第7話
朝が来て、立ったまま、眠ったのか気絶していたのか分からないまま、僕はいつもどおり、バイトに出かけた。窓の外は見なかった。朝日の中にあれが現れるとは思えなかった。そして、僕は夜に再び同じ光景を見るだろうと、なぜだか確信していた。騒がしいバイト先で働いている間は、思い出さないよう努めた。
すっかり暗くなってから家に帰ると、テレビの前に座るまでに、いつもと同じ手順を踏む。靴を脱ぎ、手を洗い、ストーブを点け、コンビニで買ったものをテーブルに置く。以上だ。疲れて、とにかく早く座りたかった。食べるよりも飲むよりも、何よりも先に、頭を空っぽにしたい。
テレビをつけると映画に切り替え、再生ボタンを押す。いつもの俳優らが、いつもと同じセリフを話し、同じ動きをする。僕の頭は物語の流れを追って、頭の中の雑音を鎮めていく。しばらくして、外が静かなことに気がついた。
僕のアパートの外は、大抵は静かだ。それは分かっていることなのだが、静けさの中だからこそ、何かの気配を感じることがある。それは雨の気配だったり、時間がじわりと動く気配だったりするのだが、今は、外の闇にふと、余分な空間ができるような、言葉にすればそんな気配だった。
僕は恐ろしいとも思わず、ただ、ああ、車が現れるのだろうと予測した。衣服が擦れるささやかな音だけをさせて、静かに窓に近づく。窓越しに、もうぼんやりと車が姿を現すところだった。続いて、光が灯っていくように、花が現れる。昨日と同じ、あの日と同じ、全てが同じ光景。そして、昨日は気がつかなかった、車の傷、タイヤの空気が抜けてゆがんだタイヤ、指で埃をこすって落書きをした箇所もそのままあることに気がついて、僕はそれも思い出した。
昨日より、僕は冷静でいる。車から目を離すことはできないけれど。目を離したら、消えてしまうのかもしれないと思った。この風景を見た後の記憶は、どうしても思い出せないけれど、じっと見ていると、恐ろしさ、悲しさ、不思議さ、混乱よりも、懐かしさを感じた。
かすかにただよってくる花の匂い、冬の乾いた空気の匂い、枯れた草の匂い。今、僕の目の前は夜でしかないけれど、車と車の中は、確かにあの日の、同じ季節の晴れた昼間の光をまとっていた。
僕の背中では、テレビの中で映画のストーリーが進んでいく。白い光と黒の影だけが、部屋の壁で不規則に移り変わっていった。
動かない、記憶の幻を前に、僕の頭の中は、この車の中で親友と遊び倒したことを、次から次へと思い出す。今まで思い出さなかった、くだらない話の中身、つまらないと言われた僕のジョーク。
車の存在と花の匂いは、僕に何か言いたげで、けれど何も言わず、時間は確実に進み、僕と車は、花の匂いの中、静かに対峙して、やがて朝がきた。
こんな夜がしばらく続いた。僕が帰ってくる時間はまちまちだったのに、車は、僕が帰宅するのを待って現れるようだった。
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