5. 喪失

 何度か顔を合わせて一緒に過ごす内に、ウィリアムは益々エルシーに惹かれていった。


 評判通り凡庸な少女だ。物覚えも良くないし、要領も良くない。


 だが、何故か目が離せなかった。


 


 優秀なリリーを女王にするという話も多少は出ているらしいが、恐らくそうはならないだろう。


 エルシーの母親――王妃は侯爵家の出で、儚くなって久しいが、そちらの関係者がエルシーを女王にすることを望んでいた。


 対してリリーの母親は吹けば飛ぶような男爵家の出身で、己の美貌と才覚で側室の座まで上り詰めた人物だった。


 外戚に力が無い以上、リリーがどれだけ優秀でも即位するのは難しいだろう。


 


 しかし、エルシー自身は即位することを余り望んでいないように見えた。


 平凡で、なおかつ己の力量をよくわかっている少女だ。王位は荷が重いと感じているのだろう。下に優秀な妹がいるのだから尚更だ。


 それでも、その座にふさわしくなろうと必死に努力はしていた。


 


 ウィリアムから見るとその様は痛々しくて仕方がなかった。


 真面目さは彼女の美徳だが、このままではいつか潰れてしまう。


 


 そう考えたウィリアムは、自分が代わりに彼女がやるべき仕事をこなせば良いのではないかと思い始めた。


 自らが王配となり、エルシーに負荷がかからないよう支えるのだ。


 次期公爵の座は弟にでも譲れば良い。


 


 それはとても妙案に思えた。


 


 


 丁度タイミング良く王が病に倒れたのもあり、エルシーの婚約者として収まるのはそう難しいことではなかった。


 自分がエルシーを支える。そう主張すれば、父親にも王にもどこか安心したような表情で受け入れられた。


 エルシーもウィリアムのことを憎からず思っていたようで、控えめにではあったが婚約を喜んでくれた。


 ウィリアムは幸せだった。


 


 一つ引っかかっていたのは、エルシーとの婚約を告げたときのリリーの反応だった。


 


「……おめでとうございます。お姉さま、ウィル」




 そうは言ってくれたが、その表情はどこかぎこちなかった。


 これまで三人で過ごしていたのだ。姉とウィリアムが婚約することになり、疎外感を覚えたのだろう。


 リリーはこれから義妹となる。安心させるためにも、より一層親しくしていかなければならない。


 それに、これからエルシーを支えていくのに、優秀なリリーは良い助けになるだろう。


 


 ウィリアムはエルシーの負担を減らすためにも、リリーとより親密に過ごすことを心に決めた。


 


 


 ウィリアムは次期女王の婚約者としてある程度立場を固めると、貴族たちからの上奏は全て自分の元に来るよう根回しした。


 実際、エルシーを通すよりウィリアムに持ってきた方が解決までが早いということもあり、エルシーから実権を取り上げるのはそう難しいことではなかった。


 ウィリアム一人でも悩むような問題についてはリリーと話し合って決めた。リリーは頼られるのが好きなようで、相談をすると存外喜ぶ。


 それに気づいてからは、些細な問題でもリリーに相談するようにした。


 リリーのご機嫌は取っておくに越したことはない。


 


 ウィリアムの周りは全てが上手く行っていた。


 


 一方、お飾りとなったエルシーは多少肩身の狭い思いをしているようだった。


 婚約者であるウィリアムを見かけると、少し嬉しそうにして寄ってくる。


 そんなエルシーを見る度に、ウィリアムは昏い喜びを覚えた。


 


(もっと私を頼ればいい。私だけを見ればいい……)




 だから、エルシーに女王としての役目を果たさせろと詰め寄られたときも適当にいなした。


 


「ねえウィル、私も一緒に考えたいの。次期女王は私よ」


「エルシーは何もしなくても大丈夫です。私がやった方が早いし、リリーもいるので」




 明らかに傷ついているのに、エルシーはそれを押し隠して気丈に振る舞う。


 はやく楽になれば良いのに、とウィリアムは思った。


 


