2. 逃亡と出会い
エルシーが目を覚ましたのは王城の一室。
王女時代に使っていた部屋だった。
(私はリリーに殺された筈じゃないの……?)
困惑していると、ノックの音と共に侍女のリサが入ってきた。
記憶より随分と若い。
「お目覚めですか、殿下。陛下が呼んでおられます……。急いで支度致しますね」
「陛下が呼んでいる? 女王は私の筈じゃないの」
そう言うとリサは顔をしかめた。
「失礼ながら殿下、気が早すぎます。すぐにそうなるでしょうがお慎みいただいた方が賢明かと」
混乱しながらも準備が終わり、リサに連れられて王の寝室に向かう。
なんとなく、察してはいた。
王の寝室で寝ていたのは、亡くなる直前の父だった。
(戻ったんだわ……。女王に即位する、前に)
「エルシー……。聞きなさい。次の女王はお前だ……。ウィリアムとリリーの言うことをよく聞いて、賢明な統治を行いなさい……」
「はい、お父様」
過去と同じく、それが父と交わした最期の会話となった。
その日の夜、エルシーは王族のみが知っている緊急用の通路を使い王城をこっそり抜け出した。
もう戻ってくる気はなかった。
未来を知っているからといって上手くやれる自信は全くない。
女王になってあんな思いをして、挙句の果てに殺されるのはもう御免だった。
相当量の宝石類を城から持ち出していたので移動手段や食べ物には困らなった。
時には馬車に乗り、馬を借り、なるべく遠くへ逃げた。
あてはなかった。ただ遠くへ行きたかった。
ウィリアムやリリーは始めは自分を探すだろうが、すぐに諦め、やがていない方が都合が良いことに気付くだろう。
それに見つからない自信もある。
エルシーは初めて自分の地味な容貌に感謝した。
そうしてある森の中を歩いているとき、足を滑らせて崖から転落した。
逃げることすら上手くできないのか、とエルシーは自嘲した。
逃亡から十日ばかり過ぎた頃だった。
◆◆◆
全身の痛みでエルシーは意識を取り戻した。
体が上手く動かない。何箇所か骨が折れているかもしれない。
呻きながらもぞもぞと動いていると、男の声がした。
「おっ、目を覚ましたみたいだな。大丈夫か? なんか食えそうか?」
薄っすら目を開ける。
少し年上だろうか。くすんだ金髪の精悍な青年がこちらを心配そうに覗き込んでいた。
言われてみれば空腹だ。
エルシーが微かに頷くと、男はそうか、と笑い足早に奥の方に消えた。
改めて辺りを見渡す。
小さな小屋のようだった。橙色の明かりが温かく室内を照らしている。
エルシーが寝かされているすぐ横には小さな椅子と机。
机の上には書物が置いてあり、男はこれを読みながらエルシーの目覚めを待っていたらしい。
壁には猟銃のようなものが立てかけられている。
「山羊の乳で作った粥だ。食えるだけでいいから食え。食わねえと元気になんないぞ」
戻ってきた男はそう言って器に入った粥をエルシーに差し出した。
湯気が立っていて良い香りがする。
エルシーは起き上がり受け取ろうとしたが、体が上手く動かなかった。
「ごめんなさい……。体が、動かなくて」
そう言うと、男は慌ててエルシーを抱き起こし、匙で一口ずつ掬って口に運んでくれた。
恥ずかしくはあったが有り難く受け入れた。
「気が利かなくてごめんな」
男はそう言って笑った。
セオという名で、薬師をしているらしい。
近くの村から来る客の相手をしながらこの森の中で暮らしているという。
「まあ、ゆっくりすることだ。焦っていたら良くなるもんも良くならねえ」
エルシーはセオの好意に甘えることにした。
どのみち動くことは無理そうだった。
大分回復し動けるようになった頃、エルシーはセオに切り出した。
「お礼をしたいのですけれど……。持ち合わせがなくて、代わりに何か出来ることはありますか」
持ち出した宝石類は崖から落ちた際に全て失ってしまっていた。
「気にすんな、森の中だと助け合うのが当たり前だ。エルシーも、誰かが困ってたら助けてやんな。……って言っても気にするよな。そうだなあ……」
少しの間考え込むセオ。
「じゃあ、仕事を手伝ってもらおうかな」
そこから、セオは色々なことを教えてくれるようになった。
薬草の見分け方、調合の仕方、動物の世話の仕方。
どれもはじめは上手くいかなかったが、セオは辛抱強く教えてくれた。
何回失敗しても怒らなかったし、毎回失敗した理由と改善点について簡潔に教えてくれた。
「いずれ出来るようになる。俺もはじめは失敗ばかりだった。大丈夫さ」
そう言って笑ってくれた。
期待されるのは初めてだった。嬉しかった。
どこが間違っていたのかを確認し、次からは気をつければ何事もだんだん上達した。
上達するのが嬉しくてもっと頑張った。
気づけばセオと同じ様に仕事をこなすことが出来るようになっていた。
その間、セオはエルシーに過去のことを詮索しなかったし、追い出そうともしなかった。
ただ優しい時間が過ぎていった。
ある日、薬を受け取りに来た客がリリーが女王に即位したことを話していた。
ウィリアムも今頃リリーと結婚して仲良く国を治めているのかしら。
そう考えると少し不思議な気持ちになったが、悲しくはなかった。
エルシーの中では全て終わったことだった。
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