第4話 霧中
小百合が子供を産めない身体だと知った時、熊木田は子供を得ることを諦めて、ただひたすら仕事に没頭した。結果、事業に成功したともいえる。
気持ちが変わったのは1年前だった。経済団体の交流会で会社や資産をどうやって子や孫に引き継ぐかという話題になった。オーナー社長には重要なことだが、子供の持てない熊木田にはどうでもいいことだった。
ところが「ないなら作ればいい。ビジネスと同じだよ。そんなこともわからないのかな……」とライバル会社の社長に
それは運命か。関連会社のアルバイトに若い頃の妻に瓜二つの女子大生を見つけた。浅木エイミだった。マネージャーを通して彼女の血液型も確認した。子供が大きくなってから、血液型から自分の出自に疑問を持たせないためだ。
エイミとの出会いに運命を確信した熊木田は、彼女を食事に誘って代理出産を依頼した。彼女の卵子を使うのだから、正確には代理出産ではないが、そう話した方が受け入れやすいと考えた。代理出産の報酬は、妊娠に至るまでは月々100万円、出産時に1億円の一括払いだ。
高額な報酬に彼女の気持ちが動くのがわかった。それでも即答するまでには至らなかった。彼女は賢くリスクを理解していた。就職まで面倒を見るのなら代理出産に合意するというので、熊木田ホールディングスに採用することを条件に加え、熊木田の子供を産む約束を取り付けた。
そんな時だ。不妊患者や高齢者のために、遺伝子技術を応用して赤ん坊をつくってくれる医者がいるという噂を聞いた。人を使って調査した結果、それを知る人物が、政府が設置した
オリンピックや万国博覧会といったイベントは経済を刺激したが、持続性はなかった。カジノの誘致も同じだ。業界は
政府は75歳までの雇用を義務付け、同時に社会保障費用を圧縮して財政収支を均衡状態に持ち込もうとしたが、もはや焼け石に水といった状態だった。
日本の少子高齢化には歯止めがかからず、人口は9千万人を切った。金融、財政、公共投資政策で工夫を重ねても、少子化の流れを止めない限り日本に未来はないと誰もが知っている。が、誰も具体策を打ち出せないでいた。優秀な企業は国内経済に見切りをつけて、世界で生き残るべく舵を切っている。とっくの昔に……。
当初「若い熊木田さんに期待していますよ」と言った経済諮問会議のメンバーだが、熊木田の意見を素直に聞く意思がないのが見え見えだった。その日がまだ3度目の会議だというのに、熊木田はすっかり意欲を失い、沈黙を決め込んでいた。彼にしても、日本経済の行く末より、自分のDNAを引き継ぐ子供が作れれば良かった。
「やはり全面的に移民を受け入れるしかないのではないでしょうか。雇用年齢の引き上げにも限界があります」
発言したのは、熊木田の次に若い宇宙開発事業団の
「木元さん。大和民族の血を汚すなど、あってはなりませんよ」
メディアのドンと言われ、今なお政界に影響力を持つ老人が威圧する。
「その通りです」
メガバンクの頭取が、老人の意見というより、仲間である老人そのものの支持を表明した。
「そもそも、純粋な日本人の血統を維持しながら、経済を立て直す計画を立案するのがこの会議の使命ではないか!」
副総理を務めた後、政治家を引退した議長が持論を展開した。
「神国日本を海外に開放するなど、左翼かぶれも甚だしい」
経済政策など絶対的正解などない。正解がない以上、議論は大きな声のつくる空気に流される。人選の段階で、すでに答えは決まっているといえた。
熊木田は、会議が終わってから、麻利亜を夕食に誘った。
「経済諮問会議、いかが思われます?」
「終わっていますね。暗中模索。いえ、霧の中で立ちすくんでいるだけです」
彼女がぴしゃりという。
「こんなことでは日本の再生どころか、維持さえ危ういでしょう。結局、東日本大震災でもオリンピック疑惑を見せられても、日本人は変わらなかった」
「老人たちは経済でなく、文化と精神の問題を議論しています。そもそも、現状でも生活に困らない人々が集められているのだから、問題意識に欠けるのもやむを得ないわけです」
「世界が変わり続ける中で、日本だけが変わらずにいようとすることに無理があります」
「いっそ、鎖国でも提案しましょうか?」
冗談を言い、麻利亜が苦笑いを浮かべた。
「鎖国ですか。……しかしそれは、世界から脱落することです。老人たちもウンとは言わないでしょう」
冗談と知ったうえで、真面目に応じた。熊木田もそのくらいに皮肉を言ってやりたいと思う。
「もちろん、ただの嫌味ですよ」
彼女は、熊木田の真意を探るように目を細めた。
「個別の案件を取り上げたら利害対立ばかりです。その中で国益を検討できるのが私たちだと思うのですが……」
麻利亜が
「……木元さんは立派ですよ。老人たちに向かっていかれる。私など、すっかり部外者を決め込んでいる。恥ずかしい限りです」
熊木田は論点を変えた。
「世界的には人口が増えているのに、日本は減少している。人類史上、人口の減った国が繁栄した例はありません」
「私も子供が欲しいのですが、こればかりは神からの授かりもので……」
「熊木田さんは、結婚がおそかったのですか?」
「結婚したのは30の後半でしたが、恵まれませんでした。木元さんは?」
「私は、ひとり者です。結婚よりも仕事を選びましたから」
麻里亜は指輪のない左手を、ひらひらと振って見せた。
「これは失礼しました」
熊木田は左手をテーブルの下に隠す。
「そんなに気を使わないでください。私が自分で選んだことです」
麻利亜がほほと笑う。
「結婚しないのが選択なら、子供ができないのは運命なのかもしれません」
「子供の場合も、作る選択があると聞いていますが……」
熊木田は
「夫婦の細胞から受精卵を作り、出産まで面倒見てくれる医師がいるそうです」
「やはり、噂は本当なのですな。どこの病院ですか?」
思わず身を乗り出した。今日の会議は、それを聞きたくて出席したようなものだ。
「
「武上総理が……」
女性初の総理大臣となった武上
47歳という高齢出産は話題になり、公務があるのに無責任だと野党は批判した。それがたった2週間で公務に復帰したものだから、今では武上超人と呼ぶ者もいる。
一方、口の悪い者は、代理出産ではないかと噂していた。
「とんでもない費用が掛かったと聞きました。そのために党の資金にまで手を付けたとか」
「木元さんは、その病院を御存じなのですか?」
「いいえ。あくまでも噂話ですから」
「その噂話。どなたから聞かれました?」
「それが思い出せないのです」
彼女は噓をついているわけではなかった。
「そうですか……」
頼りにならないおばさんだ。……心中毒づき、盃をあおる。霧の中にいるような気分だった。
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