 全てをウィリアムに任せて、ただ笑っていれば良い。


 エルシーが傀儡であることを受け入れ、ウィリアム無しでは生きていけなくなれば良い。






 やがて王は崩御し、エルシーは女王となった。


 喪が明け次第、ウィリアムと正式に婚姻し、二人は夫婦となる。


 


 ウィリアムはその日が待ち遠しかった。








 ◆◆◆








「お姉さまに女王は向いていないわ」




 ある時、リリーが拗ねたような顔で呟いた。


 この日も二人は国で起こった問題について議論しており、話し合いが一旦落ち着き、談笑している際の発言だった。


 明らかに不敬となる言葉だったが、それを咎めるものは誰もいない。


 ウィリアムは同意した。


 


「そうですね。向いているかいないかで言えば、確実に向いていないでしょう」


「もし、私とお姉さまのお母さまが逆なら! そうすればもっとみんな幸せだったわ」


「……でも、そうではないので。私達でエルシーを支えるしかありません」




 それを聞いたリリーはふうっと溜息をついた。


 そうしてウィリアムに微笑みかける。天使のようだ、と人々からは称される笑みだったが、何故だかこの時、ウィリアムは薄ら寒さを感じた。




「ねえ、ウィル。ウィルは私のこと、愛してるわよね?」


「……勿論。妹のように思っています」


「仮に、お姉さまがいなくなったら。それでも側に居てくれるかしら」




 エルシーが居なくなることなど考えたくもないが、もし彼女が事故などで亡くなり、リリーが即位することになった場合、そのままウィリアムが王配になるのが一番良いだろう。


 既に結婚しているならともかく、現状はまだ婚約者だ。改めてリリーと婚約し直すことを周りからも望まれるだろう。




 そう伝えると、リリーは笑みを深くした。




「そうよね。ありがとう。もしお姉さまが居なくなって、その上ウィリアムまで居なくなってしまったらどうしようって、不安になったの。でも、安心したわ」


「勿論、一人にはしませんよ」




 そう答えると、リリーは甘えるように身を寄せて来た。


 優秀で頭も回り、時々驚くような冷徹な判断を下すが、こういった見た目通り寂しがりな一面もある。




 エルシーもこれくらい甘えてくれたら良いのに。


 ウィリアムはそう思いながらリリーの頭を撫でた。








 そしてそれからしばらく経ち、結婚式を数日後に控えたある日のことだった。


 エルシーとリリーは珍しく二人で出かけた。城の近くの湖で過ごすのだという。




 ウィリアムとて最近エルシーとの時間が取れていないので、少し羨ましい。




 ただ、結婚した後は暫く休暇を取ってエルシーと二人で蜜月を過ごすつもりだった。


 寂しい思いをさせている分、うんと甘やかしたい。


 ウィリアムはそれだけを楽しみに日々を過ごしていた。






 だから――その知らせを聞いた時、あまりの衝撃で膝から崩れ落ちてしまった。


 


(エルシーが、湖に落ちた……?)




 知らせに来た使いの者が慌ててウィリアムを抱き起こす。


 下の者たちに心配をかける訳にはいかない。立ち上がったウィリアムは、努めて平静を装った。


 そこから先は現実感がなく、他人事のようにふわふわした心地で事務的に指示を出していた。




 一人で戻ってきたリリーを上手く慰めることも出来なかった。


 リリーが妙に嬉しそうな様子に気づくことも、勿論出来なかった。




 ウィリアムは湖に落ちてしまったエルシーの捜索を指示した。


 もしかしたらどこかに流れ着いているかもしれない。


 生きているかもしれない。


 そう思いたかったが、可能性が殆どないのも薄々わかっては居た。


 それでも、遺体でもいいから一目会いたかった。






 結局、エルシーを見つけることは出来なかった。


 あの湖は深い。エルシーは水底で、一人沈んでいるのだろうか。


 そう思うと気が狂いそうだった。


 


 


 その後、リリーは順当に女王として即位した。


 王が変わっても混乱が生じることはなかった。


 元から実権はリリーとウィリアムが握っていたのだから、お飾りの傀儡女王がいなくなったところで変わることは何もない。


 ウィリアムの心情以外は。

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