#2
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「で、オッケーしちゃったんですか?」
「・・・・・・うん、」
「ぺちょさん、昔から人間関係適当すぎません?」
辛辣な言葉とは裏腹に、声に明らかに揶揄うような響きがある。通話アプリ越しではあるが、絶対笑っているだろうなと思う。ぺちょという俺のハンドルネームの情けなさも相まって、相手も本気で俺を嗜めようとしている感じではなさそうだと察する。
「ぺちょさん、付き合うの意味ちゃんとわかってます?どっかに一緒に行くとかじゃないんですよ」
「・・・・・・それはさすがにわかってるよ」
そう返すと、通話相手のはるさんは笑い混じりに本当かなあ、と言った。
柚木くんにお試しで付き合ってほしいと言われてから、三日経った。
その時の柚木くんの声があまりにも頼りなくてかわいそうで、荒唐無稽なお願いではあったけれど思わず了承してしまった。俺にできることは何だってしてあげたかったし、いつも朗らかな柚木くんが捨てられた猫みたいな雰囲気を出していたのもあった。理由なんてそれだけで十分だったから後悔はしていないのだけれど、その日の夜眠ろうとして、この先どうしたらいいかわからなくなった。
誰かと付き合うということは、いいこともあるけれど悪いことももちろんある。距離が離れていれば離れているほど無難な付き合いができるけれど、柚木くんのように一歩踏み込まれたことはあまりないからわからない。遠くで見ている分にはきれいな星でも、近くで見たらそんなに輝いていない時もある。それで幻滅されたらどうしよう、このままだといつものように他人を傷つけてしまう、と考えてしばらく吐きそうだった。
暗い川の音が聞こえる。
あの日から俺は、あと何日何時間何分何秒後に死ぬとわかっていて、そこに向かってただひたすら暇つぶしをするような人生だったので、そういう前向きで生産的な人付き合いがわからなくなっていた。
はるさんから連絡がきたのはその翌日だった。
借りていたゲームで詰まっていると何気なくSNSで呟いたら、よければアドバイスしますよと声をかけてくれたのだ。そして二人で崩れた城の中をやいのやいの言いながらモンスターと戦い、仕掛けを解き、何回か敵に倒されつつ攻略しているうちにふと、はるさんに柚木くんのことを相談してみるのはどうだろう、と思い至った。
はるさんはオンラインで知り合ったゲーム友達だ。俺がまだ高校生だった頃からの付き合いで、だいぶ長いこと一緒にいろいろと遊んでいる。はるさんの方が歳上なので、俺もこれまでもいろんなことを話してきていて、そのたびに大雑把というかおもしろがっているというか、そんな反応はされても邪険にされたことはないので大丈夫だろうと思った。仮にも同好会内での恋愛にはなるから先輩に話すのも気が引けて、かと言って他に相談できそうな人も俺にはいなかった。
崩れた城の中をそのまま散策をしていると、広い部屋に出た。そこにあった篝火を灯し、リスポーン地点を確保する。
「ぺちょさんさすがにちょっと疲れたでしょ?一旦休憩しませんか、俺も飲み物とってきたいです」
「そうですね、そうしよう」
ゲームの中の俺も篝火の前に座り込んでいる。テーブルに置いてあったコップに麦茶を少し足すついでに一口飲むと、その冷たさに頭も少し冷やされる。
「・・・・・・はるさん、もう戻ってますか」
「いますよ。どうしました?もう再開します?」
話すなら今だ。はるさんなら俺のことを邪険にしない、アドバイスは大味だけどきっとちゃんと聞いてくれる、大丈夫、と自分に言い聞かせて口を開く。
「あの、ちょっと聞いて欲しいことがあって」
話は冒頭に戻る。
俺と柚木くんの話を聞いたはるさんは「やっぱりぺちょさんおもしれえなぁ〜」と言いながらひとしきり爆笑した。そんな反応をされると思わなかった。ここ数日、俺は普通の人間の反応がわからなくなってきている。
「正直、俺こんな経験なくてわからないんだよ。告白されたことはあるけど、そういうの嫌で逃げてきたし」
