アフター・ブルー

ぷるたぶ

#1



 孤独というのは、届かない星を眺めるようなものである。


 最低限の人付き合いしかしない生活を送り、自分から人に関わるのをやめ、世界の片隅でひっそりと生活をするような身になればわかる。孤独というのは慰めである。孤独というのは、幾千にも光る星を時には嫉妬し、時には羨望し、時にはそれを愛するようなものである。

 俺は今まで、他者に愛され好まれるよりも傷つけられたり無力を感じさせられたりすることが多かった。その中で気づいた。孤独の中でしか慰められない、生きられない、そんな人間もいるのだ。

 昔読んだ本に出てくる、星にあるランプをたった一人で管理する点灯夫のように。


 恋とはつまり錯覚で、愛とはつまり執着だ。

 そんな感情に振り回されて、自分を見失って、自分を追い込んでいくならもう俺はずっと一人でいい。

 ずっと一人で、届かない星を眺めていたい。



***



 週に何回か、悪夢を見る。

 その時によってバリエーションはあるけれど、根底に流れるものはいつも同じだ。他人の中にうまくなじめない、他人の中で生きていけない、そういう思いが積み重なって俺の足元で暗く澱んで漂っている。

 ずっと一人でいいと思いつつ、やはり俺は他人が好きだし、こんな俺と仲良くしてくれる人の手は離したくないと思ってしまう。そんな矛盾した一面を、夢は容赦なく暴いてくる。

 夢とは記憶の整理だという説もあるが、それにしてはとても客観的で冷淡な結果をいつも突きつけられる。悪夢はいつも俺を苛む。悪夢はいつも俺を蝕む。

 

 川の音が聞こえてくる。あの川の底は、暗くて冷たくて、とても悲しい。


 目が覚めるといつも心底ほっとする。それと同時に、少し失望した気持ちにもなる。

 孤独を愛して孤高を謳う俺は、所詮人に愛されたいだけなのだと。ただ孤独を正当化して、自分の世界に引きこもっているだけなのだと。相手から求められたら応じたいというのは、自分は相手より上だと潜在的に思い込みたいだけだと。


 夢のことを考えると、いつも最後はひどく惨めになって、そして死にたくなる。


 だけれど、俺には根性も勢いもないから、結局世界は今のままだ。



(顔を洗って外に出なくちゃ)



 排水溝を流れる水を眺めていると、脳裏にあの川が蘇る。それを振り払うようにして、俺は朝の支度を始める。



 有象無象の人が蠢く大学の中を、這うように縫うように進んでいく。午前中の必修科目と語学を終えて、調べ物を片し、空腹を覚えて時計を確認する。昼食と呼ぶには少し遅い時間になっていて、道理でと一人納得した。昼時の学食はひどく混むが、この時間であれば空いているだろう。

 カフェテリアでお盆を受けとり、なんとなく目についたおかずをとっていく。揚げ出し豆腐、かぶの浅漬け、わかめと油揚げの味噌汁・・・・・・豆腐がかぶったなと思いつつ、メインの鶏の照り焼きとご飯をとって会計をし、窓際の席に座った。


「日向さん」


 いただきます、と呟いた時、後ろから声をかけられた。自分に声をかけてくる相手など限られている。いったん箸を置いて見ると、やはり見知った姿があった。

「・・・・・・柚木くん」

 名前を呼ぶと、にっこり笑う。隣いいですか?と聞きつつ、もうすでに隣の席に座っていた。まあでも、柚木くんだからいいかなと思いつつ、俺も改めて箸を手に取る。


 柚木くんとは、成り行きで入ったゲームサークルで知り合った。

 授業でお世話になった先輩とひょんなことからゲームの話で盛り上がって、暇な時や協力相手がほしい時になんとなく集まってゲームができればいいやということでゆるく始まった同好会だった。表立って募集もしていないので、今のところメンバーが 俺、柚木くん、先輩しかいない。

 柚木くんは先輩が連れてきた。先輩とは中学生からの知り合いだと聞いていたし、初めて会った時からふわふわのパーマに中性的な顔立ちで服装もそれなりにおしゃれだったので、正直仲良くなれる気がしなかった。何度か同好会から抜けようかと思ったが、先輩に間に入ってもらって柚木くんと話すうちに、彼が自分と同じような趣味嗜好を持っていることを知って、少しずつだけど仲良くなれた。

 柚木くんは外見こそ明るい世界から来た感じだが、人見知りで人の輪に入ることはとても苦手だ。クラスに友達がいないし、大学では俺と先輩としか話していないらしい。それを聞いた時、俺も似たようなものなのにちょっと心配になった。

