湖も、宝の山に



 朝食後、念のため作業服(長袖タートルネックと黒いサロペット、革のロングブーツに麦わら帽子)に着替えた私は、ユリシーズに「完全装備だな」と笑われた。

 

「これぐらいしないと、日焼けするのです」

「そうかよ。じゃ、行くぞ」


 そんなユリシーズは、いつも通りのゆるい黒ローブ姿。さくさくと綺麗に刈られた草を踏みしめながら、その大きな背中の二歩後ろを歩く。私の後ろには、ミンケが従っている。

 

「にしても、一日でこれやったのか? すげえな」


 庭と道の状態を素直に褒められて恥ずかしくなり、俯く。

 湖への道を優先して整えたので、先日よりもかなり歩きやすくなっていた。


「お褒めの言葉、ありがたく存じます。ミンケとディーとノエルのお陰ですわ」

「ディー? ディーデか。あいつまた来てたのか」

「はい」

「ふうん」

「あの、ユリシーズ様」

「あ? リス呼びはやめたのか?」

「調子乗んなって言われましたから」


 びた、と足が止まって、蛇侯爵がぎりりと振り返る。怖い。食べないで。ゲコゲコ。

 

「……お前は俺の嫁だよな」

「そう、ですね」



 ――うん? ということは、調子乗って良いってことかな? 分かりづらいけど。



「リス様?」

「ん」

「レディはエスコートが必要なんですのよ」

 さらに調子に乗って、手を差し出してみる。

 

 だがこれにはユリシーズが戸惑った。


「手袋してねえぞ」

「なにか、差し障りが?」


 魔法や結界に影響があるのだろうか。

 

「いや。気持ち悪いだろ、これ」


 違った。

 彼が袖をまくると、手甲から手首までびっしりと、何かの刺青いれずみが走っている。


「タトゥーすごい、てだけですわ」

「タトゥー?」

「はい。前世では、体に好きな絵や文字を彫って楽しむ方がいらっしゃいました。その絵や文字のことを、タトゥーと呼んでいたのです」

「!」


 ユリシーズが息を呑む。


「気持ち悪くはないのか?」

「痛そう、とは思いますけど……気持ち悪くはないですね」

「そうか、前世で見慣れていたということか」

「ええ。多少珍しくはありますけれど。肌に絵を描くのは相当痛いそうなのです」

「なるほどな。俺のこれは、生まれつきだ。痛くはない」

「生まれつき!」

「ああ。ではセレーナ。つつしんでエスコートさせてもらおう」


 キザな仕草で手の甲にキスのふりをしてくれた。

 

「どうぞセラとお呼びくださいませ。ありがたくお受けいたしますわ」

 侯爵令嬢らしく(作業服だけどな!)左足を一歩下げ右膝を軽く折ってそれに応えてから、手を彼の肘に添える。


 

 ――彼の腕はがっしりとして、温かくて。全然蛇じゃない。

 

 

「セラ。改めて……我が領へようこそ」

 

 湖に着くやユリシーズがぴゅいっと指笛を吹くと、目の前を鮮やかな羽根を持つ鳥たちが、群れをなして飛んで行った。


 ぴゅいっ、ぴゅいいいいっ。

 

 その鳴き声や、羽ばたく度に日の光を反射して輝いて見える、水色とオレンジ色の翼の美しさに、思わず息を呑む。

 

「あれが『エーデルバード』だ。我が領のこの湖にしかいない。あの羽根は女たちがこぞって帽子に使いたがる」

「げげ」

「たまに王妃に献上して、ご機嫌を取っている」

「ぶほ! まあそれ、大事なことですわね」

「だろ」


 

 そう微笑むユリシーズは……口が悪いだけで、全然怖くはない。

 嫌味は言うけれど気遣い屋さんだし、照れ屋さんだし――


 

「で、だ。お前ここで歌ったらしいな?」

「んひゃい」


 その横顔に見惚みとれていたのに、

 

「……あー、怒ってねえぞ」

「! よかったです」


 怖がっていると思われてしまったのか、さりげなく体を離されてしまった。なんだか申し訳ない気持ちになってしまう。

 

「ん。見てみろ、湖面」

「え?」

「その時と、様子違うだろう」


 促されて、改めて目を凝らしてみる。

 豊かな水の量は変わらず、濃い青が目の前に広がっていて、底の方からキラキラと揺らめく光が水面みなもにいくつも反射して――

 

