第3話 未来から来た男

「理美、早くしないと学校に遅れるわよ」

「はーい」

 理美と呼ばれた女の子は、今年十四歳になる中学二年生の女の子だった。

 両親ともに健在、父は道路建設の会社に勤めていて、母は専業主婦をしていた。そんな両親の間に生まれた一人の女の子が理美と呼ばれる子供だったのだ。

 理美が眠たい目をこすりながら、階下で朝食をともにしている両親を眺めると、父親はトーストを齧りながら、新聞を広げ、さらにはテレビから聞こえるニュースにまで気を配っていた。

 母親は、洗い物をしながら、食卓にフルーツや野菜を盛り付けてた。

 二人とも、一度に二つや三つのことができるという器用さがあるのだった。

 理美の家から学校までは、バスを使っての通学になる。最近では、やっと試験的にではあるが、交通渋滞緩和に向けての空間バスが登場し、注目を集めているが、ここ漆市にまでは、その恩恵をあずかることはできなかった。

「理美、くれぐれも気を付けていくんだよ」

 と、父は優しい言葉をいつも掛けてくれる。理美はそんな父を頼もしいと思いながら、どうしても納得できないという思いと、孤独感を抱きながら、その日も通学していた。

 その日は夢を見ていたために、すっかり寝坊してしまって、朝食もロクに食べていない。

 理美の母親は、

「せっかく気持ちよく寝ているのだから」

 と、無理やりに叩き起こすようなことはしない。ギリギリの時間まで寝かせてくれるのだが、学校に行くためのバスの時間は決まっている。起きてしまえば、グズグズしている暇はない。

 理美の方も、ぐっすり寝ていても、学校に遅刻するギリギリの時間までには目が覚めるようになっているようで、慌てることはあっても、寝起きを最悪の状態にすることはなかった。

 それが不幸中の幸いになるのか、母親もそこは手が掛からないということで、叩き起こすような真似はしなかった。

 ただ、朝食は満足に摂ることができない。さらに両親のように、一時に複数のことをこなせるような器用さも持ちあわせていない。したがって必然的に、朝食を摂るという時間が犠牲になるのだ。

 急いでバス停に向かっていると、

「理美、あなたも今朝は朝食抜き?」

「そうね、ほとんど食べてないわ。でも、サプリメントを飲んでるから、お腹もちょうどいいくらいだわ」

「それって、栄養と一緒に、お腹も膨れるという最近出た新製品でしょう? 高かったんじゃないの?」

「ううん、パパが安く手に入れてくれたので、それほどのことはないわ」

「あなたのパパが羨ましいわ」

「未来のところのパパも素敵じゃない」

「そんなことないわ」

 女の子二人の会話である。やはり、ここでも理美の友達は未来なのだ。

 未来は続けた。

「あなたのところのお父さんもお母さんも、二人とも同じ時に複数のことができるっていう能力があるようじゃないの。うちの親には、そんな能力ないもん。羨ましいわ」

「何言ってるの。そんな能力があったからって、別にそれがどうなるというわけではないでしょう?」

「それはそうだけど、何か格好いいじゃない?」

「そうね、自慢しようかしら?」

「そうよ。自慢しちゃっていいのよ」

 二人の会話を聞いているのが、幸一だったら、苛立ちや憤りを感じ、ブルブル震えているかも知れない。手の平にはいっぱいの汗を掻いて、指先が痺れていることだろう。苛立ちは憤りに変わり、自分を抑えることができないかも知れないと思うことだろう。

 中学二年生の頃の理美は、まだ幸一を知らない。だが、それにしても、空間バスというのはどういうことだ? 今の科学ではそんな話を聞いたことがない。ひょっとして、理美の父親が、国の極秘研究室か何かに勤めていて、研究を続けていることを理美だけが知っているだけのことなのかも知れない、

 だが、試験的とはいえ、公開はされているはずだ。それであれば、幸一が知らないというのもおかしい。しかもまだ理美が中学生だということは、幸一と理美が最初に出会う何年前になるというのだろうか。

 そう、ここは近未来の世界である。そこに中学二年生の理美がいる。そして、理美の友達の未来もいる。

 理美は、未来から来た女の子だということになるが、タイムマシンのようなものが本当に開発されたというのは、すごいことではないか、空間バスが試験的に行われているのだということは、インフラよりも、空想科学の世界の方が、発達しているということだろうか。

 ただ、タイムマシンの存在は、一部の人間にしか公開されていない。ある意味、極秘事項になっていた。

 それを理美や未来のような中学生の女の子が使えるというのも、未来がどのようなモラルや常識になっているのかを疑いたくなる。一つだけ言えることとしては、

「過去に起こったことが影響して簡単に変わってしまう諸刃の剣だ」

 ということだ。

 だが、普通そんなことを意識させることはない。過去に何かあって未来が変わるのであれば、変わった瞬間から、すべてが一気に変わるということを意味している。

 果たしてそんなことが可能なのだろうか?

 そこで考えられたのが、パラレルワールドという考え方である。

 パラレルワールドというのは、ある一瞬を捉えた時、次の瞬間には、無数の可能性が隠されているということだ。一つの歯車が狂ってしまうと、未来が変わってしまう。そして、変わった世界のその先にも無限の可能性が広がっているということだ。

 科学者の中には、

「科学がどんなに進歩したとしても、タイムマシンを作ることは不可能だ」

 と言っている人もいると聞く。

 その人はきっと、一瞬一瞬のその先に、無限に広がる可能性。ネズミ算的な天文学的数字に、人間の頭で考えるような程度のものが、果たして適用するだろうかと思えば、普通に考えれば不可能である。

「歴史を少しでも変えると、先の歴史が消滅する」

 と一般的に言われているが、本当にそうなるかは別にして、歴史の操作がそれほど大それたことであるという考えである。

 幸一は、本を読んだりして、そのあたりの考えを理解できていたが、理美の世界の人は、幸一の時代の人たちと比べても、空想科学的なことに関しては、さほど興味を持っていないようだった。誰もが毎日をその日暮らしのように過ごしている。それは幸一の時代の人よりもひどいもので、どうしてそんな無関心だったりするのに生活ができているかというと、

「ダミー人間」

 という考え方が、主流になってきたからだ。

 要するに、サイボーグ計画である。

 お手伝いさんはもとより、労働者の人たちは、今やほとんどがサイボーグが行なっている。

 何しろ、疲れを知らない。エネルギーさえ与えておけば、いくらでも働く、そして従順で文句を言うことはない。

 これほど使う方にやりやすいことはない。なぜそんなことが可能になったのかというと、サイボーグを動かすためのエネルギーを実に安価に手に入れることができるような発明が行なわれ、文明が革命的に変わった。

 人の考え方もそこで一気に変化して、幸一の世界とは、完全に常識が違っていたのだ。

 それなのに、理美や未来は、実によく順応していた。それでも、元の時代に戻る時は、自分の記憶を消してから帰らなければいけないというのは、幸一だったら、理解できることだろう。

 実は、幸一も理美が自分の前から姿を消し、理美のことを知っている人が誰もいなかったことに関して、

――理美は未来から来たんじゃないか?

 という思いが頭を過ぎったのも確かだった。

 だが、あまりにも大それたことなので、そこまで考えを突き詰めることができない。突き止めたとしても、それが何になるというのか、理美を戻してくれるのであれば、いくらでも突き詰めるかも知れないが、そんな保証はない。幸一も一人の人間だ。どうしても、頭の中に損得勘定が生まれてきて当然だった。

 幸一は頭のいい方で、想像力が豊かではあったが、いかんせん自分に自信が持てるタイプではなかった。それも、目に見えない力が作用していたからなのかも知れない。

 パラドックスという言葉がある。直訳すれば「逆説」ということになるらしいのだが、理美はこの言葉を「矛盾」の集まりだと思っている。

「親殺しのパラドックス」という言葉を聞いたことがあった。

 タイムマシンに乗って過去に行く。

 そこで、まだ自分が生まれる前の世界に飛び出して、そこで、自分の親を殺してしまったらどうなるか?

 という話であるが、これこそ矛盾の塊である。

 まず、過去に行って親を殺してしまうとどうなるか?