 そんな心配が芽生えてしまったからか、彼のことは少し気にかかるし、何かと世話を焼いてしまう。そのうちに懐かれて、そこそこ仲良くなった。


「日向さん、顔色悪くないですか?」

 柚木くんの顔をしげしげと眺めていると、彼が心配そうに覗き込んできた。

「・・・・・・ああ、夢見が悪くて」

「え、大丈夫ですか?」

「でも今日は授業もこれで終わりだし、バイトもないし大丈夫だよ」

「そうですか・・・・・・」

 柚木くんの顔が曇る。そういえば柚木くんと今日協力プレイをする約束があったことを思い出したので、「ボス戦は付き合うよ。俺も欲しい素材あるし」と付け加えた。目的はそれで果たされるだろうと思ってそう伝えたのに、柚木くんの顔はますます曇るばかりだ。

 どこかで間違えてしまったか。やはり俺はこうなのか、他人の中にうまくなじめない、他人の中で生きていけない、頭の中でそういう思いが積み重なって、俺の足元が暗く澱んでくるような気がする。


 川の音が聞こえてくる。


 やっぱり、うまくいかない。俺は星を眺めるように孤独を愛して、人から離れて、それで生きていけば誰の害にもならないのに。それなのに、こうやってたまに人と仲良くなりたいと思ったばかりにーーー


「日向さん」


 沈んでいくばかりの思考から引き上げるように、柚木くんの声が響く。


「日向さん、大丈夫ですか?」


 目がチカチカする。先程まで暗い沼地にいたような気分だったからか、急に戻ってきた明るさに目が慣れない。

 心配そうに見つめてくる柚木くんに平気だよ、と笑顔で返したけれど、柚木くんの顔はやはり晴れない。

「・・・・・・どうしたら、いい?」

 どうしたら喜んでくれるんだろう。どうしたら笑ってくれるんだろう。俺が失敗していないという確証を得るための押し付けでしかないとわかっていても、その問いかけをやめることができなくて、つい口に出してしまった。

「ごめん、忘れて、」

「日向さんがどうしたらいいかですか?」

 重ねてお願いをしようとしたのに、柚木くんに食い気味に返事をされてしまった。

「簡単です。家に帰って、ちゃんとご飯を食べて、暖かい布団で寝てくれれば、それで」

「それは、俺ばっかりいいことになっちゃわない?」

 俺はそんな風に気遣われていい人間じゃない。その思いは、ずいぶんと直接的な形で柚木くんに届いてしまった。

 俺は星を眺めるように孤独を愛して、人から離れて、それで生きていけば誰の害にもならないのに、こうやってたまに人と仲良くなりたいと思ったばかりに誤作動を起こして、その後始末まで人に頼んでしまっているのに?


 川の音が聞こえてくる。


 あの時、足がすくんでしまった。どうすることもできなかった。自分は弱い人間だ。弱くて、無力で、それでいて、傷つきやすいなんて。だからあの時も何もできなかった。ただ濁流を眺めていた。

 体が冷たくなっていく。冷房のせいか、記憶のせいかわからない。俺は星を眺めるように孤独を愛して、人から離れて、それで生きていけば誰の害にもならないのに。

 柚木くんの顔が見られない。柚木くんの顔を見るのが怖い。

 自分が届かぬ星に手を伸ばしてしまった、その結果を直視したくない。


「それなら、一個お願いしてもいいですか?」

 先程までの心配そうな声と違って、静かに柚木くんが問いかける。

 そうだ、何かを取引してくれた方が俺も楽だ。それで失望されたら、ちゃんとそれが理由になるから。そう思ってしまう俺はやっぱりあの時から変わらず卑怯だ。

 誰にも話せない暗い川。あの川が、まだ心の奥底を流れている。

「いいよ、なんでも言ってよ」

 顔は見られないけれど、なんとなく柚木くんの気配がほっと緩んだのを感じた。俺にできることなら、いやできないことでも聞いてあげたいと思った。そんなに長い付き合いでもないけれど、こんな俺と仲良くしてくれる人の手は離したくない。

 柚木くんが小さく息を吸う音がした。何が出てくるかわからないけれど、何でもいいと思った。俺はあの時、あの川で、死んでもよかったのだから。



「・・・・・・俺と少しの間だけ、付き合ってもらえませんか」



 そう覚悟していたとはいえ、この展開は正直予想できなかったから、だいぶ反応が遅れてしまったことだけは柚木くんに後で謝ろうと思った。



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