「卵」がくる
* * *
何故か血で汚れているものの、それ以外の異変はココに見当たらない。そしてタイキが怪我したために、タイキとヤスカは一度保健室へ行くことにした。鶏小屋を出たのなら、外がひどく眩しく感じられた。日差しは温かく、どうして飼育小屋の中はあんなにも気味が悪いのだろうと、タイキは初めて思った。
ココのことは、やはり先生に言った方がいいだろう。卵のこと以前に、血塗れなのはおかしい。保健室に行った後に、職員室に行こうとタイキは考えていた。
ところが、すぐに保健室には行けなかった。
「卵の話をしたか?」
しゃがれた声が聞こえて、ヤスカがひっ、と身を引いた。視線の先は学校の敷地を囲むフェンスがあり、その向こうには老婆の姿があった。頭頂部が禿げてしまった老婆であり、残っている髪もまるで壊れた蜘蛛の巣の糸のようになっている。服は色褪せていて見るからに汚らしかったが、肩にかけたケープだけは繊細な模様が入っているためか、色褪せていてもアンティークもののように見えた。しかし手にしたコンビニの袋は一体何回使いまわしたのかわからないほどぼろぼろで、足を見たのなら、靴もすっかり履きつぶされて汚れたものを履いていた。
言ってしまえば老婆は浮浪者に見えた――が、噂によると家はあるらしい。だが「頭のおかしい人」として周辺では有名だった。タケウチ、と言う老婆であり、よく一人でぶつくさと言い、かと思えば癇癪を起したかのように騒ぎ出し、時に道端で警察が相手をしていることもある。
「卵か? 卵の話をしたか?」
タケウチは黄色い歯を見せて尋ねてくる。ヤスカは身を小さくして黙ってしまった。怖い、と思うのも仕方がないだろうと、タイキはヤスカを引っ張ってさっさとその場から離れようとする――こういうのは、相手にしないのが一番だ。気持ちが悪いし、そもそも卵の話をするなんて、この老婆は盗み聞きをしていたのだ、気味が悪い。
ココにつつかれた傷がずきずき痛む。タイキは足を進めようとしたが、
「卵はだめだ!」
がしゃん、とタケウチが唐突にフェンスを激しく叩き始めた。その音に、ヤスカだけでなくタイキも震え上がってしまった。
タケウチは壊れたかのようにフェンスを叩き続けている。
「卵はだめだ! 卵はだめだ! 学校は作っていいといったがねぇ、鶏はいかんと言ったんだ! 鳥はだめだ! 鳥がいると卵がくる! 卵がくるんだ!」
激しく暴れ始めたタケウチは、人間のようには見えなかった。ぐずぐずとヤスカが泣き始める。タイキはその場から逃げ出したかったが、ヤスカを置いて行くわけにはいかない。しかしそのヤスカが、いくら引っ張っても動かなくなってしまったのだ。
「ちょっと! あなた何ですか、警察呼びますよ!」
幸いにも、そこで力強い男の声がした。はっとタイキが振り返ったのなら、中年の男性教師の姿がそこにあった。イワサキである。
イワサキの怒鳴り声を受けて、タケウチはまるでスイッチが切れたかのように静かになった。そして一人「卵はだめだ、鶏はだめだ」とぶつぶつ言いながら、こちらに背を向けて路地の向こうへ消えていってしまった。
「お前達、大丈夫か?」
イワサキはすぐにタイキとヤスカのもとまでやって来た。
「あっ、手を怪我してるじゃないか! まさかタケウチに……?」
「いや違います、これはココに……」
「うっわ、あのババアまじで気持ち悪いわ……」
そう言って、イワサキの後ろから出てきたのはジョウスケだった。ジョウスケはイワサキを見上げて、
「せんせー、やっぱウサギいねぇよ、もういい? あのババアが盗んだんじゃないの?」
「ジョウスケ、お前も飼育委員なんだから、もっと探しなさい。ウサ太郎はもしかすると、寂しがってるかもしれないぞ……それとお前、そのブレスレットは外しなさい。次に見かけたら没収だぞ」
――話によると、どうやらウサギ小屋のウサギが一羽、いなくなっていたらしかった。今日、タイキとヤスカは鶏の担当だったために、イワサキから話を聞いて初めて知った。
どこかで迷子になっているのなら大変だと、タイキは保健室で手の傷を手当してもらった後、ウサギの捜索に加わった。そのため、ココのことは言えなかった。
結局、ウサギは見つからなかった。
それどころが、数日後、また一羽がいなくなり、そのまた数日後、三羽目が姿を消した。
学校側は、ウサギが脱走しているのではなく、盗まれているのではないかと考え始め、事件になり始めていた。
だからタイキは変わらず言えなかった。
ウサギが消えると共に、ココも怪我こそしていないようだが、腹を血に染めていることに。
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