 イコール、自分が生まれてくることはないということだ。

 生まれてこないはずの自分がこの世に存在しなければ、自分がタイムマシンに乗ることも、親を殺すこともないのだ。

 そうなると?

 死ぬはずのない親がそのまま生きているということになるので、そのまま時間が進行すれば、両親は出会って、自分という子供をもうける。

 ここまではいいとして、生まれてきた自分がいずれ、親を殺しにタイムマシンに乗って、過去に行くことになる。

 すると……。

 要するに、親が殺されるかどうかというターニングポイントが、繰り返されることになる。無限ループに突入することになるわけだが、それを解決する発想として考えられるのが、一つは「パラレルワールド」ではないだろうか?

 子供が親を殺しに過去に戻った瞬間。戻る過去が変わってしまっているという考えである。自分の親を殺そうと思い、過去に戻っても、自分が若かりし頃の親に出会うことはないのではないかという考えである。未来を見ていても、時間が重なるごとにたくさんの可能性が広がっている。無限の可能性である。一人の人間には、一つの可能性しか見えていないので、それが一本の線で繋がっていることで、

「世界は一つだ」

 と思うのだ。それは至極当然のことであり、前を向いている以上、それが一番いい姿勢だとされていた。

 しかし、過去を振り返ることは、後ろ向きな考えだということで、あまりいいイメージがない。

 慣習としてもそうであろう。

 だが、逆に言えば、過去を振り返ることをタブーだという考えが、昔から芽生えていたとしたら、これは、過去の人間たちにも「パラレルワールド」という考え方が存在し、無意識なのだろうが。

「過去は振り返ってはいけない」

 と人間の習性として思い知らされているのかも知れない。

 なぜなら、未来に対して、現在のこの一点から、放射状に無数に世界が広がっているのだとすれば、逆もありえることになる。

 現在というのは、いくつもの無限の可能性の中の一点でしかないとすれば、現在から見ると過去に対しても無数に広がるパラレルワールドが広がっていたのではないかと思えるのだ。

 未来に対してパラレルワールドを感じている人は結構いるかも知れない。

「こんなこと話題にすると笑われる」

 という発想がある。

 人には言わないだけで、考えている人は多いと、理美は思っていた。

 しかし、過去に対してはパラレルワールドの発想が脆弱だ。それはなぜかというと、過去と未来の違いを考えてみれば分かることだ。

 未来というものは、これから起こることである、何がどう繋がっていくか分かる人は誰もいない。たとえタイムマシンを使ったとしても、世界全体どころか、たった一人のことでも把握は難しいだろう。同じ時間を逃さず張り付いていないといけないからで、一瞬でも目を逸らすと、目の前にいるのは、違う世界の相手かも知れないからだ。

 その点、過去は違う。

 ある程度分かっていることが多い。特に家族のことなどは、親も子供も忘れられない記憶として頭にこびりついているものだからである。

 理美も、過去のことを分かっているつもりである。ただ、それはパラレルワールドをまったく意識しない「一つの線上」にあることだ。

 それはそれでいい。いや、そうでなくてはいけないのだ。もし、「一つの線」に疑問を持たないことが、矛盾のない滑らかな時の歩みであるならば、少しでも疑問を持てば、そこからは、無限な疑問とループが待っている。そのことを、理美は次第に分かるようになってきた。

――過去に戻って、自分の親を殺す――

 もちろん「欧亜殺しのパラドックス」という発想は、

――「パラドックス」とはどういうことなのか?

 ということを説明するための、一つの「題材:なのだ。

 つまりは、細かいところを突き詰めると、必ず矛盾はある。

 元々矛盾だらけのパラドックスを解明しようとするのだから、最初から正当性を求める方が間違いというものある。

 過去に戻って、親を殺すというが、いつの時代に戻ればいいというのだろうか?

 自分が生まれる前かどうかは、自分の生まれた年月日を考えれば分からないことはない。

 一番問題なのは、

「何年の何時何分にどこに戻れば自分の親がいるか」

 ということである。

 見てきたわけでもないのに、しかも、本人にだって、そんな大昔の記憶があるわけではない。その時点で、親を殺しに行くなど不可能に近いことなのだ。

 タイムマシン自体にも、かなりの疑問がある。

 過去に戻るということだが、ドラマや映画などでは、デジタル時計を少し模倣したようなものを、まるで目覚ましのように使って時間を設定し。レバーか何かを押せば、タイムスリップできることになっている。そんな安易な装置でできるのかというのも冷静に考えれば、不思議なものだ。

 ドラマや映画を作っている人も、そんなおかしな感覚を持っているのかも知れない。

「こんなバカげた装置、誰が作るんだ」

 と思いながら、作品を製作しているのかも知れない。

 ドラマや映画の中でのタイムマシンは、ただの装置でしかなく、ストーリー展開上のただのエキストラでしかないのだ。イメージさえ浮かべればそれでいい。理美もそのことに言及するつもりはないし、言及したところで、意味はないと思っていた。

 ここで、パラドックスの中にもう一つの考え方として、「デジャブ現象」も関わってくる。

「デジャブ現象」については、ある程度の理解がなされてきて、解明されつつあるようだが、理美の考え方としては、帳尻合わせの考えだった。

 時間の流れは、どうしても無数の矛盾を孕んでいる。それを考え始めた時、頭の中を正常に戻そうとして働く作用が、「デジャブ現象」ではないかと思っていたのだ。

 パラドックスに対するデジャブは、その逆説を意識させないための一種の「副作用」のようなものではないだろうか。

 意識しているとすれば、それは薬と呼ぶことができるだろうが、無意識であれば、それは元々の矛盾に対しての「副作用」

 そう思うことが、「デジャブ現象」を理解する一番の考えではないだろうか。

 過去に戻って親を殺すことは不可能だということは、「親殺しのパラドックス」を考案した人には百も承知のことだろう。これも映画製作における、タイムマシンの発想と同じで、分かりやすいようにたとえているだけである。

 そういう意味でいけば、時間に対する「パラドックス」、「パラレルワールド」、「デジャブ現象」などの考え方には、何か喩えとなる発想がなければ説明できないということになる。「パラドックス」が矛盾の塊であるという発想になるのではないからだろうか?

 パラドックスやパラレルワールドという発想は、今に始まったことではない。むしろ、後の方が、今よりもっと高度な発想を持っていたのかも知れないと思っていた。

 誰もが夢のような発想だとして、興味を持っているのは認めるが、開発ともなると、それに伴う予算が果たして捻出できるかということである。

 あまりにも夢のような話であり、現実化を考えると、可能性がどれほどのものかを考えると、そんなものに金を出すものもいないだろう。

 国家予算にしても、科学技術の世界に、そこまで金を使えるはずもなく、現実的にありえない。

 そうなると、発想が実現化されることもなく、発想として、個人の頭の中に存在しているだけか、形に残っていたとしても、それは私物のノートとして残っているだけだろう。

 エジソンやアインシュタインなどのような偉人たちであればともかく、一介の科学者気取りの人間の私物など、本人がいなくなれば、すぐに葬られる運命であった。

 それを思うと、理美は、

――今自分が考えていることなど、過去のたくさんの人が考えてきたことなんだろうな――

 と、思うようになっていた。

 そして、

――過去というのもまんざらでもない――

 と思うようになったのは、その時が最初だったのだ。

 そう、理美は近未来の世界で、過去に思いを寄せる、一人の女の子だったのだ。

 理美が、どういうきっかけでタイムマシンを持つことになり、そして、タイムマシンの使い方も熟知できるようになったのかというのも、実は興味部会ところであった。

 理美の世界でも、実は、まだタイムマシンの研究は水面下では密かに行われていた。それは、幸一の世界でも同じで、さらに過去に遡っても同じことだった。つまりは、

「タイムマシンの研究は、パラドックスを中心に考えられるデジャブなどの副作用を含めたところでの考えが、ある程度解決しないと先に進まない」

 ということが、その時代時代の科学者の間での暗黙の了解になっていたのだ。

 理美がまだ中学生だった頃、学校からの帰り道、一人の男性が蹲っているのが見えた。近未来と言っても、幸一の時代から比べて、さほど科学が進歩しているわけではなかった。街並みや流行はかなり変わっているが、それは、今までの歴史の流れを考えれば。ただその延長だったというだけに過ぎないだろう。