「あーれー? なんですか、あの光?」

「だよなあ。明らかに底の方がギラギラしてんだ」

「もしかして今までは」

「なかった。セラが歌ったらこうなった」

「ぎえええ!?」



 ユリシーズは、懐からおもむろに魔法の杖(指揮棒くらいの長さの、黒く塗られた木の杖だ)を取り出すと、背後に控えていたミンケに

「底をあらためるぞ。いけるか?」

 振り返らず聞く。

「は」

「よし。……水よ、我が声を聴け――ウォーターウォール」

 

 す、と杖を振るや、湖の水がたちまちざあっと左右に割れていく。

 CGでもVFXでもない、目の前で繰り広げられた正真正銘の魔法に、私は激しく感動した。


「うおおおおハリーもびっくりするね!」

「ハリー? 誰だそれ?」

「あーえっと、前世での有名な魔法使いです。ほうきで空を飛ぶんです」

「ほうきじゃ飛べねえぞ」

「ごもっとも!」

「おま、笑かすなって。ミンケが溺れたらどうする」

「!」


 眼下には、水がなくなりあらわになった湖底を、素早い動きで走り回るミンケの姿があった。

 さすがサーバルキャット、機敏で無駄がない(走るメイドかっこいい)。

 ふたり並んでそれを眺めていると、やがてミンケは、カゴの中を何かでいっぱいにした様子で岸辺までざくざくと上がって来た。


「ふう。まずはこのぐらいでいかがでしょうか」

「うむ、いいぞ。ご苦労だったな」

「はい!」


 尻尾が、ゆらゆら揺れている。

 ご主人様に褒められたら嬉しいよね、うん……と思いつつ少し寂しい気持ちになるのは、許して欲しい。早く私にも馴れてもらえるように頑張ろう。

 

「おお。想像以上のが採れたな」


 カゴから取り出した石のようなものを、親指と人差し指で挟んで宙に掲げたり手のひらで転がしたり、つぶさに観察している様子のユリシーズがうなる。


「えっ! 危険なものですか!?」

「いや……とりあえず戻るぞ」


 私のせいだろうか。いや、絶対私のせいだ。

 だって私にはもう一つ秘密がある――

 


「おい。転生者で魔法使いの嫁が来たんだ。何が起きても俺の想定内だぞ」


 トボトボとふさぎ込みながら歩く私に、ユリシーズが横からぶっきらぼうに言う。


「だから落ち込むんじゃねえ。こっちの気が滅入る」

「申し訳、ありません」

「はああ、だから……」

「おーい!」


 顔を上げると、中庭からディーデが両手を振っていた。

 彼は私たちの姿をみとめると、のしのしとこちらに笑顔で歩いて来る。


「湖行ってたの? 誰もいないから、どこに行ったのかと……おやあ、セラちゃんどうしたの? 落ち込んでる?」

「ディー! わた、わたくし……やっちゃったよおおぉ」

「わあ! よしよしするー?」


 よしよし!? 頭撫でてもらえるってこと!? ひょっとしてもふもふチャーンス!?


「はわわ」

 動揺(というか興奮)しつつ頷こうとしたら

「おいこら」

 その前に二の腕をユリシーズに掴まれて、後ろに引っ張られた。


 ――もふもふチャンス、失敗!

 

「想定内っつっただろ!」

「えーん!」

「えーんじゃねえ! たかだか湖の石を青晶せいしょう石に変えただけだ。むしろお手柄だぞ」



 ――せいしょうせき? 聞いたことない……あっ!



「……もしや……飛〇石……?」

「あ?」

「あーとあの、青く光る石! ってことですか!」

「おう、良く知ってんな。青に水晶の石と書く。宝石の一種だが、粉砕加工すれば武器防具にも使えるぞ」

「え? そんなのが私の歌でできた?」

「おそらくな」


 

 ――もしかして……あのちーへいせーん~~~って歌ったから!? そうだね、三周ぐらい大熱唱したね! だってね、雲が! 雲の形が綺麗にもりもりでっ…… 



「うっそおおおおおおおおおおおお!!」

 

 この大絶叫で、偶然近くの空を飛んでいた鳥の魔獣が、結界に当たる前に落ちていった。

 痛そうな顔で耳をふさぐディーデとミンケと、

「……お前の声、やべえな……ちょっとしばらく大声禁止」

 なぜかおもしろがっているユリシーズ。

 


 ――蛇侯爵に『危険人物認定』されたのは、私が初めてだったらしい。


 


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 お読み頂き、ありがとうございました。

 

 こちらの青晶石は、空想上のものです。

 ハリーも真っ青なリスの魔法が平和に出せて、満足です。

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