第6話 研究所
翌週、熊木田は、車に小百合を乗せF市の住宅街にある千坂
「築60年といったところか」
車を降りて建物を見上げる。どう割り引いてみても、研究所には見えなかった。ごく普通の住宅だ。
インターフォンのボタンを押すと「どうぞ」と女性の声がした。
玄関で出迎えたのは、ジーパンにTシャツ姿のベビーシッターと思しき女性と2歳ぐらいの女の子だった。
「コンニチハ」
女の子が片言で言った。とても可愛らしい。
「千坂博士はいらっしゃいますかな? 総理の紹介で
「私が千坂です」
若い女性が答えた。
熊木田は失望した。目の前に立っているのは、まるで大学を卒業したばかりの若者ではないか。建物のみすぼらしさも相まって、千坂朱音という科学者に対する信頼が揺らいだ。
「失敗したとお考えですね。引き返すのも熊木田さんの自由ですよ」
滅多に動揺することの無い熊木田が、気持ちを読まれて動揺した。
「お世話になります」
夫を押しのけて前に出た小百合が深々と頭を下げた。
「お前……」
熊木田は妻の様子に驚いた。彼女に押しのけられたことなど、かつてなかった。何が、彼女にこれほどの力を与えたのだろう?
一瞬、小首を
熊木田夫婦は殺風景な部屋に案内された。中央に大きなテーブルと6脚の椅子、壁際にスチール製の棚だけがあった。部屋の隅にあるカラフルな色のおもちゃが浮いて見えた。部屋の奥には扉があって、その向こうからブーンという機械音がしている。
「ここが事務所で、隣の部屋が研究室です」
そう話す朱音の腕を離れた娘がおもちゃで遊び始めた。
「娘さんですか? 可愛いですね」
小百合が目を細める。
「アオイという名です。私の第1号の作品です」
「作品、ですか……」
熊木田は、自分の娘を作品と紹介した朱音の顔をまじまじと見つめてしまった。科学者とはいえ、とんでもない変わり者だと思う。子供の教育上はどうなのだろう? そんな気持ちもわずかにあった。
「あの子は私の血を引いていますが、腹は痛めていません」
「代理出産ですか?」
「代理と言えば代理ですが、世間でいうそれではありません」
彼女の言うことが理解できない。
「どういうことでしょう?」
「私の研究について、武上総理から聞いていませんか?」
「ええ。なにも」
熊木田の胸に不安が広がった。得体のしれない研究の実験台にされるような気分だ。
「私は人工出産システムの研究をしています」
「人工出産ですか?」
「説明するよりも見てもらった方が早いですね。これから見るものについては、一切口外しないと誓ってください」
朱音が念を押し、熊木田と小百合がうなずいた。
「こちらへ……」
隣の部屋に案内された。
研究室という部屋は息苦しいほど湿度が高く、消毒液の匂いがきつかった。まるで工場のようにモーターがうなりを上げている。
部屋の中央に直径60センチほどのガラス容器が並んでおり、液体が満たされていた。そのうちの二つには
肉の塊には数本のチューブがつながっていて、一方の端がモーター音を響かせる大きな機械に接続されている。
「これが人口出産システムです」
容器に近づくと、きつい血の匂いがした。熊木田は思わず鼻を手で
朱音は、容器の中の肉の塊を指す。
「この子宮で受精卵を育てます。こちらは、現在、妊娠6か月。向こうは8カ月になります。向こうの機械が心臓と肺、隣が肝臓と腎臓の役割を果たしています」
朱音は子宮とチューブで繋がったいくつかの機械を指した。
「もう少し性能の良い機械があれば、子宮も増やせるのですが、今は難しい状況です」
「こんにちは」
突然、熊木田の背後で男性の声がした。
それは、朱音の夫でSF作家の千坂
「ま、まさか……。千坂亮治先生のお宅だったのですね。私、ファンなのです」
小百合が声を上げた。
熊木田は、妻が千坂のファンだと初めて知った。そういえば彼女が好む〝偽りの記憶〟は彼の著作だったかもしれない、と思った。
「先生は止めてください。私も実業家の熊木田さんに会えるとは、光栄ですよ」
千坂が手を差し伸べる。夫婦は彼と握手を交わした。
「こんなところで……」そう言いかけて、熊木田は言葉を止めた。
「いいのですよ。私の身体にも問題がありましてね。それで妻に装置を作ってもらったようなものです。何分貧乏作家。こんなところでくすぶっています」
千坂がアオイの頭を愛おしそうに
「人口出産システムは、SF作家ならではの発想だったのですね」
小百合が言った。
「いいえ、発想も作業も、全て妻の仕事です。これを実現するために妻は、寝ずの努力をしたのですよ」
朱音を見る千坂の視線は、とても
「あの子宮はどうやって作ったのですか?」
熊木田は素朴な疑問をぶつけた。
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