 そのわりに人の考え方は複雑になる社会状況に反比例するかのように、どんどん単純になっていくようだった。それは、成長する日本が、昭和から平成に掛けての時代を超えてきた時と、実によく似ている。

 理美が見つけたその男性。年は二十歳前後だっただろうか。非常に疲れているようで、外傷もないのに、まるで虫の息のように感じる。

 息切れしているが、消え入りそうな声だった。理美は、とりあえず家に連れて帰った。ちょうどその時、家には両親はおらず、兄弟もいない理美は、その日、家には一人だったのだ。

 理美は、小学生の頃を思い出していた。

 まだ二年生くらいの頃だっただろうか。捨て猫がいるのを見かけて、家に連れて帰ってきた。母親に、

「この子捨てられていたの。可哀そうでしょう? 飼ってあげましょうよ」

 と言った。

 理美とすれば、

――私は、こんなに優しい娘なんだよ――

 ということを、無意識にアピールしていた。

 そんなことは母親には分からないだろうが、きっと母親も、

「可哀そうね」

 と言って、飼うことを承諾してくれると思った。

 しかし、実際には、

「捨ててらっしゃい」

 と、言われ、

「えっ」

 そう言われてショックを受けた理美は。そこから先は何も言い返せなくなった。急に母親が鬼に見えてきたのも事実で、そんな親に逆らうことのできない自分を情けなくも思えた。

 結局猫を捨てに行くことになったのだが、猫を捨てに行く時の情けなさを、今でも忘れることができなかった。

 それはまるで自分が捨てられたような心境である。

――どうして? 私の何が悪いっていうの?

 母親にはきっと理美が最初に考えた気持ちが分かったのだろう。猫を拾ってきたのも、ただの同情と、自己満足を満たすため……。

 今では、何となく分かってきたが、小学二年生の女の子に分かるはずもない。もちろん、親を憎んだし、そんな親のいうことに逆らえない自分が情けなく思うだけだった。

――親と言っても、他人なんじゃないかしら?

 と思うようになっていた。

 そのうちに、

――この人たちは、本当に私の親なのかしら?

 と思うようになったが、まだその時は、この時代の「ダミー人間」に対しての研究が極秘裏に進められていて、実験が密かに行われていたことを知る由もなかったのだ。

 理美が「拾ってきた」行き倒れになった人は、極度に憔悴していたが、食事を与えて、風呂に入らせると、かなり回復したようだった。

「お兄さんは、どこから来たんですか?」

 理美は、声を掛けてみた。

「俺は未来から来たんだ」

「えっ」

 理美の声のトーンが急に下がった。明らかに相手に対して怯えを感じさせるもので、理美にとって、未来という言葉を他人から聞いた初めての言葉だったような気がした。

 ひょっとしたら、今までにも未来という言葉を聞いたことがあったかも知れないが、言葉の重さが違っていた。言葉の重さが違っていることで、意味まで違って感じられることもあるのだということを感じたのも、その時が最初だった。

 理美は、言葉を失ったが、頭の中で、

「未来」

 という言葉を反復していた。

「未来というのは、一体いつの?」

 頭が混乱しているからしてしまった質問だが、これほど滑稽で陳腐な質問もなかった。なぜなら、理美の質問は、

「知らない世界の、どこからきたの?」

 と聞いたのと同じである。

 アメリカにも行ったこともなく、、アメリカという国の名前は知っているが、どこにあるところなのか、ましてや、地名などまったく知らない程度の知識の人間が、

「アメリカのどこから?」

 と、聞いたのと同じことである。

 男は、当然分かっているはずである。

 ただ、相手は未来からの人間なのだ。発想が同じかどうか分からない。

 特に未来から過去を見るのだ。知らないという発想が少々欠如しているかも知れないからだ。

 いや、逆なのかも知れない。

――過去の人間は、未来のことを知るはずもない――

 という発想は当然の理論だが、その発想が、果たして過去の人間を目の前にした時、一体どちらが、強く作用するかということは、理美には分からない。

 当時の理美は、空想科学にちょうど興味を持っていた。タイムマシンに対しての考え方や、パラドックスについての、過去に書かれた本を熱心に読んだ。その結果感じるようになったのは、

――今の発想より、過去の人の書いた本の方がリアリティがあるわ――

 というものだった。

「なかなか、理美ちゃんは面白いことを言うね」

 お兄さんが苦笑いをしたことで、自分がいかに愚かな質問をしたのか、やっと気が付いた。

「あっ、ごめんなさい。そうですよね、聞いても説明なんかできませんよね」

 と今度は理美が苦笑いだ。

 しかし、今度はお兄さんの方が、

「いや、それは当然の質問だよ。どんなに普段落ち着いている人でも、いきなりこの時代の人が僕を見たら、皆リアクションなんて、似たり寄ったりさ」

 理美はそれを聞いて、ホッと胸を撫で下ろした。

「本当に、理美ちゃんは正直な子だ」

 と、お兄さんは言葉を付け加えたが、その時、理美はハッとした。

「えっ、お兄さん、私のことを知っているんですか?」

「ああ、そうだよ。理美ちゃんに会いに来たんだからね」

 そう言って、お兄さんは微笑んだ。

 この時、理美の中では、頭の回転が元に戻っていて、短い時間で驚異的な発想が頭を巡っていた。

「でも、どうして、この時代のここに私がいるって分かったんですか?」

 と答えると、お兄さんは口を細めて、少しビックリしたような表情になった。

「理美ちゃんが賢い女の子だということは知っていたつもりだったけど、ここまですごいとは、さすがにちょっと驚いたよ」

 理美は、そう言われて、

「自分のどこがですか?」

 と、相手が自分のどこに感じるものがあったのか分からなかった。

「さすがにすごいけど、やっぱりまだ中学生だね」

 持ちあげてみたり、落としてみたりで、掴みどころのないお兄さんに、

「意地悪なこと言うんですね」

 というと、

「ああ、ごめんね。あんまりすごいので僕も驚いた。理美ちゃんがさっき言ったでしょう? 過去に戻る時、どこのどの時間に戻ればその人がいるかっていう発想は、そのまま流せば実に当然のことなんだけど、でも、その発想に繋がるまでというのは、なかなか言いつかないものなんだ。もっと言えば、行きつかない人だって少なくはないんだよ」

 とお兄さんは、理美の目を見つめながら話した。理美はその目にいつの間にか引き付けられていくことを感じていたのだ。

「確かにそうですね。それに、もし私に会えたとして、お兄さんが何かを伝えたくてここに来たのだとすれば、それを理解できるくらいまでに成長している私ではないと意味がないですものね」

「やっと分かってきたね。そういうことなのさ。理美ちゃん本人に会うだけではなく、『どの時代』の理美ちゃんに会わなければいけないかということが、一番重要になってくるんだよ」

 お兄さんの分かりやすい説明と、理美の生まれ持った頭の回転、さらに相手の気持ちを読み取るだけの力も持ちあわせていないと、これだけの話をいきなりされて、信じろという方が難しいに決まっている。

「タイムマシンというのは、本当にデリケートな発明なんですね」

「その通りさ。一歩間違えれば、開けてはいけない『パンドラの匣』を開けてしまったのと同じことだからね」

「もしですね。うまく回っている今の世界や、多次元に存在するのかも知れないパラレルワールドのどれかに矛盾が生じたら、どうなっちゃうんでしょうね?」

「我々の時代の学者は、通説として大きく分けて、二つの考え方が主流になっているんだ。一つは、矛盾が発生した瞬間、矛盾を引き戻そうとする『マイナスエネルギー』が作用することで、『ビックバン』が起こり、世界、いや存在しているものすべてが一瞬にして消え去ってしまうという発想。形としては、ブラックホールが発生し、飲み込まれるというイメージだね」

「その発想は、多分この時代では一番考えられていることだと思います。私もいろいろな本でその話を読んだことがあります。半分は信じていると言っても、その程度でイメージが湧くわけもなく、ただ、信じているというだけですね」

 理美の話が終わると、それについての感想を言うわけでもなく、お兄さんは、同じ口調で淡々と二つ目を語り始めた。

「二つ目というのは、次元の違う同じ時間の世界が、『次元の壁』とでもいうのか、見えない壁があるおかげで、混乱しなくてよかったんだが、もし世界に矛盾が生じると、それぞれの次元の間の壁が、これも一瞬にして消えてしまうだろうということなんだ」

