#3(柚木視点)
一目見た時、「この人のことを好きになりそうだな」とは思った。
初めて会ったのは、ゲーム同好会の顔合わせの時だった。中学の時からずっと一緒でなぜか俺のことをものすごく構ってくる先輩・・・・・・シノが、大学でひとりぼっちになりそうな俺を心配してわざわざ同好会を作っていたらしい。「もう一人いるけど、柚木はきっと気にいると思うよ」と言われて、シノが日向さんを連れてきた時は驚いた。お世辞にも静かだとは言えないシノが、自分と真逆のタイプを連れてくるとは思わなかったからだ。
日向さんは、一言で言うとすごく神経質そうだし、ガードも堅そうで話しにくそうだった。少し長めの前髪の向こうに、陰鬱そうな瞳とそれを囲うように並ぶ長いまつ毛。一人でいる時は大抵本を読んでいて、大きいけれどきれいな手で静かにページをめくっている。着ているニットやブラウス、カーディガンに至るまで皺ひとつない。隙がなさすぎる。
(それでも、)
それでもなんとなく、この人を好きになりそうだという謎の予感は、あった。
シノがたぶん知らせ忘れていたんだろう、俺の存在に困惑していた彼とはその後から少しずつ話をするようになった。神経質そうな外見とは裏腹に、意外に声は穏やかで、少しかすれ気味だけど低すぎない、心地のいい声をしていた。
自分を卑下することは多いのに、俺のことやシノのことを貶めたり蔑んだりはしなかった。(シノが時々行きすぎた下ネタや謎行動を繰り出したときは容赦なかったけど)そんな姿が印象的で、話していてとても楽で、俺はこの人の近くにいることが多くなった。最初は怪訝そうで少し冷たかった日向さんも、しばらく話すうちに俺のことを無害だと判断したのか、優しく穏やかに笑ってくれるようになった。
仲良くなって確信したけれど、日向さんは人を寄せつけないような重い甲羅を背負っておきながら、内側はひどく脆そうな人だった。
自分のことはまるで信用せず、卑下して、自分は最低だと心のどこかで思っているから、自分が信用している他人には盲目だし、ものすごく甘い。
(心配だ)
触れるものみんな傷つけてやるみたいな態度とってるのに、大丈夫そうだと思ったらそんな全幅の信頼をおいて優しくしてくれるなんて、すごい心配になる。
「柚木くんの島、すごくきれいだね」
夜、すっかり恒例となったボイスチャットを繋ぎながらのゲームの最中、日向さんが穏やかな声でそう言った。さっきまで日向さんふわふわだから心配だ・・・・・・と思っていた俺はそのふわふわ具合にさらに心配になってしまう。(でも、これ言うとたぶん日向さんは柚木くんの方がふわふわで心配だよって言うと思う)
いつもは二人で対戦や協力のできるゲームをやるけれど、今日は二人で何かのんびり話をしながら見られるゲームがいいねという話になって、動物たちと交流しながら島暮らしを楽しむゲームをひっぱり出した。前より頻度は落ちてしまったけどそこそこ手入れをしていたから、たぶん日向さんには見せられる範囲だろうと思った。
島の中を俺が走り回りながら、島の施設や住人、思い出やこだわりについて語る。日向さんは一つ一つ熱心に丁寧に聞きながらも、インテリアでいくつか所持していた観葉植物や花などを取り出したり、飾ってあるところを見せるとすごく喜んでくれた。観葉植物が好きらしい。
「このゲームやったことなかったけど、こんなに楽しくてかわいいゲームなんだね」
「日向さん、わりとこういうゲーム好きそうなのにやってないんですね」
「うん。なんか俺なんかがこんなかわいくて優しそうなゲームに手を出していいか悩んじゃって・・・・・・」
意外。日向さん、こういう作り込みするゲーム好きだと思ってた。前にシノとモノづくりゲームしてるのを横で見てたけど、シノの家よりめちゃくちゃ発展しててすごいのができてたし。あのゲームめっちゃやりこんでるって言ってたから、これも好きなんだと思ってた。勝手に。
「そういえば今日、流れ星が見えるんですよ」
「本当?ゲームの中で?」
「19時からなのでたぶんそろそろ・・・・・・」
海辺に下りて島から少し離れると、画面左側に空が広がる。海辺で休憩する場所があるといいなと思って置いたビーチベッドに寝転ぶと、画面の中の俺が目を閉じてしまった。流星群の日なのにこんなに呑気なのは、きっとこの世界では流星群が定期的にくるからだと思う。現に日向さんはさっきからまだかなあ、楽しみだね、柚木くんよく見るの、などとにこにこと話している。日向さん意外にこういうかわいいものとかきれいなもの好きなんだなあと思った。
「あ!見て、」
そわそわしながら画面を見ていた日向さんにつられて、自分のゲーム機の画面を見る。夜空の中を星がすうっと横切り、最後にきらりと光って消えていった。
「これ、星にお祈りできるんですよ」
「え、そんなこともできんの?すごいね」
「・・・・・・本当にやったことないんですね・・・・・・」
