怪物はまだ生まれていない

ひゐ(宵々屋)

飼育小屋で生まれた卵

「ココが卵温めてる……」


 その日、校庭の隅にある鶏小屋で、小学六年生のタイキは一羽の鶏の異変に気付いた。


 登校するにしてはまだ早い時間で、校舎へ入っていく生徒の姿は少ない。しかし「飼育委員」になったのなら、他の生徒よりも早く登校し、学校で飼っている鶏やウサギの世話をしなくてはいけない。だからタイキはその日も、眠たい目をこすりながら、鶏小屋の床をブラシで擦っていたのだが、一羽の鶏がまだ中に残っていたのだ。他の鶏は、すでに勝手に外に出たというのに。


 鶏小屋らしい臭いに満ちた薄暗い中、床で餅のように丸くなっていたのは、茶色の鶏だった。飼っている鶏の中で一番小柄で、だからこそタイキは「ココ」と呼ばれている鶏だと気付いた。


 ココは全く動きそうになく、デッキブラシで軽くつついてみたところ、かすかに身体を持ち上げた。その時にタイキは見た、ココの足の間にある真白な球体を。


「先生に言わなくちゃ」


 いままで鶏が卵を産んだところ見たことがなかったが、卵を産んだのなら、先生に報告する。そういう決まりになっている。ココの身体の下にあるのは、間違いなく卵だった。汚れ一つなく、新品の野球ボールにも似ていた。スーパーで売っている卵よりもきれいで、不思議と光っているようにも見えた。

 ところが、タイキの服の袖を、背後から引っ張る手があった。


「ま、待ってよぉ」


 同じく飼育委員のヤスカだった。五年生である彼女は、薄暗い中おどおどした様子でココを見下ろす。


「……昔、イワサキ先生が卵食べちゃったって聞いたことがある」


 ヤスカがココの傍らに座り込んだのなら、ココはその瞳をきっとヤスカに向けた。やはり動かない様子で、そして絶対に卵には触れさせないと主張しているようにも見える。ココは大人しい鶏のはずだったが、いまはまるで性格が変わってしまったようだ。


「先生に言ったら、ココ、卵取られちゃうよ。それはかわいそう……」


 やがて薄暗い中、ヤスカはタイキを見上げた。タイキは少しして溜息を吐くしかなかった。

 小柄な鶏のココ。そのココが守る、さらに小さい卵。命。

 改めて見れば、ココはまさに宝物を抱えているかのように膨らんで、何も鳴かない。

 弱いものいじめをしているような気分を覚える。


「なんだよ、卵産んだのか?」

「……ジョウスケか? 遅刻だぞ」


 不意に声が聞こえてタイキが振り返ったのなら、鶏小屋の入口にジョウスケの姿があった。タイキと同じ、六年生の男子だ。雑に扱われ傷ついたランドセルを背負ったまま、下ろす様子も見せずにジョウスケはひらひらと手を振る。


「うるせぇなぁ、大体俺は、飼育委員なんてやるつもりなかったんだぞ、ジャンケンで負けたから仕方なくいるだけで」


 その腕には学校では禁止されているブレスレットがつけられていた。

 ジョウスケは、きたねー、と言いつつも、鶏小屋に入ってくる。動かないココを見つけたのなら、ぐいぐいと足でどかそうとした。

 やはりココは動かなかった。


「めんどくせー、どかないじゃん、こいつ。掃除どうすんの、俺触りたくないよ、鶏」

「や、やめてよ……卵守ってるんだよ」


 ヤスカが割り込んだのなら、ジョウスケは、


「じゃあお前が掃除しろよ」


 そう言って、出て行ってしまった。ココに触ったスニーカーを、拭うように地面に擦りつけている。

 ジョウスケが何をするかわからない――タイキは声を飛ばした。


「ジョウスケ、卵のこと、先生に黙っておいてよ。ココ、卵なんかすごい大事そうにしてるし」

「だーれがセンコーと話すかよ。つーかバカみたいだな、そんなに必死に卵なんて守って……まあ俺達、卵食うしな! あっ、俺の今日の朝ごはん、卵かけご飯だったんだ」

「ココの前でそういう話するのやめてよ……」


 しゃがんだままのヤスカが眉を寄せる。ココは変わらず黙ったまま、卵を抱いていた。

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