「それって、恐ろしいことなんですか?」

 話を聞いただけでは、どこまでが本当に恐ろしいことなのか分からない。いくら頭がいいと言っても、まだ中学生の女の子、いきなりこんな話をされて、それをすべて理解しろなどということは、まず不可能であろう」

 それでも、理美の頭はフル回転していた。

「こうなった時には、こうなって……」

 指を無意識に動かしながら、必死で頭の中の理論を組み立てようとしている。それを見ながら、お兄さんは何も言わずに、ただ見つめているだけだった。

 理美は、しばらく理論を組み立てていた。

 だが、そう簡単に組み立てられるものではない。

 理美は最初から分かっていた。この理屈が「組み立てる」という考えだけでは絶対に想像できることではないということを……。組み立てる前に、一度、すべてをぶち壊し、そして再度組み立てる。さらに、組み立てながら、詰め将棋のように、数手先まで読んでおかなければいけない。本当は一番理解できるはずのタイミングは、一度すべてをぶち壊して、頭の中が「無」の状態になった時、それ以外の時に思い浮かべても、すでに遅いのである。

 ブラックホールも、「無」の精神状態も、一人の人間にどうにかできるものではない。かといって、人が集まればどうにかなるというものでもない。そのことは、提案者であるお兄さんはもちろんのこと、理美にも分かっているに違いない。

「お兄さん。お兄さんの世界って、そんなに科学が発達しているんですか?」

「それは君たちの時代から見ればそうかも知れないが、ゆっくりと進んでくる時代の延長上でしかないんだ。ただ、タイムマシンの発明だけは、ある瞬間のターニングポイントがあったに違いない。発明というのは、ただ想像していたものが可能になるものが出来上がったというだけではないんだよね」

「それは一体、どういうことなんですか?」

「危険を孕んでいる発明というのは、それだけでは、いつ暴走するか分からないものが多かったりする。そのために、必ず暴走を止める『副作用』的な発明も一緒に出なければ、せっかく素晴らしい発明であっても、悪魔がもたらした『兵器』でしかないんだ」

 お兄さんの口から聞かれた「副作用」という言葉、理美の頭の中に思い切りこびりついた。

――「副作用」という言葉、これから私はいったい何度口にするすることになるのだろう?

 と、理美は感じたのだった。

――だが、一体このお兄さんはなぜ、私のところに現れたのだろう?

 そこから派生していろいろな疑問が出てくるのだが、先に派生する方のことが気になって、肝心かなめの疑問が後回しになった。

 もっとも、この疑問が一番厄介である。だが、避けて通るわけにはいかない。

「あなたは、どうして私のところに来たんですか?」

「それはね。僕が理美ちゃんの子孫に当たるからなんだ」

「子孫?」

「そうだよ。ちょうどひ孫にあたるんだ。だから僕のことは理美ちゃんは知らない」

 理美は、ビックリしたが、思わず笑いがこみ上げたのも事実だった。それを見たお兄さんは、

「どうしたんだい?」

 お兄さんも笑っている。お兄さんにも理美の笑いの意味が分かったに違いない。

「だって、ひ孫から、『理美ちゃん』なんて言われたら、くすぐったいじゃないですか。しかも、将来会えるはずもない人と、会えているということ自体おかしな気分なのに、やっぱり笑うしかないって感じですよね」

「でも、理美ちゃんは怖くないかい? 急に知らない男性が目の前に現れて、いきなり、『私はあなたのひ孫です』なんて言われるんだよ。もし僕が理美ちゃんの立場だったら、頭の中がパニックで、どうしていいのか分からなくなりますよ」

「そうかも知れないわね。そういう意味ではあなたのおかげだと思っていいかも知れないわね」

「どういうことなんですか?」

「あなたがさっき言ったように私がもし頭がいいというように、私は、さっきのパラドックスのお話とか好きだから、すぐに、いろいろな発想が思い浮かぶ。そんな話をあなたが最初にしてくれたから、私は戸惑いながらもあなたのお話を受け入れられたような気がするんですよ」

「やっぱり、理美ちゃんは、聡明な人だ。これでも僕は先祖のことをいろいろ調べてきたつもりなんです。もちろん、先祖のそれ以降の未来についてあまり言及してはいけないということは分かっていますので、必要以上のことは言いません。理美ちゃんなら分かってくれると思うけど……」

「それはもちろん、心得ているわ」

「ありがとう」

 お兄さんは、恐縮していた。

「それにしても、やっぱり『ちゃん付け』はくすぐったいですよ。何とかなりませんか?」

 お兄さんは少し困った表情になった。もっとも、こっちも相手をお兄さんと思っているのだから、どっちもどっちであろう。

「じゃあ、せめて『理美さん』にしましょう。さすがに『ひいおばあちゃん』とは言えませんからね」

「ふふふ、そうしてください」

 彼は笑顔がよく似合った。

 理美は今さらながら肝心なことを聞いていないことに気が付いた。

「ところで、あなた、お名前は?」

 お兄さんは、ふと気が付いたかのように目を見開いたが、すぐに目を細めて、ニッコリと笑った。

「そうですね。言ってなかったですね。僕は相変わらず、あわてんぼうだ。僕の名前は『コージー』と言います」

 理美は、訝し気な表情になった。

「コージーですか? カタカナで?」

「ええ、そうですよ。私たちの時代には、名前のカタカナ表記が主流になってるんですよ。却って漢字表記だと、時代錯誤と言われています」

 確かに理美の時代にも、カタカナ、ひらがな表記の名前の人はいるにはいるが、それほどたくさんはいない。それだけに見つけると新鮮で、印象深かったりするのだが、ひ孫の時代では、却って漢字表記が浮いた存在になるなど、おかしな気分だった。

「じゃあ、私はあなたを何て呼べばいいですか? まだこの時代だから『コージー』はまずいでしょう」

「じゃあ、『こうじ』にしませんか? 漢字は適当にあてがっていただければいいと思います」

じゃあ、『晃司』にしましょう。これなら、違和感ありませんからね」

 と言って、メモにボールペンで字を書いた。

「いいですね。これで行きましょう。実は僕は学校で近世の歴史が好きだったので、ちょうど、漢字表記の名前に憧れていたんですよ」

「そうなの。この時代の勉強をしているのね」

 何とも言えない気分になった。

 目の前にいる青年は、これから未来に何が起こるか分かっているのだ。ただ一つだけハッキリと言えることがあった。

 それは、理美が誰かと結婚して、子供を設け、その子供がさらに子供を産み、さらにその子供が今目の前にいる青年ということになるのだ。これは決められた定めであった。

 理美の気持ちとしては、晃司から未来のことを聞きたいという気持ちがあったのも事実だ。もちろん、聞いてはいけないという思いがあるのは間違いないが、目の前にそれを知っている人がいるというだけで、もどかしい気分にさせられた。

 ただ、未来のことを聞いていいのかどうか、聞いてしまったからといって、そのことが未来に直接影響を及ぼすというわけではないだろう。空想特撮映画のように、時間取り締まり警察のようなものが存在し、教えてしまった人、教えられた人が時間法違反か何かで逮捕されるという発想も、少し幼稚に感じる。

 だが、聞いてしまうと人間、どうしても意識してしまう。聞かなかったことで起こるはずの事実が起こらなければ、聞かせた人は、

「過去を変えた」

 ということになる。

 そうなれば、どうなるのだろう?

「ビックバン」が発生し、ブラックホールに吸い込まれてしまうのだろうか?

 世の中が今のままで済むということはありえないような気がする。やはり下手なことをしてはいけないのだ。一時の感情が世の中すべてを破壊してしまうなど、大それ過ぎて、ただの発想で済むのだろうか。

 理美は、また自分が余計な脱線をしてしまったことに気が付いた。

「そういえば、晃司さんは、どうして私を、しかもこの時期の私を選んだんですか?」

 と、そう言って、理美はくすぐったい気分に襲われた。

――この時期の私――

 という言葉に自分でドキリとしたのだ。

――もし少しでもずれていたら、今このことを考えている自分は晃司さんと会うことはなかったんだわ――

 と思ったからだ。

 最初に晃司さんを見つけた次の瞬間の自分と、もし晃司さんが出会っていたら、まったく同じことを考えたわけではない。ひょっとすると、まったく正反対の感情を抱かないとも限らない。

 そう思って理美は、晃司の顔をマジマジと見た。

 晃司は理美を見て、屈託のない笑顔を浮かべた。理美はその笑顔を見て。さらにドキッとしたのだった。

――私は、晃司さんに好意を持っている?

