事なら、つべこべ言わずにカネでも用意しといてくださいっ!」


 揉み合っている間にも、塩は雪のように振り続け、息子の耳にうず高く積もっていく。


「あ! ほらー、かけすぎて盛り塩みたいになっちゃったじゃないですか。お父さんのせいですからね、もう。これは追加請求が必要かなぁ」


 しかし驚くべきことに、山のようだった塩はじわじわと崩れ、気がついた時にはすっかり溶けてしまっていた。


「お、なんだかんだ上手くいきましたねー。結局ね、スライムなんてクソ雑魚ナメクジなんですよ。剣や魔法なんかなくったって、とりま塩まいとけば一発でお陀仏ですからね。……まあ、試したのは、流石に初めてでしたけど」


 最後の方はよく聞き取れなかった。というより最初から何を言っているのかもさっぱりわからないが、とにかくこの女が名ヒーラーであることは間違いないらしい。


「じゃあ、結構縮んだのでこのまま摘出しちゃいますねー」


 細い金属の棒を器用に使い、シワシワとなったスライムゼリーの破片が息子の耳から取り出されていく。


「……よし、あとは水で軽く洗浄してと。それじゃ、反対側も終わらせちゃいましょうか。ちゃちゃっとパパッとね」


 不安も多かったが、イセカイジビカの評判はやはり本物らしい。息子のスッキリとした表情を拝んだ瞬間、ここに来て正解だったと強く実感した。


「はい、じゃあお会計ね。五万エン……じゃなかった、五万ニエになりまーす」


 前言撤回。ここを頼ってしまったことを、自分は今激しく後悔している。


「は、高い? 塩かけただけでぼったくりすぎ……? ちょっとちょっと、今更何言っちゃってんのお父さん。あのねぇ、医療ってのはサービス業なわけ。息子の笑顔見れたんだからさー、安いもんでしょ。恨むなら、保険制度のないこの世界を恨みなよ。……はーい毎度ありー。ちょうど五万。じゃあこれ、もしまた来ることがあったら、一応この診察券持ってきてくださいねー。お気持ち程度にサービスさせていただきますんで」


 痛い出費だったが、確かにこの女の言う通り。愛する息子の無事には変えられない。何も知らぬ顔の息子を連れて、元来た扉のノブをひねる。


「あ、そうそう。言い忘れてたというか、これはおせっかいかもしれないんだけど……お父さん、あんまり子供怒鳴らないほうがいいと思うよ? 別に、人様のご家庭に興味もないし、スパルタ教育の方針に口出すわけじゃあないけどさ……同じことを繰り返したくないなら、とりあえず声のボリュームは落としてほしいかな」


 カラン、コロン。涼しい音色が、去り際に響いた。



「……あーあ。今の、言わなかったらあと二、三倍は稼げたのになー。辛いね、医療人ってのは」


 葉巻を一口吸い込んで、女は大きくため息をついた。


「ま、元の世界でも無免許なんですけどね。私」

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