第2話 就活

 エイミの身体の上で、射精した熊木田が荒い息を整えている。まだ身体の一部はつながっている。


 長い交合だった。そこがまだヒリヒリしている。痛みが半分、快感が半分といったところだ。瘡蓋かさぶたを無理やりはがした時の感覚に似ていた。


 もっとしたい!……そんな気持ちもある。


 いやいや、これは代理出産なのだ。セックスじゃない。……そんな言い訳も頭にあった。


 これで良かったのだろうか?……彼の子供を作ることに今更ながら不安を覚えた。お金のためにそうすることを、両親や友人に知られることが怖かった。


 熊木田が隣に横になったのは数分もすぎてからのこと。そのころにはエイミの頭の中はすっかり日常に戻っていて、帰ることばかりを考えていた。


 身体を起こそうとすると熊木田に肩を押さえつけられた。


「妊娠の確率を高めたいから、30分はベッドに横になっていなさい。何なら、2、3時間、寝ていってもいい」


 熊木田は、そう命じると寝室専用のサニタリーで汗を流し、身なりを正して部屋を出て行った。


 ――タム――


 ドアが閉まる乾いた音に、自分はに閉じ込められたと感じた。自分を縛るのは〝金〟だ。


 するとここが牢獄かぁ。……エイミは天井を見つめた。自分が住むアパートより高く美しい天井、……そしてそこには16世紀のヨーロッパを思わせるような照明器具がぶら下がっていた。


 子供、できるかなぁ。……報酬のためにできてほしいと思う反面、出産という、そうした比喩が流布している痛みからは逃れたいとも思う。


 セックスが終わり、1人になるたびにそう思っていた。


 妊娠しやすいタイミングを選び、月に2回、熊木田のセックスの相手をしている。その日が5回目のそれだった。


 その日は、熊木田の妻の知的な顔が脳裏を過った。……彼女は子供ができなかったのだ。子供ができないからと夫婦の寝室で、いやそれがホテルであろうと森の中であろうと、……堂々と他の女性と関係する夫を、彼女はどう思っているのだろう? 愛しているのだろうか? 怒っているのだろうか? それともあきらめているのだろうか?


 妻の立場からすれば、自分の子供でないのなら養子をもらっても同じだ。それを熊木田はあの強引さで押し切ったのに違いない。仕事は出来ても、自分の血を引いた人間でないと子供と認められない傲慢で小さなやつだ。……熊木田を軽蔑しながら、彼の言いなりになって時を待つ自分を、それ以上に軽蔑した。


 高価そうな家具や調度品をながめ、資産4000億円と言われる熊木田の生活を想像した。


「美味しいものを食べ、ブランド物の衣類や宝飾品に身をまとい、大きな家に住む。奥さんは美人で子供は……、いないのよね。……ペットぐらいはいるだろうけど」


 耳を澄ましても犬や猫の鳴き声はしない。テレビの音も、表通りの車の音もしなかった。


「意外と寂しい生活なのかもね」


 そう決めつけると熊木田も可哀そうな人間に思える。それなら許せる。子供を産んでやってもいい。……許したのは彼のことではなく、自分だった。


 下腹部がグーっと鳴る。


「あのお寿司、美味しかったなぁー」


 思い出したのは、3カ月と7日前のことだ。


 エイミは熊木田コンツェルンの関連会社でアルバイトをしていて、どこでどう熊木田の目に留まったのか分からないけれど、食事に誘われた。就職に有利になるかもしれないという軽い気持ちで誘いに応じて連れて行かれたのが銀座の寿司屋だった。


「君は若いころの妻に似ているのだ。血液型も同じだ」


 食事中、熊木田が言った。


 自分の血液型を、どうして知っているのだろう?……考えたら、数日前、マネージャーに血液型を訊ねられたことを思い出した。


 あの時か?……以前から調査されていたのだとわかっても不快感はなかった。多少の個人情報を知られることよりも、高級な寿司と就職のほうが魅力的だ。


 その時、依頼されたのが熊木田の子供を産むことだった。妊娠するまで毎月100万円、出産のあかつきには成功報酬1億円。それが提示された条件だ。


「就職の面倒も見ていただけますか?」


 エイミは条件を加えた。1億円では会社員の生涯年収に及ばない。万が一、妊娠のために大学を留年して有利な就職ができなかったら、両親に妊娠がばれて中退することにでもなったら、1億円は減った収入を補てんする形で消えてしまうだろう。


「いいとも」


 熊木田が、熊木田ホールディングス本社で採用するという条件を加えた。


 エイミは熊木田ホールディングスへの就職という誘惑に負けて、彼の子供を産むことに決めた。産まれてくる子供が自分の子供でもあるなんて、1ミリも考えなかった。まして、彼の妻のことなど……。


 仕方ないよね。生きるためだもの。……お金のためとは考えないことにして、サイドテーブルの時計に目をやった。

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