 何を言っているのか、晃司というのは自分のひ孫ではないか。確かに自分の血を引き継いでいるとはいえ、どれほど先の人生だというのだろう。人生を全うしても、彼と出会うことはないはずだ。血が繋がっているなどと言われても、実感が湧くわけがないではないか。

――晃司さんは、私のことをどう思っているのだろう? 「理美ちゃん」なんて人懐っこい言い方をしていたけど、おかげで私がおかしな気分になったのかも知れないわ――

 そう思うと、晃司の笑顔が忌々しく感じられた。

――まるで彼の手の平の上で踊らされているようだわ――

 彼はあくまでも冷静で、そのくせ、笑顔が暖かい。理美は晃司のことを考えながら、

――卑怯だわ――

 と、完全に自分の感情の責任転嫁を彼にぶつけていた。

 理美は、その時男性と付き合ったことがなかった。理美に対して告白してくる男性は何人かいたが、すべて断ってきた。理想が高いというわけではないのに、それだけ言い寄ってくる男性のほとんどが、男として大したことのない連中ばかりだったに違いない。 

 そういう意味で、晃司は「いい男」だった。顔がいいとかの問題ではなく、まず笑顔がいい。理美は、晃司のどこが気に入ったのかを彼の話を聞きながら、いろいろと考えていたが、

――安心感を与えられるところだわ――

 と、考えるようになった。

 その思いに至ったのは、彼が自分の名前を「コージー」だと名乗った時だった。思わず意外な名前に目が泳いでいたのを自分でも自覚していた。その時でも、彼の笑顔に変わりはなかった。

――変わらない笑顔――

 そこに理美は安心感の抱いたのだった。

 安心感を抱いたおかげで、それまで聞くに聞けないと思っていた質問をぶつけることができた。そのおかげもあってか、あっという間に二人は打ち解けたではないか。

 ただ、自分のひ孫だと言われても、ピンとくるはずもない。ひょっとして、晃司本人も自分のひいおばあさんだという自覚もないかも知れない。

 晃司は少し考えてから、

「この時代の君だというのは、最初から確定していたんだよ。まず最初の条件が、僕の話を理解してくれないと、話にならないということ。そして、もう一つ、大きな問題があったんだが……」

 とそこまでいうと、少しモジモジし始めた。仕草としては見ていて可愛らしかったが、今までの態度からすれば、少しぎこちなかった。

「ハッキリと言ってください」

 と、さらに突き詰めた。

「実は……」

 理美は。固唾を飲んだ。

「実は、君が処女の時という条件もあったんだよね。もちろん、ここから未来の出来事についてこれ以上のことは言えないんだが、どうしてもデリケートなことなので、本当は言いたくはなかったんだけどね」

 顔が真っ赤になっていくことに気付いていた。思わず耳たぶを触った。耳にまで脈を打っているのを感じたからだ。だが、耳たぶは相変わらず冷たい。ここまで熱くなっている感じは、一体どこに行ってしまったのだろう?

 理美が顔を真っ赤にしたのは、処女であることを知られてしまった恥かしさと、何が目的なのか分からないが、

――そんなことまで調べないといけないんだ――

 と、ひょっとすると、過去だけではなく、未来に起こるであろう、もっと恥かしいことまですべて知られているのではないかと思うと、たまらない気分になった。自分の一生すべてを知られているのと同じだからである。

 それにしても、処女でなければいけないとはどういうことなのだろう?

――肉体的な処女? それとも、精神的な処女のどちらなのかしら?

 普通であれば、肉体的な処女だと思いがちだが、時間を超越してのことになるので、果たして肉体だけという単純な発想だけでいいのだろうか?

「どうして、処女なんですか?」

「男性を知っていると、人を見る目に狂いが生じることになるんだよ」

「それはどういうことなんですか?」

「実は君に、僕はタイムマシンを一台持ってきた。それを使って、君にはさらに過去に行ってもらいたい」

「えっ?」

「本当は君には荷が重いかも知れないけど、君にしかできない。そして処女の方がいいのには、もう一つ理由がある。それは、タイムマシンを使うと、体力が消耗するんだ。処女の方が、タイムマシンに耐えられる力がある」

 理美はしばし考えていた。

――中学二年生の自分に何ができるというのだろう?

 晃司は少し困ったような表情になった。

「君が、今できなくても、機会はこれからいくらでもある。だから、深刻に考える必要はないんだ」

「一体私はいつの誰に会いに行けばいいんですか?」

「君のお父さんに会いに行ってもらいたいんだ。君のお父さんとお母さんが、結婚して君が生まれることになるのだが、それを阻止しようとする存在があるんだ。もしそんなことになれば君は生まれてこないし、僕もここにいないし、この世界もどうなるか分からない」

「あなたは、その阻止しようとしている存在が誰なのか、ご存じなんですか?」

「ああ、知っているよ。だけど、僕がそれを君に教えることはできないんだ。もし教えてしまうと、過去から来た人間が直接介在したことになる。でも、そういう動きがあることくらいを教えるところまではギリギリの範囲内になる」

「じゃあ、私は、まずその存在から探らないといけないということなのね? でも、どうして私なんですか? あなたじゃダメなの?」

「僕でいいなら、やってるさ。でも、ここは君にしかできないことなんだ。画策しているのが、君の時代の人間だからね。僕がそこに介在すると、過去を未来の人が変えたことになる」

「でも、私が過去に戻って、画策している計画を阻止することは?」

「それは、正しい歴史を変えられないようにするための正当な行為なので問題ない。しかし、それでも時間に関しての制約は付き纏うので、なかなか難しいところがあるんだ」

「私が過去に関わることで、過去を変えてしまうことにならないかしら?」

「それも考えられる。だが、それは君たちの時代のいわゆる『常識』を正当化しているからそうとしか考えられないのさ。さっきも言ったように、時間の流れに伴って、『パラレルワールド』が広がっている。しかも、無限にね」

「それはお聞きしました」

「では、その中のどこを手繰れば過去に行けるかを検索するのも、それだけで結構大変な作業なんだよ。タイムマシンが実際に設計されたとしても、それを実用に持っていくには、過去や未来への『パラレルワールド』を示唆しないと、本当の過去や未来へ行くことができず、一歩間違えば、サルガッソーに落ち込んでしまう」

「サルガッソーというのは?」

「いわゆる『宇宙の墓場』と言われるもので、小規模なブラックホールのようなものが存在し、形あるものをすべてその吸引力で撮りこんでしまうと、取りこまれたものは、動くことすらできず、そのまま朽ちていくのを待つしかないんだ。そのサルガッソーというのは、宇宙にだけ創造されたものではなく、時間の流れにもあるんだよ。だから、タイムトラベルの危険性は歴史を変えてしまうだけではなく、自分自身にだけ襲ってくる恐怖も別に存在するということだ」

「そんなに脅かさないでくださいよ」

「ただ、それは、すべて『パラレルワールド』を意識していないから、落ち込んでしまう幻なんだ。実際にはサルガッソーというものは存在しない。それをあたかも存在するかのように演出しているのは、夢なんだ。だから、実際にサルガッソーに落ち込んでしまったと考えられることは、すべて、夢によって成される業だということになる。だから、君はサルガッソーの存在だけを知っていればいいんだ。それを必要以上に意識することはない」

「でも、それって一度意識してしまうと、必要以上に思うなと言われても難しいと思うんですけど」

「いや、大丈夫。君は意識することはない。実際にタイムトラベルを始めると、意識できることは限られてくる。サルガッソーについて記憶としては残っても、意識として表に出てくることはない」

「それならいいのですが」

「ただ、君が着地するところは、本当の過去ではないんだ。時間の流れを考える時に君はまず最初に『パラレルワールド』のことを考えるだろうが、タイムマシンでタイムトラベルをする時、『パラレルワールド』を意識することはない。タイムマシンでの移動中は、軽いこん睡状態に入る。気が付けばその場所に着いているというわけで、その時の頭の中には、『一つしかない過去を遡った』という意識しかないと思う」