ビーチベッドでのんびりしている画面の中の自分を起こして、空を見上げる。また一つ星が流れてきたのでボタンを押すと、画面の中で何か祈るようなポーズをとって、願い事をしていた。
願い事。願い事かあ・・・・・・。ふわふわした日向さんが心配で恋人(仮)にはなったし、こうやって通話をしたり昼ごはんを一緒に食べたりする時間が増えて幸せだ。
二人でどうこうしたいというよりも、学年が違うし会う機会もそんなに作れなかった日向さんと会う機会も連絡する機会も増やせたことがとても嬉しい。日向さん、すごく優しいし。一緒にいておもしろいし。
「ゲームの中でもこんな風に流星群見られるのすごいね」
「日向さん、星とか好きなんですか?」
「うん・・・・・・この辺りだとあんまり見えないけどね。たぶんシノさんの方が詳しいよ」
「ああ、そういえばそうですね。あの人ソロキャンプとかして、旅先の星空とか撮ってポストカードにして俺にくれたりしてたんですけど、やりすぎて単位落として留年したらしくて今は控えてるって言ってました」
「あの人何してんの・・・・・・そろそろ俺と同学年になっちゃうじゃん」
日向さんが呆れたようにそう言ったので、俺はつい吹き出してしまった。日向さん、俺のことも気になっているけど、シノに対しても心配している節がある。シノのほうが年上のはずなのに世話を焼かれているのもちょくちょく見かける。やっぱり外見が近寄りがたいだけで、日向さんはすごく優しい人なんだ。
(だから、変な奴につけいられないようにしないと)
まあ、日向さん自身第一印象がアレなのでそんなに機会はないと思うし、日向さん俺の面倒見るの大好きだからたぶんないけどね。
「いいなあこれ、ずっと見てられるね。プラネタリウム行きたくなるな」
日向さんがゲームの中の星空を眺めて、そんなことを言う。プラネタリウム、プラネタリウムか。あんまり行ったことないけど、日向さんと二人なら楽しそう。そう思うと、自然と口が開く。
「一緒に行きませんか、プラネタリウム。俺も興味あります」
「え、いいの?俺ちょうど見たいプログラムがあるんだ」
弾んだ声の日向さんがチャットにURLを貼り付ける。リンク先に飛ぶと、日本のいろんな島の星空を紹介するプログラムが載っていた。一度にたくさんの星空が見られるのは楽しいかもしれない。いいね!という意で猫のスタンプを送ると、日向さんがやったー!と書かれた謎の野菜のスタンプを送ってきた。なんだろうこれ。
日程のすり合わせをして、日取りを決める。その後も少しだけゲームの中の島を巡って、住民たちが眠り始めた頃に、俺たちも通話を切って眠ることにした。
今日一日を振り返りながらベッドでうとうとして、気づく。
これ、もしかしてデートなのでは?
結局自覚してから全然眠れなくて、「このままだとかわいい俺をお見せできないのでは・・・・・・」と妙な心配をしたり、服や髪がダサく見えないか確認したり、とにかく忙しかった。いやもしかしたらデートじゃないかもしれないし、ただ普通にサークルの後輩とお出かけくらいのものかもしれないけど、日向さんはとても優しくて何事にもまじめなので俺と付き合うことをすごくちゃんと考えてくれていて、なおかつ素直に「どうしたらいいかわからない」と言ってくれている。
だからきっと、
(・・・・・・きっと、日向さんはデートだねって言ってくるだろうなあ、)
***
そして迎えた当日。
日向さんとは駅で待ち合わせした。都心の大きな駅なので改札がたくさんあるのが心配だが、お互いに何回も確認したので大丈夫だろう。
電車から降りて、待ち合わせ場所に向かう前に駅に置かれた鏡を覗いて少し髪型を直す。いやもしかしたらデートじゃないかもしれないし、ただ普通にサークルの後輩とお出かけくらいのものかもしれないけど!でも、日向さんのことだからなあという気持ちもある。
改札に向かうと、日向さんの姿があった。改札を抜けた先の柱にもたれかかって、いつものように少し不機嫌そうな顔をして、大きくてきれいな手で文庫本を捲っている。長い前髪が顔の右側を隠しているのも威圧感があるから、本当に近寄りがたい。でも大学にいる時と比べると寝癖がついていないので、日向さんも日向さんなりに身なりを整えてきてくれたんだなあと思った。
「日向さん」
呼びかけると、日向さんが顔をあげて柚木くん、と穏やかに微笑んだ。それを見て俺はこの人やっぱり危ないな・・・・・・と少しハラハラする。そこそこ顔は整ってるからこんな穏やかに微笑むだけでみんな好きになっちゃうと思う。
「すみません、待たせちゃいましたか?」
「ううん、俺も今来たところだから大丈夫。・・・・・・はは、なんだこの会話。デートみたいだね」
「そうですね」
ほら言ってきた。もう実績解除しちゃった。だからこういうところが危ないと思う、俺は。
柄でもないこと言っちゃったな、なんて日向さんは照れ笑いして文庫本を大事そうにかばんにしまった。あっちの方にあるから行こうか、と駅の出口を指差す。確かに案内表示もそうなってるから大丈夫だろう、と思って日向さんはもともと大丈夫だったなと思い直す。シノとは違うし。
