夫婦喧嘩は、蛇も食わない


「奥様! 新作のおやつですだよ!」


 どうやらミンケは、別の用事を言いつけられたらしい。

 代わりにやって来たノエルが、書斎の応接用ローテーブルへ焼き菓子の乗った小皿を置く。

 白いコックコートが様になっている小柄な彼は、私の顔を見るなり眉根を寄せた。


「……元気ないだか?」

「ん~? 大丈夫。ちょっと考え事してるだけよ」

「甘いの食べたら元気になるだよ!」

「だから、元気だってば~」


 ノエルが持ってきてくれたのは、紅茶の茶葉入りスコーン。

 野いちごのジャムも添えられている。


「すごい、おいしそ!」

「奥様が、ジャムの作り方教えてくれたからですだ。今、子供たちとたくさん作ってますだよ!」

「ふふふ。売れたら良いね」

「売れなくても、学校の生徒と子供たちが全部食べるですだ。パンにつけても美味しいですだよ」

「あ、そっか」


 やばい、脳みそが守銭奴しゅせんどみたいになってる!

 気分を変えようと私が一口かじると、ノエルが不安そうな顔をした。

 

「味はどうですだ? さっき、マージェリー様から食べたいって言われただよ」

「……美味しいよ。ノエルはマージェリー様と知り合いだったの?」

「リニさんからさっき玄関で紹介されて、奥様の居場所を聞かれたから書斎だと……あ。ダメだっただか!?」

「えっ。ううん大丈夫。リスは、どこにいるのかな?」

「お部屋に居るとリニさんが言って……もしかして、会ってないですだか?」

 

 私は答えに詰まった。

 ええと何日会ってなかったっけ? と数えたら軽く三日、いや四日、あれ、五日? ――


「いいのよ。ノエルも支度があるでしょう? 気にしないで、下がっていいわ」


 躊躇ためらいつつも、頭を下げて部屋から出て行くノエルの背中を見送りながら、私はまたスコーンをかじる。

 生地のほのかな甘みと、ジャムの酸味の組み合わせが本当に美味しい。


 思い返せば、忙しい日々を送っていた。

 

 ディーデにお誕生日パーティの招待状をもらって、ドレスを作りに王都へ行ったり。

 自分たちの結婚式場の下見をして、それから招待客をリストアップして招待状を書いたり。

 魔法学校エーデル分校の校舎の一部が出来上がったら、今度は魔力を隠してきた貴族の子女たちが「入学したい」と試験を受けに来るのに対応しなければならなくなった。

 学校長に就任したユリシーズは、まず『紹介制』を採用して身元の確かな子たちだけを受け入れると明言したものの、本当に魔力を持っているか怪しい子も中には当然いたので、納得いくようにお断りするもの大変だった。


「そっかぁ。ずっとずっと、忙しかったもんね」

 

 休みなく動き続けて、たまたま今日ぽっかり時間が空いたら――胸にも穴が開いていた。そんな感じ。


「よし。部屋にいるんなら、会いに行けばいいよね!」


 スコーンをお茶で流し込んでから、気合を入れて、立ち上がった。

 

 

 

 ◇ ◇ ◇



 

「まったく、いきなり呼び出したかと思えば。そういうことね。分かったわよ」

「……家はどうだ、不便はないか」

「ないない。小さい家の方が管理が楽だし、変なしがらみもないし」

「そうか」

「ずっと仕送りしてくれてたの、感謝してる」

「窮屈な暮らしだろうからな」

「そうね。でもお父様には向いているみたいよ」


 扉をノックする姿勢のまま私は固まっていた。

 中からそんな会話が聞こえて来て、タイミングを掴めない。

 

「奥様」


 すると、そっとリニが扉を開けてくれた。琥珀色の優しい瞳が、ふっと緩む。


「あ、えっと」

「どうぞ」

「いい、の?」

「何をおっしゃいます。このお屋敷で奥様が入れない場所はありませんよ」


 いたずらっぽく微笑む執事は、きっと私の心情を読み取ってくれている。


「ありがと……」


 恐る恐るユリシーズの私室に足を踏み入れると、執務机の前で両腰に手を当てるようにして仁王立ちしているマージェリー様と、それを見上げるように椅子に腰かけたまま、眉間に深い皺を寄せるユリシーズがいた。いつもの黒いローブ姿を見て、少し緊張してしまう。

 

「ごきげんよう」

「はあ。どうした」

「その。おひさしぶり?」

「……何か用か」


 つっめたいいいいいいい!!


 ちょっと。ちょっと?

 何日も会っていない妻に対する態度なのそれ!?


「お邪魔でしたか」

「だから、用件を言え」


 不機嫌蛇侯爵、めちゃくちゃ怖い。


「用がないと来ちゃだめなのね。分かったわ」

「そうは言っていない」

「態度で言ってるじゃない」

「わかるだろ。忙しい」

「ああそうですか! わからなくてすみませんね!」

「そんなこと言ってないだろう」

「言いました!」


 だめだ、私。

 なんていうかもう、心がへこたれている。

 しなしなのハーブみたい。


「ちょっとお兄様! いくらなんでも、冷たすぎるわ!」

「マージェリー様。お見苦しいところをお見せいたしました。どうぞゆっくりしていらしてくださいませ。失礼をいたします」

「セラちゃんっ」


 ユリシーズの顔は見ずに、くるりと背を向けて部屋を出た。

 


 そのまま私室に駆け込んだ私を、どこからかミンケが追いかけてきてくれていたようだ。

 

「奥様。……お珍しいですね」

「えっ。あ~そっか、聞こえてたのね?」

「旦那様は今、非常に多忙でいらして」

「……分かってるわよ……」


 分かっているつもりで、分かっていないのかもしれない。

 街道整備がどういう状況なのか、私は実際に目で見たわけではないし、魔法学校の色々にも関わっていない(関わると魔法使いなのがバレるから、という配慮)。


「忙しいと、カリカリしちゃうよね。それは分かるよ」

「奥様」

「でもさ、心細い時とかに支え合うのも、夫婦なんじゃないのかな~。あ、私前世でろくな男と結婚してなかったわ~。あはは~」

「奥様っ!」

「おい、今なんて言った」


 開け放たれていた扉のところに、ユリシーズが立っていた。

 追いかけてくれたのに全く気付いていなかったのは、私の失態だろう。


「っ」

「前世で、添い遂げた男がいたのか」

「……うん。結婚してたよ~。ほんと最悪な夫だった。私って男の人を見る目がないのかもね!」

「そいつと、俺が同じだと言いたいのか?」

 

 あ、やばい。

 理性が警鐘を鳴らしていたけれど、私は冷静でなかった。


「だったら?」

「不愉快だ」

「へ~。でも何日もまともに会話してないし。私の話も聞いてくれないし。一緒だよ」

「本気で言っているのか?」


 ゆらり、と周囲の空気が歪んだ気がした。

 かせのなくなった、我が王国最強の大魔法使いが、怒っている。

 

「出てって」

「セラ」

「そうやって、魔法で脅すの!? 怖いよ! 出てってよ!」

「!」


 

 ――ああ、私今、ユリシーズを深く傷つけたね。絶対言ってはいけないことを言った。ごめんなさい……



 結局その後泣いてしまい、エーデルブラート侯爵領に、季節外れの豪雨が降った。

 

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