「それはあなたも同じなんですか?」

「僕も同じだよ。でも、僕はそれだとタイムトラベルをした理由がなくなってしまう。だからタイムトラベルの前に一旦、意識を格納した媒体を作って、タイムトラベルで一緒に持っていき、そして、そこで自分の意識を再度よみがえらせるようにしているんだ」

「じゃあ、今のあなたは、未来の世界の意識に戻っているというわけ?」

「いや、まだ戻っているわけではない。そこにある装置をつかわないと、元の意識を持てないのだが、どうやら、それを使わなくても、十分意識は残っているような気がする」

「ところでさっき言っていた。過去を変えない話はどうなったんですか?」

「要するに、結論から言うと、君は正当な過去に戻る必要はないんだよ。広がったパラレルワールドの中で、一番今から見た正当な過去に一番近いパラレルワールドを選んでそこに行くことになるのさ」

「でも、それを選ぶことはできるんですか?」

「私の作ったタイムマシンは。パラレルワールドをきちんとナビできるように設計してある。その瞬間から次の瞬間に無数に世界が広がっていると思うから、なかなか一つを見つけるのは難しいんだけど、逆に正当な過去さえ見つかれば、一番近い世界を探すのは簡単さ。何しろ、実際に形が見えているわけだからね」

 その話を聞いているうちに、理美は頭が混乱してきた。

 要するに結論から言えば、

――今いる自分のこの世界。そして、晃司がやってきたという未来の世界。どちらも正当な過去であり、未来だということなのだろうか? ただ、それは一点を見た世界が正当な世界だと思いこんでいるから、そのラインにあたる世界だけが正当な世界のように思われているが、元々の世界を本当に正当な世界だと言いきることができるのだろうか?

 理美はその疑問によって、頭が混乱しているのだった。

 晃司は言う。

「今すぐ君に、過去に行ってくれとは言わない。君がゆっくりと考える時間を与えてあげようと思う。そして、君が実際に考え始める前であれば、私はいくらでも君の前に現れる」

 そう言って、晃司は理美に携帯電話のようなものを渡した。

「これは、時間を飛び越えて話ができる機械で、あなたたちの時代の携帯電話のようなものです。私に話がしたかったら、これを使って私に連絡をすればいい」

「でも、あなたが、ここにわざわざ来たっていうことは、急いでいるんじゃないの? 私の考えを待っている暇はあるの?」

 というと、晃司はしばし苦笑いを浮かべ、

「それはまだ君が自分の常識に取られている証拠ですね。それは無理もないことだと思います。でもね、考えてもごらんなさい。あなたはタイムマシンを所持しているんですよ。どの時代からだって、目的の時間に行くことはできる。つまりは、出発点の座標は関係ないんですよ、到達点の座標さえ間違えなければね。そのためには到達点の座標をしっかりと理解し、自分の意識をその時点に持っていくことが大切なんです。だから、あなたがしっかり理解できるように、私たちも協力する。これもさっき話したように、間違った時代を正すという考えで臨めば解決できる。そしてもう一つ言っておくけど、ここでモラルなんて考えてはダメ、相手の思うつぼに嵌ってしまう。あなたが考えることはただ一つ『自分は間違っていない』というしっかりとした信念を持つことです」

 晃司の話を聞いていると、次第に頭がスッキリしていくのを感じた。考えはしっかりしているけど、どこか信用できないところがある。それが頭のモヤモヤに繋がっていた。

「あなたが感じているのは、私への不信感だと思いますけど、それも自然に解けていきます。今は信じられないだけなんですよ。でも、今信じられないというのも事実。大きな問題には違いない。だから私もこれ以上しつこく言うつもりはないですので、あなたからの質問を待とうと思っています」

「未来から来たということは、この画策がもし成功すれば、未来のあなたたちは困るといことですよね? そして、困る人がいれば得をする人がいる。それがつまり画策をもくろんでいる人がいるということなんでしょうね」

「そうです。そのことに最初に気が付いたのは、私たちの時代の人間で、彼らはその時代で迫害された人生を生きています。それも時代の流れなのだから仕方がないとですね。でも彼らも気づいたんですよ。歴史を変えることをね。それでタイムマシンを作り、元々の間違った道にいつ迷い込んだかということを探り始めて、そして辿り着いたのが、これから君に行ってもらおうと思っている世界なんだ。そして僕たちが手出しできないのは、未来の人間が、過去の人間が、さらに過去に遡って何かをしようとしているのを妨げることはできないということだ。つまりは、君に任せるしかないんだ」

 同じような話を何度も聞かされることになったが、理美は何とか理解できているように思えた。

――きっと今の私は、髪の毛が逆立って、目はカッと見開いているのかも知れないわ――

 と思ったが、

――でも、この人の話を理解できるようになると、これ以上ないというほどの涼しい顔になるんじゃないかしら?

 と感じた。

 理美は、歴史のことを勉強するのは好きだったが、自分の過去にはまったく興味がなかった。

「ねえ、少しくらい未来のことを知るのって、まったくいけないことなの?」

 理美は何を思ったか、晃司に未来について聞いてみた。

「絶対というわけではない。しかし、この場合は知ってはいけない。変に先入観を持ってしまうと、頭が混乱するだけだからね」

 まさに正論だった。確かに下手な情報であれば、ない方がいい。下手にあると、本当に何かを判断しなければいけない時の妨げになるからだ。しかも、何かを判断しなければいけない時は、のんびりと構えているわけにはいかない。そう思って晃司の顔を見ると、

――その通りだ――

 と言わんばかりに、ニッコリと微笑んで、何とも言えない優しそうな顔になった。

――お父さんに似ている――

 と思った。それは、年齢というよりも、

――自分の先のことを誰よりもよく知っている人だ――

 という認識があるからなのかも知れない。

 理美は父親をほとんど知らないはずなのに、どうしてそう思ったのだろう?

――血の繋がりを考えたから?

 いや、理美は血の繋がりをあまり意識していない。それは血の繋がりという言葉を毛嫌いしているからだ。

 理美の時代は、幸一の時代、そして晃司の時代と比較しても、一番「血の繋がり」ということに対して意識がない時代だった。だからこそ、「ダミー人間」などという発想が生まれた。

「ダミー人間」という言葉は、「ロボット」、「サイボーグ」などという言葉を使うと、冷たく感じるからやめておこうという発想から生まれたものらしいが、それは裏を返せばそれだけ、

「血の繋がりを意識していない」

 ということを、隠したいからだとも言えるのではないだろうか。

 普通に幸せに暮らしている人から見れば、そんなことは分からない。もし分かっていたとしても、

「それはそれでいいことだ」

 と、納得するだろう。

 しかし、少しでも人生に疑問を持っていたり、血の繋がりという言葉に違和感を感じている人がいる。

 理美はそのことを分かっていた。血の繋がりに違和感どころか、嫌悪感すら感じているのだから当然のことだろう。

 理美の時代の学校では道徳の時間が異常に多い。道徳や倫理、同和問題などであるが、その理由として言われているのが、

「過去の負の遺産」

 という言葉だった。

「過去の時代に解決できずに積み残された負の遺産、つまり借金が、我々の時代にまで影響している。これは国家予算同様、過去に解決できなかったことをこの時代に積み残したからに他ならない。国家予算はともかくとして、道徳の問題はこの時代で終止符を打ち、未来に続く、子供や孫の時代にまで影響を及ぼすことは断じてしてはいけないのだ」

 という偉い政治家の先生の講義が、世の中いろいろなところで行われている。

 理美は、それこそ「偽善」だと思っていた。

――何言っているのかしら? 自分の名前を後世に、悪徳政治家として残したくないだけじゃない。何を言ったって、私には「プロパガンダ」にしか聞こえないわ――

 と、個人の都合をこの時代の歴史に残そうなどという一種カルトな集団こそが、今の世の中の政治家でしかないと思っているのだ。

 最初からそんな冷めた考えしか持っていない理美にとって、道徳の時間は苦痛でしかなかった。だが、最近は、道徳の時間こそ、悪のプロパガンダだと思うようになってくると、プロパガンダがどのように演出されているかということを考えるようになり、却って面白くなってきた。