プラネタリウムに着くと、平日昼間ともあって人はまばらだった。もっとカップルが多いかと思っていたけれど、この時間帯だと少ないらしい。日向さんとなんとなく話をしているうちにアナウンスが流れ、照明が落とされた。
ゆったりとした音楽が流れ、南の島が映し出される。いいなあ、南の島。同好会のみんなで合宿とか行けないかなあ。絶対楽しいと思う。シノそういうの好きそうだから相談してみようかな、と関係ないことをぼんやり考えていると、プラネタリウムの中の南の島の日が落ち、夜空が広がっていった。無数の星が瞬く中、代表的な星座を解説しながら進んでゆく。
日向さんに誘われた時、正直寝ちゃうかもなとは思ったけれど意外におもしろい。知ってる星座もあれば、知らない星座もあって、その配分も絶妙だった。
プログラムも終わりに差し掛かり、夜があけて太陽が出てくる。それと連動して、プラネタリウムの照明がついた。途中で飽きたら日向さんでも見てようかなと思っていたが、正直そんな暇なかった。
「久しぶりに来たけど、おもしろかったです」
「そう?それならよかった」
「日向さんはよく来るんですか?」
「うん。静かだからね、課題の合間とかゲーム詰まった時とかにふらっと来ることが多いかな」
プラネタリウムを出た俺たちは、近くのカフェで休憩していた。向かいに座って改めて見ると、日向さんのまつ毛が長くてつい眺めてしまう。あまりじろじろ見るのも悪いな、と思ってごまかすようにカフェオレを一口飲んだ。
「星を見てるとね、銀河鉄道の夜を思い出すんだよね」
「ああ、宮沢賢治の?」
「そう。・・・・・・だから、つい来ちゃうのかも」
「好きなんですか?銀河鉄道の夜」
何気なくそう聞いただけなのに、コーヒーカップを取ろうとした日向さんの指先がぴたっと止まった。とまどったように少しだけ視線をさまよわせてから、日向さんが小さくうん、と呟く。
(・・・・・・あれ、俺地雷踏んだかもしれない)
日向さんは俺やシノには基本的に穏やかで優しいけれど、ダメなことがある時はちゃんとダメだと叱れるタイプだ。一回シノが思いつきで会室で流しそうめんやろうとした時とかは長い説教を食らったと言ってたし。まあそれはシノが悪いけれど。
だから、こんな「言いづらい」みたいな反応は、あまりしない人だと思っていた。言いたくないことは言わないし、相手に対してどのくらいまで踏み込んでいいかをあらかじめ指定できる人なんだと思っていた。俺は日向さんの全てを知るわけじゃないけど、こんな反応は見たことがない。
「いや、銀河鉄道の夜読んだんですけど覚えてなくて。俺は注文の多い料理店のほうが覚えてますねー、なんとなくレストランとか行くとたまに思い出して怖いんですよね」
俺が何気なく違う作品の話をしようとしたのを察したのか否か、日向さんがほっとしたような顔をした。その後、いつもの調子に戻ってわかるなあそれ、と話を続ける。
日向さんの新しい一面を知ることは楽しくて嬉しいことのはずなのに、なんだか今回だけは嫌な感じがした。なんか、これ以上深入りしてはいけないというような、本人も深入りさせたくないような。いつもはうまく隠れているはずの内側の脆い部分が、今日は少しだけ見えてしまっていたみたいだった。
(日向さんがそんなに言いたくないことってなんなんだろう)
それがこの人のまとう、重い甲羅の正体なのかもしれない。誰にも近寄らせない、誰にも踏み込ませない、見えないライン。それによって、日向さんは人に神経質になって、でもそのラインを見誤らずに日向さんと接してきてくれる人は信頼してふわふわしている。そういうところがきっと、この人危ないなと思うところなのだろう。
できることならば打ち明けてほしいけど、それが苦しいなら話してくれなくてもいい。日向さんは優しいし、おもしろいし、一緒にいて気が楽だ。日向さんにとっても俺がそうなれたらいいから、見たくないものは見ないでいてくれてもいい。日向さんが一番いいと思える道を選んでほしい、なんていうのは俺のエゴだけど。
そんなに苦くないはずのカフェオレがなぜか妙に苦い。帰ったら銀河鉄道の夜を読み直そう。そうしたら日向さんの抱える重さが少しだけわかるかもしれないし、日向さんが嫌なこともわかるかもしれない。そうすれば、今日みたいなことはきっと起こらない。
(・・・・・・銀河鉄道の夜って、ほんとうのさいわいが出てくる話だっけ)
日向さんの「ほんとうのさいわい」はどこにあるんだろう。それが見つかる時、俺がこの人のそばにいられるといいんだけどなと思いつつ、そんなこと言ったら正直重いかなと思った。とりあえず今は、日向さんにケーキも食べませんかと提案する程度にとどめよう。
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