「ああ、ぺちょさん前にバイト先で客に迫られたことありましたもんね」
「・・・・・・あの時はありがとうございました」
「いえ、ぺちょさんに何かあったら俺は嫌なんで。でも、その後輩?・・・・・・のことはオッケーしたってことは、ぺちょさん的にはすぐに突っぱねるほどのことでもなかったってことですよね」
それならそのままでもいいんじゃないですかねえ、とはるさんが呑気に言う。
確かに。前にバイト先で客に迫られ、手紙を渡された時は嫌で嫌でたまらなくて、手紙を駅のゴミ箱に捨ててはるさんにメールしたのを思い出した。あの時のような嫌悪感と不快感と虚無感の混ざったような気持ちを今回は感じなかった。
ただ柚木くんが苦しそうで、俺に差し出せるものならなんでも差し出してあげたいと思った。きっとあの時の俺は、柚木くんに臓器移植を頼まれても了承したことだろう。
「・・・・・・それなら、とりあえずこれはこのままでいいんだけど」
「何が引っ掛かってるんですか」
「付き合うって、どうしたらいいんだろうっていうの、悩んでて」
そう言うと、はるさんがものすごい勢いで吹き出した。そのままイヤホン越しに笑い声が響く。笑われるだろあとは思ったけれど、こんなに爆笑されるとは思わなかった。いや、はるさんそういえば笑いのツボが子どもプール並みに浅いんだった。
「それこそ、柚木くんとでしか解決できないと思いますけど」
「はるさんは今の奥さんとの馴れ初めとかどんなことしたとかないの?」
「いやそれこそ言わないですよ、恥ずいわぁ」
「・・・・・・はるさん、結構秘密主義だよね」
これ以上つついても何も出なさそうだし、はるさん自身も絶対に何も出さないだろう。まあでも、柚木くんと付き合うことについては、自分が思うよりも前向きに捉えているということがわかっただけ良しとする。それに、話を聞いてもらって少しすっきりしたし、今後何かが起こってもはるさんには聞いてもらえるという安心感も生まれた。これで十分な気がする。
「さて、じゃあ続き行きますか」
「このあと絶対ボスですよね。だってオンラインのフレンド呼べるやつあるじゃないですか」
俺がそう言うと、まあそこはこの後のお楽しみってことで、と言いつつはるさんがまた笑った。
結局その後はるさんと2時間ほど粘ってボスと戦って一度倒したものの、ムービーが入って第二形態が出てきて、最初に掴まれてぶん投げられて死んだあたりで心が折れてやめた。はるさんもこのボスは50戦くらいしたと言っていた。はるさんでそれなら、俺は多分150戦はするな・・・・・・と思いつつ、お礼のチャットを飛ばす。
柚木くんに何か連絡したほうがいいのかな、付き合っているならいつもよりは連絡をした方がいい気がすると思いつつも、そういうことができる気がしない。
窓辺にあるアイビーに水をやりつつ、充電器に差しっぱなしのスマートフォンをちらりと見やる。すると、待ち構えていたように画面が光り、メッセージアプリのウインドウが開く。柚木くんからだった。
(・・・・・・この前は、)
「この前はごめんなさい、あれから会えなくて心配です。もし、日向さんにとって嫌なことなら忘れてください」
メッセージアプリの明るい緑のウインドウに似つかわしくないほどの内容に、息が詰まる。思わずスマートフォンに手を伸ばして、今度は反芻するように読んだ。
(柚木くんは、どんな顔してこれを書いたんだろう)
告白をされた時も、柚木くんの顔は見えなかった。でも、あのどこに行けばいいのかわからないような、とりあえず目の前のものに縋りたいような、そんな声をするからにはきっと寂しそうな顔をしていたのだろう。それでも柚木くんは、俺のことを心配して、気遣ってくれようとしている。
暗い川の音が聞こえる。
俺は結局あの日から変わることができない。誰かを傷つけて、押しのけて、自分のことしか考えられない。あの日から良い思い出よりも悪い思い出に苦しまされて、ずっとずっと後悔の中を生きている気がする。まるで、泳ぐみたいに。