――しょせん、道徳の時間など、フィクションの世界を勝手に作り上げているだけなんだわ――

 と思うようになると、自分も架空の世界に興味を持ち始めた。

――現実こそが架空。もしあの世に地獄があるとすれば、現実の世界にも地獄はある。要するに、どこを持って地獄や天国と思うかということであり、人それぞれによって天国と地獄は違うんだわ。だから、この世とあの世の天国と地獄の一番の違いは、人と共有できるかできないかということだわ――

 と、思うようになった。

 つまり、人それぞれで境界線が違うのだから、この世での天国と地獄は、その本人以外の何物でもない。それこそ、

――世界にひとつしかないもの――

 なのである。

 もう一つ言えることは、この世に天国と地獄があることを承服できなかったり、存在を意識できない人がいるというのは、

――人とは共有できない世界がある――

 ということを認めたくない意識が働いているからなのに違いない。

 理美がそんな考えでいることを知っている人は誰もいない。未来からやってきた晃司にも分からないし、過去にいる幸一にも分からないだろう。もし、気持ちがある程度通じ合ったとしても、生きている時代が違うのだ。分かるはずもないのは当たり前のことである。

 だが、理美の気持ちを分かりかけている人もいるようだ。

 理美の時代はプロパガンダが横行しているが、プロパガンダが強ければ強いほど、そこへの反発が生まれるのは宿命のようなものだろう。

 理美の考え方が、反発から生まれたものなのかどうか分からないが、明らかに反発から生まれたと思える人もたくさんいる。

 理美は、そんな人を密かに捜し求めていた。それは傷を舐め合うためではなく、何か自分の中で確認したいことがあるというのも事実だった。だが、それ以外にも理由が存在していたが、今の段階では、自分で理解できるところまでは行っていなかった。

 そこで知り合ったのが、未来だった。

 未来は、理美と同じように、子供の頃から、

「親という名のダミー人間」

 に育てられてきた。

「これなら、数世代前のハウスキーパーに育てられた方がマシだわ」

 と言っていた。

「どうして?」

「だって、ダミー人間は親としての教育をプログラムされているのよ。親でもないくせに親のような顔をされるなんて私は許せないわ」

 未来の考えを聞いて、

――この人となら、天国も地獄も共有できるって思えるかも知れないわ――

 と感じた。

 理美もさすがに、本当に共有できないということは分かっているつもりだが、少しでもそう思える人が現れると、今までに感じたことのない本当の「親友」ができたような気がして嬉しかった。

「親友って、親よりも友って書くじゃない。本当のことなのよね」

 親友という言葉の意味を穿き違えているような気がしていたが、そんなことはどうでもよかった。

 未来という女の子は、言葉の意味を穿き違えていることが時々あったが、それでも強引に自分の考えとして取りこんでしまうところがあった。それは理美には頼もしく見えて、今まで一人で燻っていた思いを、未来が解放してくれそうに思えた。

 理美は、未来から来た自分のひ孫に当たる男の話をした。

「俄かには信じられないけど、理美がいうと本当のことのように思えてくるから不思議よね」

 信じているのかいないのか、きっと信じてはいないのだろうが、それでも、話を信じるのではなく、理美自身を信じてくれると言ってくれたことは、何よりも嬉しいことだった。理美が今まで知らなかったことや、一人で堂々巡りの考えを繰り返してきたことを、一気に開放してくれるのが未来だとすれば、未来の中にある堂々巡りの考えを解放できるのも、理美以外には考えられないだろう。

「私は自分の中に結界があるのを感じていたの。理美には同じようなものを感じたことがなかった?」

「そうね。人と決して交わることのないものをいつも感じていたわ。それが平行線であれば分かる気がするんだけど、そうじゃないのよ。今までに接点があったとは思えないし、これからも交わることは絶対にないと思っている。これって矛盾よね」

 未来が話していることは、結界についての話なのに、理美は違う話をしてしまったと思った。

「それがあなたの結界なのね?」

 と言われて、理美はハッとした。

 今まで人との間に交わることのない感覚がずっとあったのだが、それを表現する術を持たなかった。

 未来はそれを、「結界」だと教えてくれた。

 理美の中で漠然としてではあるが、結界という言葉に少し違った意味での発想があったのは事実だ。それを表現することができずに、人と交わることのない感覚を言葉に表したとすれば、それが結界になるなど、今までに考えたこともなかった。

「理美は、私の親友だからね」

 親友という言葉を先に使ったのは。未来だった。

 理美と未来を比べれば、まわりの人から見れば、性格的には正反対、光と影、明と暗、白と黒、いろいろ表現ができるだろうが、そのどれにも当て嵌らないようにも見えるが、どれか一つが当て嵌まっているように見えると、そのすべてに当て嵌まるのが、理美と未来の関係だった。

 それを親友という言葉で表すとすれば、少し陳腐な気もしたが。今のところ、それ以外の言葉で表すことができない。

「そうね、でも、私たちの関係を言い表す本当に適切な言葉が、もっと他にありそうな気がするわ」

 と、理美は答えた。

「もし、光と影で言い表すとすれば、私が光で、理美は影なのかも知れないわね」

 理美もそう感じていたが、未来が自ら言葉にしようなどと、想像もしていなかった。

 理美と未来は、親友という意味だけではなく、もっと深い関係に入っていった。そこには、お互いの共通の意識として、

「血の繋がりへの意識」

 というものがあった。

 血の繋がりを異常に意識するこの時代だが、そのことは他の人には意識がなかった。他の時代がどうであったかということが分かるわけはないからである。慣習的なことは、口で伝えていうものであり、なかなか歴史上、重要な文献に書面として残っているものではない。

 なぜなら慣習とは漠然としたものであり、生活や風俗のように、人の話として言葉に残せるものではないように思えるからだ。

 血の繋がりを意識しているというのは、道徳問題とも密接に繋がっていることもあり、問題としては、デリケートな部分を含んでいる。それを思うと、他の時代との比較だけは絶対にさせてはいけなかった。

 理美がこの時代に血の繋がりが異常に強く意識されていると思ったのは、他の時代と比較していうわけではない。理美の意識の中で、

「異常だ」

 と感じただけで、理美本人の感性によるものだと言っても過言ではないだろう。

 その思いを他の人は感じることはできない。あくまでも自分だけの感覚だと思っていた。他の人誰にも言えることではないと心の奥にしまいこんでいた。

 だが、もう一人理美と同じ感覚を持った人がいるのを知ることになったのだが、それがまさかこんなに近くにいようとは想像もつかなかった。未来はクラスこそ違えど、同じ学校の同じ学年だったのだ。

 その時、理美が感じたのは、

「こんな身近に一人いるんだから、実際には、もっとたくさんの人がいるのではないだろうか」

 ということだった。

 だが、その発想は思い過ごしだった。

 なぜ、そのことが分かったかというと、

「私、血の繋がりというのが、昔はさほど強くなかったということを、祖母から聞いて知っていたんです」

 と言ったからだ。

 しかも、

「血の繋がりの意識というのは、この時代で話をするのはタブーのようになっているので、きっと誰も子供に話したりはしていないだろう」

 ということを祖母が話したと言っていたからだろう。

 特にこの時代の特徴としては、過去の時代について、どこか偏見の目で見ているところがあった。確かに学校では歴史の授業があるが、それは完全に暗記物でしかない。本屋に行っても、よくよく見てみると、一つの考えに固まった書籍しか置いていないようだ。

「自由という言葉は名ばかりで、書籍にしても、出版するための検閲が行なわれていて、自由が半分損なわれているように思える」

 というのも、未来の祖母の話だったようだ。

 そのことについて、異議を申し立てる人がいても、権力で抑えるようなことはしない。そんなことをしなくても、社会が異議申し立てした人物を社会的に抹殺してくれる。

 法律で裁くわけではなく、その人間に対しての態度や見方が、厳しいのだ。それによって、時には権力よりももっと厳しい制裁が、その人に待っていることになるのだ。

「法律で裁くのであれば、刑期を終えて戻ってくれば社会的立場が復帰することもあるが、まわりからの偏見であれば、いつ終わるとも知れない恐怖をずっと味わうことになるからな」

 というのが、この時代の制裁だった。

 この悪しき時代の罪を裁こうという動きもあるらしい。それは、晃司からかなり先になって聞かされた話だった。

 晃司が理美に目を付け、この時代を選んだ理由のもう一つに、

「未来の存在」

 というのもあったのだ。

 理美と未来が、お互いに惹き合うようになったのだが、最初に近づいてきたのは、未来の方だった。

「あなたには、人を惹きつけるものがある」

 未来はそう言って、理美に近づいてきた。

 その言葉はあまりにも唐突だったが、理美はさほど驚いた気がしなかった。

「なんか、初めて言われたような気がしないんだけど、どうしてなのかしらね?」

 その思いは、晃司が自分の目の前に現れた時、感じたものだったが、それを未来との出会いに事前に感じるなど、おかしな感覚だった。

――これもデジャブ現象なのかしら?

