血塗れの卵と鶏


 * * *



 卵の存在は、先生に知られることなく日々が過ぎていった。飼育している鶏の中でも小柄なココが必死に卵を守っている、その姿を前に、決まりだからと先生に告げる飼育委員はおらず、かわいいヒヨコが生まれることを期待して名前を考える生徒もいた。かわいいココの子供なんだ、生まれてくる子もきっとかわいいだろう、と。


 しかし一か月経ってもココはその場から動かず、卵からヒヨコが出てくる様子もなかった。時折タイキが「ごめんね」と謝りながらココをデッキブラシでつついて卵がそこにあることを確認するが、卵にも、そしてココにも何の変化も見られなかった。


「無精卵かもしれないね」


 やがてタイキはある朝の世話の最中、そう口にした。


「むせーらん?」

「ヤスカ、もう理科でやった? つまりヒヨコが生まれてこない卵ってこと」


 外で青空が広がっていても、飼育小屋の中は薄暗く、夏も近づいてきた季節といってもひんやりとしている。つとタイキは、いつまでも蹲っているココを見て、寒くないのかな、と思ってしまう。


「……そろそろ先生に言った方がいいかも」


 無精卵だとしても、ココをこのままにしておいていいのかわからないし、有精卵だったとしたら……もしかしたら死んでしまっているのかもしれない。そんな考えがタイキの頭の中に浮かんでいた。


 飼育小屋の金網の外、日差しが強いらしく、白く見えるほどに眩しかった。その中で外に出た鶏達のおもちゃのような声が聞こえる。他の飼育委員の生徒が鶏を追い回してるのだろう声も聞こえて、薄暗い中、まるで取り残されたかのようにココがいるこの場所とは世界が別のようだった。


「でも先生に言ったら、ココ、卵取られちゃうよ、それはかわいそうだよ……」


 ヤスカは手にしたデッキブラシをぎゅっと握っていた。だがタイキは考える。もしも無精卵だったのなら、この薄暗い中何も生まれない卵をずっと抱えているのと、卵のことを忘れて日向に出るの、どちらがいいのだろうか、と。

 生まれないのなら、ココを明るい外に出した方がいいに決まっている。


「……あれ?」


 その時、ようやくタイキは気付いた。

 ――餅のようになって卵を温めているココ。そのお腹の方に赤色がついていることに。

 しゃがんでよく見てみると、薄暗い中、その赤色は嫌なくらいはっきりとしていて、飼育小屋の臭いとは違う、鉄のような臭いが鼻をかすめた。


「ココ、血が出てる!?」


 茶色の鶏だから、気付くのが遅れた。ココについているのは、血で間違いがなかった。ヤスカが息を呑み隣にしゃがみ込む。


「ココ、怪我したの!? お腹の……下? 卵は……?」


 タイキはそっとココに手を伸ばす。ココに苦しそうな様子は一つもない。けれども、卵を温めている腹を怪我しているのなら。

 ――大人しいココのものとは、そもそも鶏のものとは思えない、耳をつんざくような声が上がった。


「いてっ!」


 ココが奇声を上げてタイキの手をつっついたのだ。慌ててタイキは手を引っ込めるが、ずきずきとした痛みは拭えず、見ればえぐれたような傷が出来上がっていた。血が滲み出て、薄暗い中、僅かな光にぬるりと光る。


 ココを見れば、そのくちばしに鮮血がついていた。そしてココがつつくために身体を持ち上げた一瞬に、タイキは見ていた。

 ――ココの腹には、べったりと血がついていた。


「……卵は、あったな」


 しかしその下に、同じく赤く染まった卵も確かにあったのを見た。赤く染まっていたものの丸く、どこか欠けた様子も割れた様子も見られなかった。


「ココ、怪我したわけじゃなさそう……?」


 ヤスカが首を傾げる。その通り、ココは血に塗れているだけで、怪我をしたようには思えなかった。そうでなければあんなにも勢いよくつついては来ないだろうし、依然としてココは苦しそうな様子を見せない。腹が赤く染まっているだけで、ここ一か月と全く同じように見える。

 ただ、ぎらぎらと目を輝かせてはいた。

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