自分は弱い人間だ。弱くて、無力で、それでいて、傷つきやすいなんて。だからあの時も何もできなかった。ただ濁流を眺めていた。
暗い川の音が聞こえる。
体が冷たくなっていく。俺は星を眺めるように孤独を愛して、人から離れて、それで生きていけば誰の害にもならないのに。
(・・・・・・いや)
俺はこのまま根腐れしてもかまわないけれど、柚木くんのことはそれとは別だ。柚木くんはこんな俺を気遣って、心配して、慕ってくれる。そんな彼が、あんな震える声でわがままを言ってくれたのだ。
(・・・・・・俺も、勇気を出さなくちゃ、)
震える指で画面をタップする。メッセージアプリが立ち上がり、テキストエリアが俺の言葉を待っている。何か言葉を書き込もうとして、でも浮かんだ言葉はどれもふさわしくない気がして、一度は使命感に満たされた指先が震えた。
でもここで、退くわけにはいかない。俺は星を眺めてたいけれど、柚木くんという星を俺の手で曇らせるわけにはいかない。
はるさんが言っていたように、一般的な解なんてここには存在しない。
これは俺と、柚木くんの問題なのだ。
無機質なコール音が鳴り響く。一回、二回、無意識に数えて気を紛らわせようとする。背中にじっとりと重たい湿度を感じるたびに、もう切ってしまおうかという気持ちになる。それを振り払って、祈るように目を閉じる。
「・・・・・・日向さん?」
八回目のコール音の後、少し驚いたような声がした。やはり迷惑だったかもしれないと感じて、喉の奥で言葉が詰まる。何も言えないでいると、柚木くんが日向さんだ、ともう一度確かめるようにつぶやいた。
「どうしたんですか急に」
「・・・・・・いや、あのね。メッセージ見て、心配になったんだ」
「ああ、あれですね。いや俺もすみません、あんな思わせぶりなの送って」
「ううん、いいんだ。俺、ちゃんと言っておこうと思って」
あの時はちゃんと返事ができなかったから、と付け足すと、柚木くんが回線の向こうで息を飲むのがわかった。突然の電話で不安にさせているのではないかと感じて、やはり俺は愚策しか生まないなと思いつつ、もう後には引き返せないので口を開く。
「・・・・・・俺、柚木くんの考えてるような付き合うってことがわからなくて、ずっと悩んでたんだ」
柚木くんが何か言おうと口を開く前に、俺は続ける。柚木くんが何かフォローを入れてくれる前に、俺の言葉でちゃんと伝えるべきだと思った。はるさんは聞いてはくれるけれど、解決はしてくれなかった。これは俺たちの問題だから。前向きな人間関係というのは、こういう苦痛を乗り越えた先にあるのかもしれない。孤独な惑星に引きこもっている限りは気づけなかったことだ。
「俺、前に告白とかされて嫌な思いもしたんだ。もう一生誰とも付き合わないと思ってたけど、柚木くんのことは、とまどったけどそれでもいいと思ったんだ」
だから、忘れてなんて言わないで。
俺が支離滅裂ながらもそう伝えると、柚木くんが小さく「はい」と返事をした。その声がわずかに震えているのに気づいて、俺のことでそんなに悩ませるのは申し訳ないなという気持ちになる。
「それにしても、付き合うってどうしたらいいのかな。柚木くんどうしたいとかある?」
場を繋ごうとしてそう聞くと、柚木くんは少し間を置いたあと、いつものように明るく笑った。俺も少しは役に立てたのかも、と思ってほっと胸をなで下ろす。
「俺は日向さんといられるなら、なんでもいいです。身構えちゃうなら、いつも通りゲームしましょう」
「そうだね、この前一緒に素材集めに行くって言ってできてなかったもんね。お互い家だから、このあと通話しながらやろうか」
そう提案すると、柚木くんが無邪気にやった!準備できたらまた連絡しますね!と言って、お互いに少しだけ雑談を挟んで、通話を切る。
その後柚木くんと一緒にゲームをやって、少しだけ雑談を挟んで、眠った。
その日は珍しく悪夢を見ずにすんで、目が覚めた時の世界はいつもより少しだけ眩しかった。
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