 デジャブというには少し違った感覚だったが。将来に感じることを、前もって知るというのは、特殊な能力の表れなのだろうか?

――未来に見つめられると、私は金縛りに遭ってしまうわ――

 と感じた。

 学校では立場は逆だった。

 理美の方が目立っていて、未来は影に隠れた存在だった。今までもそうだったのだから、理美と知り合ってからは、特にひどくなった。

 未来は完全に理美の影に隠れてしまって、本当に目立たない存在だった。だが、未来はそんな自分を、

「おかげで、自分の世界に入りやすくなったわ」

 と、表現し、理美に礼を言うほどだった。

 理美も自分の世界に入りこみやすい方だったが、未来はもっとその意識が強かった。未来がその時々で、光にも影にもなれるのは、そのためだった。

 理美にとって未来は、

――私の中に、もし不思議な力が備わっているのだとすれば、それを引き出してくれるのは未来しかいない――

 と思える相手だった。

 理美には「永遠」という言葉を意識することは今までになかった。それがこの時代に生きている人間の宿命のようなものだと思っていたからだ。

 だが、未来を見ていると、「永遠」という言葉を、自分が口にしてもいい何かが見つかるように思えるのだ。

 もちろん、永遠という言葉をそう簡単に口にできるものではないという思いは強かった。しかし、それは自分にできることなのかどうかということが意識の根底にあるかどうかが問題だったからだ。

 この時代でタブーとされていることを、誰かの口から聞くだけで、どれほどドキドキさせられるのか、きっと他の人に分かるはずもない感覚だと思っていた。

 だが、その感覚を同じように感じているかも知れないと感じさせる相手がいた。それが未来だったのだが、未来に感じたことをそのまま晃司に感じるようになるとは、その時にはまったく分からなかった。

 理美が最初に過去に行ったのは、高校を卒業してからだった。それまで三年以上を費やしたわけだが、それは決心するのに、それだけの時間が掛かったわけではない。本当は一度高校生になってから、過去に行ってみたことがあった。過去の世界は高校生になった理美が想像していた世界と、ほぼ変わっていなかった。もし、違った世界が広がっていたのなら、その時に、何か行動を起こしていたのかも知れない。その時想像していた通りだったことで、晃司の話の信憑性を、疑ってみたくなったのだ。

――これじゃあ、私の出番なんてないじゃない――

 晃司に言われたのは、

「君が想像している過去の世界とは、かなり違ったもののはずだから」

 という前置きがあったにも関わらず、想像していたのを同じだったことで、理美は頭の中が混乱していた。

 そこで、未来の晃司に連絡を取ってみた。

「なるほど、そういうことだったので、どうしていいか分からずに僕に連絡をくれたわけだ」

「そうなんです」

「今のまま行動しても、いい成果は得られない。仕方がない。もう少し待ってみよう。大学生になった君がもう一度過去に遡って、それで見た世界がどうなのか、見てもらうことにしよう」

 今から考えれば、過去が変わっているのは当たり前のことなのかも知れない。その世界というのは、晃司に言われて、

「変わっているはずだから」

 というだけで、何が変わっているのか教えてくれなかった。

「それは教えるわけにはいかない。先入観が植え付けられてしまうと、見えるはずのモノが見えなかったり、見えないはずのものが見えたりする」

 ということは、変わっているはずのものが変わっていない可能性もあるのだ。

 さらに過去の世界と言っても、一瞬一瞬で、未来にどのように影響するか、抽選が行われているのかも知れない。パラレルワールドが無数に存在するのも、時間ごとの抽選が無数に存在することを示している。無数の抽選は、先入観があっては、見えるものも見えてこない。それを思うとまだ、高校生になったばかりの理美に時間の流れを理屈では理解できても、実際に目の当たりにした時に、信じるだけの意識が備わっているかどうか、疑問である。

 理美は、今自分が頭でっかちになっていることに気付いていた。理美の気持ちに何か変かがあったことに気付いた未来は、

「理美とずっと一緒にいたけど、あなたが今何を考えているのか、少し分からなくなってきたわ」

「そう、実は私も分からないの。未来からひ孫に当たる人がやってきて、過去に起こったことを正さなければいけないって言ってたんだけど、その役割がどうして私なのかが分からない。しかも、彼の話では、『ダミー人間』も連れていくように言われたんだけど、どうしてなのかしらね」

 というと、未来はさらに訝しい表情になった。

「『ダミー人間』がどうして必要なのかしらね」

「考えられることとしては、何かの身代りにできるということかしら? 私が行くように言われた過去には、『ダミー人間』というのは存在しないらしいの」

「そういえば、その指定された過去にいるあなたのお父さんに当たる人というのは、どんな人なのかしらね」

「未来から来た人の話では、一人でいることの好きな人だということ。孤独と寂しさを一緒に考えない発想を持った人だっていうことだけど、過去の人たちって、一緒に考える人が多いのかしらね」

 その会話から、理美の時代は、孤独と寂しさを分けて考える人が多かったようだ。

 それだけ、言葉というものを真剣に見つめ、惰性で生きている人が少ないということなのか、それとも過去の人たちが、本当に心の中が寂しい人が多いということなのか、一度見てきただけでは、すぐに理解できるものではない。

「自分だけの過去を見に行っただけなのに、そう簡単に理解できない自分がもどかしかった」

 と理美が言うと、

「じゃあ、今度は私が見に行ってあげましょうか?」

 と、未来が言ってくれた。

 タイムマシンは数人で乗ってもいいように設計されていた。しかし、自分のタイムトラベルに他人を巻き込んでもいいものだろうか。またしても、晃司に相談してみた。

「未来ちゃんを過去に連れて行くのは問題ないです。実際に彼女の目に何が映るかということにも僕には興味があるんだ。だけど、君たち二人は、一度一緒にタイムマシンに乗ったら、帰りも二人一緒に帰ってこなければいけないんだよ。それをしっかりと肝に命じておくんだね」

 と話した。

 理美はその時の晃司の様子がいつもと違っていることに気付かなかった。どこかつっけんどんな雰囲気だったが、本当はその時に理美は気付いておくべきだった。

「ありがとうございました」

 と言って、電話を切ったが、切った後になって、晃司の様子が少しおかしかったことに気が付いた。ただ、それは晃司が何か気がかりなことがあったわけでも、理美の提案に対して訝しい気分になったからではなかった。それを知らない理美は、電話を切ってしまったことを後悔したが、仕方がない。動き始めた時計の針を止めることは、理美にはできなかった。

 過去に未来を連れていくということがどういうことなのか、その時の理美には分からなかった。それは晃司にも同じことで、それが自分たちにどういう影響を及ぼすのか未知数だった。

 しかし、それは避けて通ることのできない道だったのは確かで、晃司が理美の話を聞いて、訝しい気持ちになったのは、仕方がないことだ。

 それにしても、晃司の助言が入る前に、よく理美は未来を自分の過去に連れて行くことを思いついたものだと感心していた。

「未来という女の子が、理美の過去の世界に大きな影響を及ぼしていることは確かなんだ」

 それがどういうことなのか、晃司にも漠然としてしか分からなかった。

 だが、それは理美が自分で納得して、

「時間の法則に逆らう」

 という気持ちにならないと、そこから先の未来は開けない。それが過去に戻っての「歴史の浄化」であり、理美でなければできないことだった。

 それは理美が女性だからだということもあるが、ただ女性だというだけではなく、理美の父親との間に生まれた感情がどういうものなのか、理美はその時まだ想像もつかなかった……。

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